018 実力の一端
その日の夜、フェネの屋敷に今回の戦の指揮官の面々が集められた。
フェネ、カネレ、クレア、そして、もう一人の天位精霊、テネル。それから、インベル、ソプラ、エルム。最後から三人は、副司令官となる事が決定していた。総司令官はフェネ、一から三軍までは天位精霊の三人が指揮を取る。インベル達は、それぞれについて補助を行うことになっていた。
最初に言っておくが、今回の戦に敗北はない。それは、負ける事が許されないという意味ではなく、敗北がありえないという事だ。
言ってしまえば作業のようなもので、いざと言うときには依代を捨て、自らの命を優先するように班長以下全員に指示している。
集団で一人を相手取ることもよく言い聞かせてあるので、余程のことがなければ、こちらに被害が出る事はない。作戦についての話し合いはもう終わり、無理をしない、という結論のみでまとめられた。また、インベルが魔法と物理に対する障壁を軍全体にかけることになったので、かなり有利に戦を進められるだろう。
そして、議題は最重要課題、インベル、ソプラ、エルムに実戦経験がないということに移って行った。
「因みに、インベルの実力はSランク、エルムはA +、ソプラはAランクに到達してるわ」
そうフェネが口にすると、クレアとテネルは、絶句の表情を見せる。
「……まだ修行を始めてから二年やそこらの初心者が、 Sランクですって? 笑わせないで。ないと思うけど、負ける事は避けたいの、冗談は抜いてもらいたいわ」
テネルがそう口にする。
「……フェネさん、あなたが言ったことが本当だとすると、その子は私たちに匹敵することになるのよ?」
クレアもそう口にし、フェネが冗談だったと言うのを待った。
……しかし、フェネからの返答は、全く予期せぬものだったのである。
「……匹敵? それどころじゃないわ。あなたがインベルと戦えば、インベルの勝利はほぼ確実。インベルは、Sランクと言ったけれど、ギリギリでS +に届いていないだけよ? 私と戦えば、十回に一回は私が負けるわ」
「クレア、テネル、認めた方がいいわよ? この子の強さは本物なのだから」
フェネに続き、カネレまでその、どう見ても十五くらいの子供にしか見えない少女を庇う。
だが、二人は、その事実を飲み込むことができない。
「……ねえ、インベルさん」
クレアが、所謂猫撫で声で、インベルの名を呼んだ。
「はい」
「私と、勝負しない? 私に勝ったら、あなたの強さは認めてあげる。それに、実戦経験が浅いんでしょう? 今ここで経験として取り込んだ方がいいんじゃない?」
勝負、と言っても、クレアは大人しく負けるつもりなどなかった。寧ろ、「格」の違いを見せつけてやろうと意気込んでいたのである。
インベルがフェネの方を見やると、フェネがインベルを擁護してくれた。
「……クレアさん、恥をかくわよ?」
それに続き、カネレも意見を述べる。
「クレア、やめた方がいいわ」
……実のところ、クレアがこの様な態度を取る事は、大体予想がついていたのである。まさか異世界転生をしてきた者だと言うわけにはいかない。色んな者が利用しようとしたり、暗殺の可能性も否定できないからだ。
つまり、今クレアは、目の前の少女を、「たった二年前にフェネに弟子入りした新米魔法使い」としか認識していないのである。その評価の中に膨大な量の魔力や、フェネ譲りの細やかな技術は入れられておらず、少し出来の良いフェネの弟子、でしかないのである。
つまり、この後の返答も、
「忠告痛み入るわ。けどね、風の精霊天位の称号にかけて、一旦言ったことを撤回するわけにはいかないのよ」
となる、というわけだ。
「……クレアさん、あなたがそれでいいなら、私も本人も構わないと思うわ。ただ、この子の実力を少し見てもらってから決めて欲しいの」
フェネが、クレアに最後の猶予を与える。次は無い。
「まあ、いいわ。それ位なら」
クレアがそういうと同時に、フェネがインベルに視線を送る。
インベルは席を立ち、部屋全体と調度、フェネ達に結界を張った。絶対に被害を出すことがない様、幾重にも結界を重ねる。
この時点でインベルの実力が垣間見えたのか、クレアは少し驚いた様な表情をした。
インベルは自覚していないが、彼女はかなりの美少女なのだ。子供らしい可愛さ、と言うよりは、この子は大人になったらかなりの美人だろう、という類の美しさなので、結界を張るその白く綺麗な手の動きは良く映えていた。それが、彼女の美しさをより鮮明に浮き出している。
正直、クレアはこっそり見惚れていたのだ。
やがて、インベルは魔法を行使した。
流石に室内で極大魔法をぶっ放すのは不味いので、技術面で魅せることにする。
「天地創造」
インベルの透き通ったよく通る声が響く。
と同時に、席を立ったときに仕掛けていた暗転の魔法が発動する。演出も怠らない。
そして形成される、縮小世界。
インベルの前に、魔力で形作られた球体が創られ、その中に小さな世界が創造されていく。
その周りを廻る恒星が、その世界を美しく彩り、やがて月も出現し、同様に公転を始める。
その中心の球体の中では、動植物の進化が本来ならありえない速度で進んで行く。
ある時は荒野と化し、またある時は美しい平原となり、進化はある種の人形劇の様に進んでいく。
そして人間という種が生まれ、瞬く間に街が形成される。
……それは、インベルの前世で言う天動説と地球平面説を合わせた様なこの世界の世界観––––平世界日月移動説––––に基づいた生命の美しい進化の歴史。
その少女が映し出したのは、この世界のこれまでの姿。
ただ、その縮小世界が本当にこの世界の進化の歴史の縮図だと気がついているのは本人とその能力である司書のみ。
他の者、フェネですらこの世界はインベルの創造によって生み出された仮想世界としてこの魔法を見ていた。……否。信じたくなかった。インベルのこの世界が、そのまま世界の縮図だなどと。
……暗い部屋の中で、透明な球体の中の半分まで水が入れられ、そこに地上世界が板の様にふわふわと浮かぶ。
生命はその地上世界で進化を続け、やがて争いの時代を迎える。
球体の上半分には星々が張り付き、移動を続ける。
その周りを球体の小さな星が二つ、廻り続ける。
一つは自ら光り輝くもの、即ち、日。
もう一つはその星の光を跳ね返して光るもの、即ち、月。
それら全てがインベルの手中にて管理され、動かされている。
膨大な情報量。
その全てをインベルの思考は捌き切り、発狂する事はなく、ただ淡々とその魔法を維持していく。
……この魔法に文句を付けるなど、そんな恐れ多い、そうクレアは思った。
ただ、もう一つ思ったことがある。
……この魔法に文句を付けるとして、一体どこに付ければいいのだろうか。
クレアは迷う事なく、決断する。
この少女に、敵対してはならない。
この少女は、一体何者か?
その疑問だけが、クレアの思考の中を支配した。
そして、クレアは、一つ、この少女を試すことにした。
「……降参。勝てるわけないわ。フェネさんの言うとおり、恥をかくだけね」
クレアがその言葉を口にすると同時に、インベルはその縮小世界を魔力に還元して体内に戻した。
そして、何も言わずに自分の席に戻る。
《……魂への干渉を確認しました。抵抗術式を使用します》
魂への干渉。即ち、魂消し。
それが、インベルに向かって放たれたのだ。
インベルが、クレアを見、クレアもインベルを見る。
ああ、なるほど。
これで消える程度の者ならば、この世界に生きる価値がない、と。
インベルが抵抗に成功すると、クレアがフェネの方に向き直った。
クレアがインベルを試し、インベルはその期待に応えた。
ただそれだけのこと。
ただそれだけの事だが、クレアにとっては、大きな意味を持つ事なのである。
この者に手を出してはいけない、そのことが正しいことの証明となったのだから。
そして、夜は更けながら、長い長い会議は続いていく。
……アシュベルク軍到達予想時刻まで、二日を切った日の出来事である。
次は幕間にします。
ストーリーを楽しむ上でなら読まなくても大丈夫です。