022 救済 エルム編
《宣告します。ソプラ、エルム両名に、危機が迫っています。両名の命が尽きるまで、約一分と推測––––》
突然、頭に司書さんの声が響いた。
それと同時に、私が編み出した通信術式を通して、師匠から通信が入る。
「インベル、あなたの能力が、私にも知らせてくれたわ。私はエルムを助けに行きます。あなたはソプラの所に。……カネレ、聞いてたわね? 今から総司令官は最終防衛ラインのテネルに委託します。連携して、決して失敗しないこと」
「分かったわ、フェネ」
「ええ、皆をお願い」
通信が途絶える。
この時点で、残りは五十秒ほど。猶予はない。
「飛翔」
魔法行使の鍵の言葉を口にする。
身体が宙に浮き、自然とソプラの方に移動していた。
今、私の中は怒りと憎悪で満たされている。
ソプラは、私の唯一の配下だ。私のことを「様」付けで呼ばれるのは少し照れるが、それでも大切な仲間なのだ。
そのソプラを、殺そうとする者がいるとは……。嘆かわしい。
最早インベルに、ここが生き残りを賭けた戦場なのだと言う考えは無かった。
ここで散っても、実力が足りなかっただけの話。そこに言い訳する事は叶わない。
そんな戦場の常識は、既にすっぽりとインベルの思考から抜け落ちていた。
抜け落ちた場所に代わりに蔓延るのは、怒り。ただひたすらに、怒り。
それだけだったのだ。
光が、晴れた。
エルムは、一瞬、何が起きたのか分からなかった。
「あれほど無理はするなと言ったのに。やっぱりエルムは何時になっても素直じゃないのねえ」
聴き慣れた、その声。
もう何十年と毎日聴いている声。
「師匠!」
そこには、いつものように笑顔で佇む彼女の一番の宝者、フェネ・シードゥストラが居たのだ。
「全く、心配かけさせて。……帰ったら、説教よ」
「……ごめんなさい」
エルムは、知っている。師匠の言う「説教」が、本来の意味ではない事を。師匠の言う、「帰ったら説教」は、「無事に帰れるから、安心していなさい」と言う意味なのだと。……実際、帰って説教などされた事がない。頑張ったと頭を撫でられた事はあるが。
エルムが謝罪の言葉を口にすると、フェネは、大切な弟子を瀕死まで追い込んだその男の方に体を向けた。
この会話の間は、動けなくしてあるので、攻撃を加えられる事はない。
「で、私の大切な愛弟子を殺しかけてくれたようだけど。……あなたの命だけじゃ、足りなさそうねえ? その代償を払うには」
その口元は笑っているように見えるが、それは一種の殺意の現れであって、本来の意味ではない。
怒り、怒り、怒り。
今のフェネは、いつもの優しいフェネではない。
普段滅多に見せる事がない、怒りの表情をしたフェネなのだ。
……相対する男は、自分の身体が震え立つのを感じた。
幾ら自分が世界の最強の一人だとしても。
「……遊んでたんだけどな」
その男がそう口にする。
「……遊び?」
フェネの笑みが一層深くなる。
「そう、遊び。だって、僕にとっては弱すぎるから」
その男は、フェネを前にしても怯える事なく、堂々とそう言った。……いや、内心怯えていたかも知れないが。
「……まあ、そうね。それは認める。エルムは、私よりは弱い。……けど、一般人なら恐れ敬って祀るレベルに強いの。なのに、あなたにとって取るに足らないという事はね、あなたの正体はかなり限られるのよ」
そうフェネが告げる。
先程までの怒りはどこに行ったのかと言う表情で冷静に分析する。
「……例えば?」
「……魔王、とかかしら」
「ふーん……」
少しその男が表情を緩める。
「……氷華」
そうフェネが言い、男が反射的に飛び退く。
そして、男が元いた辺りを厚い氷が包み、花のように砕け散った。
「はは、怒りは何処かに行ってくれたかと思ったのに」
「そんな甘ったるい話があるか。制限していただけだ」
フェネの口調が変わる。
……フェネは気が付いたのだ。
自分が「魔王」という言葉を口にした時、この男の眉が微かに動いたのを。
こいつは隠したつもりだろうが、フェネの高性能の「千里眼」を前にごまかせる訳がない。
……つまり、こいつは高確率で魔王の一人だ。油断していい相手ではない。
……魔王相手に、エルムはここまで持ち堪えていたのか。……成長したな。後で褒めてやらねば。
フェネはそう思いつつ、目の前の男をどう料理してやろうか思案を始めた。
炎で焼き尽くすか、氷で永久冷凍か、切り刻んでやるか。
……いや、全てか。
そう結論付けたフェネは、静かに口を開いた。
「……五芒星の百華」
途端に、その男を起点とした魔法陣が展開する。
その魔法陣は白く輝き、見る者を圧倒するほど細かな模様が刻み込まれていた。
超絶技巧。
正にその言葉が似合う、至高の魔法。
「……五芒星の呪縛によって、死に絶えるが良い。……開花」
魔法陣から、白く輝く五芒星が宙に浮かび上がる。
その五つの先端から、それぞれ色の違う、蓮のような形の花が形作られ、男を包み込んだ。
瞬く間に蕾だった花が開き、男を隠り世へと誘おうと試みる。
……いや、そこはもう既に、隠り世だったのかも知れないが。
やがて、あれほど美しく輝いていた魔法陣が塵の様に消える。
後には、何も残らない。
「逃げられた、か」
フェネが呆れたように口にする。
「魔王だものね、最初から仕留めようと思ってたら、もっと高密度の魔法にしてたもの。こんな見た目重視のやつにはしてなかった」
「そうですね」
エルムもそう口にする。
……実の所、フェネはそれほど怒っていない。生きていただけで良い、そういう主義を持つのがフェネだからだ。
見事な演技だった、そう自負するフェネ。
フェネの目的は、今の男の正体を探る事であって、倒すことではないのである。
……しかし、これで確信が持てた。
この戦には、魔王が遊びで参戦している。
フェネの知識からするに、先程の男は、月人狼の魔王、アルハウド・リューヴス。
魔王アルハウド、シュアル王国の南の島に住み、シルフの森の西の大陸を支配する、吸血鬼の魔王、ルカ・クレイティスと敵対する者。
「見えてきたわね、この戦の影が」
エルムにも聞こえないほどの声で、フェネが呟く。
それは、誰にも聞こえることなく、虚空に消え去っていった。
次は波乱のソプラ編です。