りりちゃんのバレンタイン
あたしの友人の一人に、「りり」っていう女の子がいる。歳はあたしと同じ17歳、同じ高校でクラスも一緒。
りりとあたしは、高校に入ってから出会った。いつも一人で机に座り、黙々と本を読んでいる彼女に、興味本位で声をかけたのがきっかけだったかな。
「ねぇ、いつも何読んでるの?」
「……」
(無視!?)
……りりはちょっと変わってて、最初はものすごい根暗な子なんだと思ってた。容姿も、高校生にして三つ編み黒縁メガネの前髪ぱっつんという、青春を棒に振ったような地味な格好をしていたから。
「おーい!! それ、何読んでるのぉー?」
「……えっ、私!?」
だけど、すぐに気づいた。……この子、ただ天然なだけだなって。
「今、教室にあたしとあなたしかいないんだけど」
「うそっ!? あ、本当だ!!」
「……教室、鍵閉めたいから、そろそろ帰らない?」
「ご……ごめん、私ったら夢中になっちゃって……」
そんな彼女が読んでいた本をチラ見すると、「猫は固体であると同時に液体でもあり得るのか」という題名だった。……内容が気になりすぎるってかどこに売ってたその本。
だけど、りりとのやりとりは毎回面白くて、あたしは彼女とどんどん仲良くなっていった。
そんなある日。
「ハルカ、一生のお願いっ! チョコレートの作り方教えて!」
りりから、通算38回目の一生のお願いをされた。
そろそろバレンタインだから、彼氏にチョコレートを送るつもりなんだろうな。あ、こんな地味なりりだけど、一応彼氏持ち。……その彼氏っていうのも、これがまたパッとしないヤツで……。こんなこと言うと、りりに怒られるか。
「はいはい、いいよ。週末、うちで作ろう」
ともあれあたしは優しいから、笑顔でりりに付き合ってあげるのさ。……あたしは優しいからね。
まぁ、あの子に一人で料理まがいのことをさせるのが、心配で仕方ない……っていうのが本音なんだけど。りりのチョコのせいで彼氏が昇天したりしたら、さすがのあたしもいたたまれないもん。……いや、大げさじゃなくて本当に。
何を隠そうりりは、絶望的に料理ができない。いつか、彼女が作ったパンケーキ(と言い張る謎の物体)を食べたら、吐くほどに苦かった。ってか吐いた。
この前なんて、ケーキにドラゴンフルーツ入れようとしてたし。普通入れないでしょ、ドラゴンフルーツなんて。あのクオリティでチョコを作られたら、受け取る方が気の毒すぎるよ。
いうても、バレンタインのチョコなんて市販のやつを溶かして固めるだけなんだから、そんなに大それたものはできないか。
……なんていうあたしの考えは、砂糖をまぶした練乳付きみたらし団子よりも甘かった。彼女の料理力は、想像を遥かに超えていたんだ……。
「ハルカー! きたよー!」
いつも通りの元気な声で、りりがうちにやってきた。材料はりりが用意するって言ってたから、あたしは彼女に全てを託したんだけど……
……それが、悪夢の始まりだった。
「遠いところからご苦労さん。じゃあ、早速始めよっか」
「私こそ、無理にお願いしちゃってごめんね。いやぁ、なかなか材料が売ってなくってさぁ。結局ネットで注文しちゃった! 意外と高いんだねー」
……いやいや、どんだけ高級なチョコレートを材料にしようとしているんだねチミは。むしろ、それをそのまま渡したほうがいいんじゃないのかね?
……って思うじゃん、ネットで注文した上に意外と高いなんて聞いたらさ。……違ったんだよ。見当違いも甚だしかった。
「……これが材料? ……これ、何?」
りりが得意げに手提げ袋から取り出したそれは、茶色い……薄皮付きのピーナッツを大きくしたような、謎のつぶつぶ。
「えっ? なに……って、カカオだけど」
「カカオ? ……カカオ豆? ……どういうこと?」
意味がわからない。りりは、これで何をしようというのか。
「またまたぁ! 冗談でしょハルカ! チョコレートの材料だよ!」
りりは笑う。どう考えても一般的な常識を持つ私を、バカにするように。
そりゃ、あたしだってカカオは知ってるよ? だけどそれは、チョコレートの「材料」じゃなくて、「原料」でしょ。バレンタインのチョコをカカオから作り上げる高校生なんて、聞いたことない。
「待って待って! 冗談言ってるのはりりの方だよね!?」
「……なんで? 私、何かおかしなこと言った?」
「……マジで言ってんの?」
「……うん。……? なにか変? ?」
つぶらな瞳で見つめ返してくるりり。やばい、これは……マジなやつだ。本気で言ってるヤツだ。
「……ってことで、早速作り方教えて!」
「しらねぇよ!!!!」
あたしはついに、我慢の限界を超えてしまった。芸人顔負けのフル突っ込みを、りりにぶち込んでしまう。
「……えっ?」
「え? じゃないし! カカオって何!? 初めて見たっつーのこんなもん! へー、これがチョコレートの材料なんだー……って、絶賛感動中だわ今! 勉強になったよありがとう! でも、ここからどうやってチョコレートに導くかなんて、あたし知らないからねっ!?」
「えぇぇぇええっ!?」
両手を口に当てて、信じられないような目であたしを見つめてくるりり。それはこっちのリアクションだ!
「そんなぁ……。ハルカもバレンタインでチョコ作るの、初めてだったなんて……」
「チガウよそこじゃないよ! あるわ! バレンタインに手作りチョコ渡したことくらいあるわ! あたしが言いたいのはそういうことじゃないんだYO!」
「じゃあ、どういうことだYO?」
「カカオから作ったことがないってことだ、YO!!」
なんだこのテンション! もうわけわかんないよ助けて誰か!
「……じゃあ、ハルカはどうやって作ってたの?」
「どうやってって、その辺で売ってるチョコチップとか板チョコとか、そーいうのを買ってきて溶かして作ったんだよ」
「……そんなの、手作りちがう」
一蹴された。私の信じてきた今までを、私の築いてきた今までを、りりに一蹴された。
「こうして自分の過ちに気づいたハルカは、チョコレートの作り方をスマホで調べ始めたのであった……」
「……えっ? 急に何?」
「いいから。私の言う通りにして?」
「……」
もはや言い返すこと自体が面倒になってきたあたしは、素直にスマホでチョコレートの作り方を調べる。
「ええと。まずカカオ豆を煎るんだって。とりあえずオーブンでやってみる?」
あたしが提案すると、りりはウインクしながら素晴らしい笑顔で親指を立ててきた。……うん、さっきからなんなのそのテンション。
「よし、じゃあ早速……うっ……」
カカオ豆の入った袋を開けるや否や、顔をしかめるりり。一体どうしたのかと近づいて、すぐにその意味を理解するあたし。
「くっさ……。これ、ホントにチョコレートになるの!?」
カカオ豆は、臭かった。一週間履き続けた靴下をお酢につけたような……、なんというか、酸味のきいた異臭。……いや、あたしは靴下を一週間履き続けたことなんてないけど!
「なるんじゃない? カカオだし」
「りりがそこまで楽観的にいられる理由がわからない!」
「それにしてもさぁ、最初に見つけた人は、なんでこれを食べようと思ったんだろうね。カースマルツゥにしても、普通ウジが湧いたら捨てるよねぇー。あはは!」
えっ!? 今、さらって言ったけど、カースマルツゥって何だ!? ウジ!? そんな食べ物があんの!?
……すごく気になる。でも、余裕がないからとりあえずスルーするぜ。あんまり気は進まないけど、オーブンで焼いてみるか……。りりも、小学生なみに目を輝かせてわくわくしてるし、嫌だとは言えないよ。……臭いがオーブンに残らないことを祈ろう……。
「これでチョコレートになるのかな!?」
「いや、まだだよ。この後皮むいてすり潰して……。結構面倒だよ」
「ふふん、そんな面倒も、愛があれば乗り越えられるのだ!」
じゃあ、自分で勝手に乗り越えてくれっ! もはやあたしに教えられることは何もないからっ! ……心の中で叫ぶだけで、口に出せないあたしが憎い。
「焼けたみたい。……あ、すごいよりり! チョコレートの匂いになってる!」
「でしょ? 私の言ったとおりじゃん!」
「うん……」
さて、お次は皮むきの作業。ぱりぱりになってて、割と簡単に剥ける。黙々と剥き続けること数十分。ようやく、全てを剥ききった。
「……ふぅ。あとは、すり潰して溶かして固めるだけみたいだよ?」
「なんだ、そんなに大変じゃないんだね!」
「……あたしはもうくたくただよ、いろんな意味で」
ともあれ、ようやくゴールが見えてきたことに安心するあたし。やっとこれで解放される……。
「よーし! 頑張ってチョコレートにするぜぇー!」
すり鉢にカカオを放り込み、すりこ木を掲げながらりりは叫んだ。
そして。
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……
――20分経過。
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……
――40分経過……。
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ…… ゴリ…… ゴリ…… ……
「……はるか……」
見るからにくたくたになりながら、りりはあたしにつぶらな瞳を向けてきた。
「私……私もう……。ダメかもしれない」
「……そんなことないよ」
「そんなことある」
「りりの手作りなんだから、りりが最後までやらないと」
「無理。限界……。こんなゴリゴリ……。ゴリ夢中だよ」
「……うん。りりが五里霧中なのはよく分かった」
「……かわって?」
もぉ、そんな泣き出しそうな子供みたいな目をされたら、代わらないわけにはいかないじゃん! なんでりりってこんなに可愛いの!?
「わかったわかった、貸して! あとでなんか奢ってよね!!」
「さっすがぁ! ハルカったら男前!」
「あたしは女子だっ!」
くっそぉ、こんなのすぐに終わらせてやるんだから! 見てなさいよ!
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……
――30分経過……。
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ…… ゴリ…… ゴリ…… ……
「……。ねぇりり。もう……、よくない?」
ダメだこれ。めちゃくちゃ疲れる。明日絶対筋肉痛だ。
「なんかまだザラザラしてるけど」
「ここまですれば溶けるよ」
「でも、ココアパウダーくらいさらさらにしないと、溶けないって書いてあるよ……?」
「むり」
「……じゃあいっか」
……。
想像以上の重労働に、言葉を失うあたしとりり。こんなに大変だったんだ、チョコレート作るのって。
「次は、えーと……。湯煎しながら溶かす、だって」
かなり口数を減らしながらも、あたしとりりは湯煎する準備を始めた。……りりも絶対嫌になってきてるよ、これ。
「……やっぱ溶けないね」
そして心配した通り、まだまだ粗いカカオは、なかなか溶けない。うん、あたし達の適当な判断で先に進めるべきじゃなかったね。
「温度が低いのかなぁ? チョコレートの匂いはするんだけど……。ちょっと味見してみよっか!」
そう言いながらりりは、中途半端なカカオ粉末をスプーンですくって、口に入れた。
「……んぐえっ……」
そして、静かに吐き戻す。
「……いや、そりゃそうでしょ。まだなんの味付けもしてないんだから。少なくても甘くはないよ」
「……ドロじゃん。見た目も味も、ドロじゃん……」
「……いや、うん……。ドロ、食べたことあんの?」
「ちっちゃい頃に少し」
「食べたことあんの!?」
「……砂糖、入れれば……。美味しくなるんだよね?」
「……たぶん」
やる気も気合も、もう色々と低い。朝のテンションは、完全に影を潜めてしまっている。てかりり、ドロ食べたことあるんかい。
「これで美味しいチョコレートに……」
おもむろに、バサバサと白い粉を入れ始めるりり。しばらくぼーっと見ていたけど、なぜか言い知れぬ不安に駆られ、背筋が冷たくなってきた。待ってりり。それって……
「それ、砂糖じゃなくない?」
「……えっ?」
りりは目を点にして、その場で固まった。
もう、終わった。ここまでの数時間が全て吹き飛んでしまったんだという現実を、あたしたちは受け止めなくちゃいけない。
だって、りりがバサバサ入れていたそれは。
味の素、だったんだもん。
「あはは。普通さ。入れ間違えるにしてもさ。塩とかじゃん。ね? 違う? あのさ、別にウケとか、狙う必要ないんだよ?」
あたしはりりから、「味の素」の瓶を笑いながらひったくった。
そして。
ものすごく深いため息を吐いてから、爆発した。
「砂糖と味の素入れ間違えるとか、ホントなんなのあり得ないよりりぃぃぃぃぃいいいい!!」
「ごめぇぇぇぇえええんんんんっ!!」
「りりぃいぁあぁぁぁああああ!!」
「うわぁぁぁぁぁあ!! 砂糖いっぱい入れたらどうにかなるかなぁぁああ!?」
「もう手遅れだぁぁぁぁあああっ!!」
――――かくして、「ソレ」はできた。
たっぷりと旨味成分を含んだ、異様に甘い謎のドロ。あの後必死に加熱して、ちょっとは溶けたけど、やっぱり固まらなかった。それ以前に、味の素のせいでもはやチョコレートの風味がしない。失敗とか成功とか、そういう話ができる次元ですらない。
「……なんか、ごめんねハルカ」
帰り際に、りりに謝られた。手元の袋には、今日一日かけて作り上げた「ドロ」が、静かに息を潜めている。
「いいよ、あたしもいい経験になった。……それ、どうするの?」
「せっかくだから。カレーとかに入れてみる」
「味の素入ってるし、ちょうどいいかもね」
「うん」
「……」
「ふふっ……」
「ふふふっ……。あはは……!! あははははははははは!!」
もうなにがなんだかわからなくて、二人して大声で笑い合った。まぁいっか、こんな日があっても。やっぱりりりは、最高の友達だ。
……ただ、来年のバレンタインの材料は、絶対あたしが用意しよう。