家
「さて、もうお昼ではあるんだけど……顔がまだ疲れてるって言ってるからゆっくりと休むといい。」
そんなことないと口を開こうとするより先に、あっと口を動かす。
「でも、そうか。どこになにがあるかぐらいは案内しといたほうがいいよね。
無理させない程度に気をつけるから、少し付き合ってくれるかな?」
微笑みに逆らえず、静かに俯くとじゃぁ早速と話を進める。
「ここはご覧の通り図書館だけど、個人経営だから僕の趣味によって集められたものが多い。
自伝や研究書、本人の日記とか、そんなところ。
著名人だけでなく、教科書に名前が載ることもない普通の人の日記も個人から貰い受けてる。」
色もサイズも新古バラバラな背表紙に目を通すと、確かに自伝や日記と書かれたものが多い。
厚みがないものは本ではなくノートのようで、背表紙には何も書かれていないことの方が大半だ。
そのところどころには、蓋が外れないように紐で結ばれた箱が無造作に埋もれている。
どうやらこの中にメモが入っているようで、紐に貼り付けられたタグには元持ち主らしき人物の名前が記されていた。
改めて空気を肺に入れてみると、嗅ぎ慣れてきたはずの紙の匂いから、僅かながらにそれぞれの生活の香りを放っているような気さえしてくる。
「もちろん図書館だから貸出はしているよ。
でも、もしお気に入りの一冊があれば買取もできる。
まぁ詳しくは、お手伝いしてもらうことがあったらにしよう。」
二階から始まり、一階まで流れるように見終わると、本棚の間から突如渡り廊下が現れる。
両側とも少し歪みのあるところどころに気泡が入れ混じったガラスがはめ込まれており、白い光が道の先まで照らしている。
その先には重厚的な木目調の扉が構えていた。
夜になった時、この通路を照らしてくれそうな光は天井にも床面近くにもないように見える。
先が見えない暗闇を進まなければいけないのかと思うと、想像するだけで足元から頭に向かって震えが走る。
「ここから先は、住居スペースだ。
迷い込まないように普段は扉に鍵を閉めているけど自由に出入りして構わないよ。
今度、予備の鍵を渡すからそれを持ち歩くといい。」
先に歩き始めると、もう一つの足音がないことに気づき振り返る。
先ほどと同じ位置のまま、目をキョロキョロさせ口元に指を軽く押し当てている姿は、見た目の年齢よりも幼く感じる。
「ここまでで、聞きたいことでもあったのかな?」
寸時に背筋が伸び、それに合わせ髪の毛がふわっと上に跳ねそのまま抵抗することなく流れ落ちてくる。
「あの……。」
俯きかけていた小動物のようや目線が、ゆっくりと上がり上目遣いになる。
言葉の続きを焦らせることなく静かに待つ目を見て、小さく深呼吸する音を漏らすと
「昨日の……お部屋は、どこに?」
と喉の奥をキュッと握られたような声で発した問いに対し、涼しげな風でも吹かせるように答える。
「確かにこの図書館内にはあるけど、正直あの部屋がどこにあるのかわからないんだ。」
次の問いを口から出される前に、そのまま話し続ける。
「僕が管理しているのにおかしいだろうけど、何度も探してもどうしても見つからないんだ。
だけど、あの人達を帰すときには必ず呼ばれて、だからその時だけは入り口が見つかる。」
「……呼ばれるって、誰に?」
今度は少し下を向いて、眉毛より少し長めにカットされた前髪の隙間から何度か瞬きをちらつかせる。
少し長く感じる間から、顔をあげると窓から差し込む光が目の黒に吸い込まれてそこにだけ二つの黒い点が浮かぶ。
「誰、だろうね。」
その後を続けさせる言葉を返すこともできずその場で止まると
「バクサマに関しては、もう少し落ち着いてからにしよう。
君の今の状態は不安定だし、何かあったら困るから。」
とだけ言って次の場所へと案内を再開した。
扉を手前に引くと、大人4人分ほどの靴ですぐ埋まってしまいそうな玄関があり、そこから目の前にはリビングがある。
図書館の中は重厚的な歴史を感じるような場所だったのに対し、住居スペースは白と薄茶色の木目を基調としたシンプルなもので統一されていた。
家具類もどちらかといえば少なく、テレビに関しては台に置かれることなく床にただ置かれている。
リビングテーブルがない代わりに台所の隅っこにはハイスツールが用意されていてそこでなんとなくご飯を食べている姿が浮かんでくる。
「テーブルは早急に買わないといけないね。あと食器もか……。いや、あれも……。」
必要なものを確認し合いながら、そのまま一度玄関から真っ正面にある扉を潜り、表の玄関、お手洗い、お風呂場などを順々に案内していく。
どれも好きな時に好きなように使って問題ないと言いつつも、実際は女性のもの、特に洗濯物を見たり触ったりすることがないようにする為の配慮のようにも感じる。
男だから、女の子はどうゆうものがいいのかわからない。だから遠慮なく伝えて欲しいと言うあたり、図書館で接客する以外では女性と関わることはそれほどないらしい。
再びリビングに戻り緩やかな螺旋階段で二階へと上がっていくと、左右に渡って廊下が伸びており、5つの扉が均等に配置されている。
「個部屋はここね。一番左側が僕で、次は己真。真ん中の空き部屋を挟んで、弟。最後は物置。」
「弟?」
真っ先に反応した単語に、あっと顔に出る。
「ごめん、言っていなかったね。弟も今こっちで生活をしているんだ。あとで紹介しようと……」
がちゃりとドアノブが回される音がし、そちらを見ると幼い顔つきをした道緒が部屋から出てくる。
己真とちょうど同い年ぐらいだろうか。
顔つきは幼くとも、賢そうな眉毛の形もなだらかな曲線が引かれた目の縁もそのままに、今よりも繊細さと不器用さが表に滲み出ている。
体も表情も硬く、部屋から出てきたものの澄んだ目でこちらを伺うばかりで一向に声を発してはくれない。
「これが弟の臨だ。」
それを合図に前へ進み、静かに小さくお辞儀をする。
それにつられてこちらも小さくお辞儀をし、だけれど顔は少年の方を向けていると、向こうもそれに気がついて目を上げるものだから見合う形となりそのまま固まる。
そんな二人に思わず軽く口角を上げると、一向に進まない場の進行役となる。
「似てるだろ?」
「えぇ……。似てる。」
「まぁ、兄弟だからね。」
臨の横に道緒が並ぶとその容姿がますます似ていることがわかる。
それにはもう、驚くというよりも感動するに近い感情で、それと同時に別に思うこともあるのだけれどそれをうまく表現できず言葉にするのは止めた。
「こいつも、君と同じ理由で学校には行っていないから何かあったら聞くといい。
僕は昼間は図書館にはいるけど、すぐに動けないかもしれないから。」
「はい。……あの、臨くん。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
その声もやはり道緒と似ていた。
「じゃぁ、はい。これを飲んでゆっくり休んで。」
少し大きめなポットを渡されると、図書館で飲んだものと同じ香りが空気に滲んだ。
これから自分の部屋となる場所へようやく入るとそこもまたリビング同様白を基調としたシンプルな部屋となっていた。
開け放たれていた窓からは、木々が揺れる音を乗せて風が通り抜けていく。
ベットに腰掛けて、飲み物を飲みながらふと今度バクサマはいつくるのかと疑問が湧く。
でも今は、それほど強く逢いたい理由が出てこない。
なぜだろう。
一度に沢山のことが起きて、それを覚えようとする方に集中しているからだろうか。
2つの疑問に頭を使おうとした途端、突然身体に力が入らなくなる。
家の中を案内してもらっただけでこんなに疲れるものなのかと思いながら一度ポットを置いて、座り直そうとする前に自然と体が横に倒れそのまま瞼の重みと熱で目の前が覆い隠される。
情報を整理するために眠りは必要なのだとでも、脳が信号を送ってきているんだろうか。
自分の体のはずなのに、重くのしかかり動かない体を煩わしく感じる。
耳元に聞こえていた木々の揺れる音が段々と小さくなっていき、やがて静かな闇へと包まれていった。