024 力の権化
《主人の精神的暴走を確認。この場合、頂戴している命令は……。該当無し。……主人の自我はまだ保たれているため、「心臓の翼」は命令に背く事になります》
その時、後にインベルの恐ろしさの一つとして語り継がれることとなる、「狂心」が誕生した。
それは正しく、狂った心。
暴走状態にありながら、自我が保たれているその状態。
それは殺戮の王でありながら、時に慈愛の心を見せる聖女の姿。
そう。それは正しく––––。
恐怖の体現者。
インベルの目の色が変わった。
美しい蒼の右眼はそのままに、転生した後も黒眼のままだった左眼の色が変化する。
紅眼。
そう呼ぶに相応しい狂気の瞳。
魔法で黒くし、ボブの辺りまでで揃えていた髪も、一気に元の腰辺りまである美しい蒼髪に戻る。
ただし、その髪はいつものそれではない。
目の狂気に合わせているかのように逆立ち、風も吹いていないのに恐ろしいほどなびくその髪。
その口元は愉悦に歪み、見るものを震え上がらせるほどの力があった。
喜怒哀楽で言うならば、「哀」。
この膨大な力によって虫けらのように押し潰されていく者たちへの、せめてもの情け、と言うことなのであろうが、それは情けのようで情けではない。
殺戮。
正にその体現者が、インベルなのである。
「……飛翔」
感情の入らない声で、インベルが呟く。
と同時にインベルの身体が宙に浮き上がった。
《ッ……。制御不能。主人の暴走を止めることができません》
司書の苦痛の言葉が響く。
《––––魔法通話。主人の師に回線を繋ぎます》
「……師匠?」
エルムが、フェネに話しかける。
フェネの歩みが止まったからだ。
フェネの顔から、表情が全て抜け落ちた。
強いて言うならば、それは、猛烈な「哀しみ」であろうか。
フェネの頬を、一筋、涙が流れる。
「……師匠?」
その言葉は、小説で表すなら数行前の台詞と同じ言葉で表されるのだろう。
しかし、実際は、数行前の言葉より、重みが違った。
何というか……、これが、「心配の圧」というやつか。
「……インベルが、暴走状態に入った」
フェネが、独り言のように呟いた。
……いや、実際そうだったのだろうが。
フェネは、飛行魔法を使うことができない。
高速移動は、身体強化した上で全力で走るしかないのである。
その、いつもなら特に気にもしないことが、今はひどく惨めだった。
本当なら、瞬間移動でもしていきたいのだ。
直ぐにでも行って、インベルと対峙しなければならない。
……いや。
抱きしめなければならない。
それで、自分が消えるとしても。
インベルは、服選びが得意でないと言っていた。ついでに言えば、ヘアアレンジも。
教えなければいけないのだ。
加減を間違って消滅なんてさせたら、私も死ぬ他ない。
「身体強化」
直ぐにでも飛んで行きたい気持ちを抑え、フェネはゆっくりと詠唱した。
本来ならば、詠唱は必要ない。
しかし、心を沈め、冷静になることが、インベルを止めるための最善策だと自分に言い聞かせ、ゆっくり、詠唱する。
聴かせたまえ
神々の声を
神々しきその御声を
その声によって
我に恩恵を
いつしか来る恩返しの時まで
その御力を
身体強化
何百年ぶりの詠唱。
最早、忘れかけていた言葉の数々。
その懐かしい響きが、フェネの心を落ち着かせていった。
大丈夫。
インベルは、私の大切な三番弟子なのだから。
自分よりも大切な三人のうちの、一人。
死なせるわけには、いかない。
そう覚悟を決め、全力で走る。
愛する弟子を救うため。
そして願わくは、一緒にまた馬鹿を言い合うため。
神がいるのなら。
どうかあの子を。
インベルを。
再び私の腕の中に。




