019 開戦
※残酷な描写が有ります。苦手な方はご注意下さい。
向こうに、アシュベルク軍が見える。
当然の権利の様に無属の地を踏み荒らしていく。
……前世では、人殺しをしたこともなければ、迫りくる軍隊を見たこともない。
だがしかし、私の胸には不快感が渦を巻いていた。
私は、あれが人間の塊だとは思えなかった。……強いて言えば、動物の群れか何か。簡単に殲滅の出来る、敵でも何でもない物。
そして、私はある事に気が付く。
……三万余もの敵対した殺意のある人間が、全く怖くない、と言う事実に。
前世は、ホラー映画やサスペンスが苦手で、殺人事件なんかのシーンを見るとその夜眠れなくなった。
部屋の影から、凶器を持った殺人鬼が私に襲いかかって来るんじゃないか、と。
それが、三万の兵が、怖くない?
……そうだ。
私は、弱くない。
刺されたくらいじゃ、死にはしないのだ。
私は、弱くない。
シルフの森の入り口付近が、最終防衛ラインになっていた。
そこには、総司令官であるフェネと、精霊の盟主直轄部隊、それに第三軍が配置されている。
前線になる予定の場所には、第一軍、その後ろに半分が回復部隊、もう半分が交代要員で構成された第二軍が配置され、来たる開戦の時を待っている。
士気は限界まで高められ、目の前の獲物に対して待てを言われているライオンのような状態になっていた。
そして、問題となっていたインベル、エルム、ソプラの問題だが……。
エルム、ソプラは問題なかったらしい。
この世界で生き残る術は、人殺ししかないと、幼いころから散々味わってきたのだと言う。いざとなれば、極大魔法の行使も厭わぬと、会議で宣言したのだ。
そして、インベルには、「無理はしない様に」とだけ言われていた。
もし、インベルが自我を失い、暴走を始めれば、手加減だインベルの命だと言っている場合ではなくなる。
フェネと天位精霊、果てには精霊の盟主や魔王までも投入して食い止め、即刻その存在を消さねばならない。
それぞれが、自分も消滅するかもしれないという覚悟を持って相対しなければならないのだ。
ただ、インベルを戦に出さないというのは些か戦力に心配が残る。
故に、祈ることしか出来ない。
インベルが、インベルでいる様に。
インベル自身も、自分が下手をしたら自我を失った化け物になることをわかっていたのだろう。
昨日の内に、心臓の翼の術式を司書に覚えさせ、自分が自我を失った怪物となったら躊躇わず行使する様、命令を下していた。
司書は了承したが、少し心配そうな雰囲気が漂っていた。
きっと、大丈夫。
そう、念入りに自分に言い聞かせる。
そして、開戦の時は訪れる。
「その者ら! ここより先は我らがシルフの森だ! このまま進行するというなら、容赦するつもりはない!」
カネレさんの声が響き、アシュベルク軍に威圧をかける。
そして、敵軍の一角から、豪奢な鎧を纏った男が顔を出す。
「我は、シルフの森攻略部隊副将の一人、アリアードである! 降伏すればそれで良し、しないのならば容赦はせぬ!」
その男––––シルフの森攻略部隊副将アリアード––––がそう言うと、カネレさんはふっと笑い、返答する。
「……恐れを成して逃げ帰ればそれで良しと思いましたが……、どうやらそれは不要な様ですね。……死の暴風」
カネレさんがそう言うと、敵軍後方から巨大な竜巻が上がった。
解析によれば、死者数、千数百人。
この時点で、敵軍の三十分の一が戦線を離脱した事になる。
「なっ……! ……仕方がない、降伏すればよかった物を。……全軍、突撃––––ッ!」
その男が突撃命令を下す。
それが、開戦の合図となった。
……アシュベルク軍との戦が始まった。
一言で言えば、善戦している。
しかし、戦線離脱者が増えてきた。敵にも被害を出すことが出来ているものの、決定打となる攻撃を加えることが出来ない。
「……カネレさん、私が出ますか?」
私が隣にいるカネレさんに問う。
すると、カネレさんは静かに首を振り、私を制した。
その代わりに、クレアさんとの思考回線を開き、第二軍からエルムさんを呼び寄せる。
「……エルム、行けるわね?」
「もちろん」
エルムさんがそう答えると、私は、せめてもの補助として結界を幾重にも重ねた。
「頑張ってきてください」
「……心配なんて勿体無いこと、しなくていいのよ」
そして、エルムさんが、腰に下げた双剣を抜き放つ。
それは魔法効果を付与され、薄らと輝くレイピア。
見た目よりも重いそれを両手に持ち、そこに魔法効果を付与して戦うのがエルムさん独自の戦法なのである。
私が結界を張ったからなのか、それとも自信からなのか、鎧は身に付けていない。ローブを少し軽くし、なびかない様に工夫した服を纏い、敵軍に近づいていく。
長いブロンズの髪の毛は後ろで束ねられ、鬼灯の飾りが揺れる簪が刺されている。
鬼灯は、死者の導き。
つまりは、そういうことだ。
恐らく、暗器なのだ。
最も、それに気がつくものなどいないだろうが。
なぜか?
目の前の光景を見れば、分かるはずだ。
……そんな事を考える前に、片っ端から斬り捨てられていくのだから。
その美しい動きに一瞬でも見惚れれば、命はない。
無駄なく、必要な動作だけで敵を斬っていく。
美しく、強く、儚く。
淡々と敵を斬る。
その動作に迷いはなく、感情も入らない。
自分の斬った死体を踏みながら、四方八方から飛び交う攻撃を避け、確実に死を齎す。
斬った場所には紅が舞い、強者の存在を周囲に知らしめているかの様だった。
そして、戦場の一端で始まった殺戮により、こちらの士気が高まり、向こうには絶望が広がっていく。
……はずだった。
訪れるはずだったその光景は、殺戮の先に待つ者により、阻止される事となる。
シルフの森攻略部隊副将アリアードの手によって。
エルムは、近くにいた最後の一人を片付け、その男に向き直った。
一際強い覇気を放つその男。
「互角、か」
エルムは、一瞬にしてその力量を測り、勝算有りと判断する。
「小娘! 我は副将アリアードである! 今すぐ剣を納め、軍門に降るのならば、我の愛人として可愛がってやる。そのつもりが無いのならば、強制的に従わせるまで。さあ、如何するのだ⁉︎」
その言葉で、エルムの理性が飛んだ。
「小娘」程度ならまだ許した。
だが……「愛人」?
馬鹿を言う。「奴隷」が正しい言い方だろうに。
「お前の様な変態男に付き合う趣味などない。お前の様な者をこの剣の錆にするのも不愉快だ。魔法で戦ってやる。今すぐ馬から降りろ」
先に挑発をかけたのは向こうだ。こちらも容赦はしない。
……エルムにとって「理性が飛ぶ」というのは、自分を見失うことではない。
自分に課している「制限」を全て解除するという意味であって、思考は至って冷静だ。
……そして、先程出した「互角」という演算結果も、制限をかけた状態でのものでしかない。
制限がなかったら、どうなるか?
……圧勝。
その二文字だけだ。
そして、戦場の一端で、余りに実力差がありすぎる戦いが幕を上げる。
その戦いは一瞬にして終わりを告げ、「格」の違いを見せつけるものとなった。
「炎獄の道」
その道は、地獄へと続く死者の道。
炎によって身体は燃やし尽くされ、骨すらも残らない。
……その男は、一瞬にしてこの世を去った。
せめて、「愛人」などと言っていなければ、まだ勝機はあったというのに。
エルムの制限を解除させてしまったのが大きな過ちであったという事だ。
副将を一人葬り、エルムはまた自らに制限をかけた。
そして、再び殺戮を開始する。
敵は着々と減少の一途を辿っていく……。
流石に一日三話投稿は疲れました……。
もうやりたくないです……。