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控えめな君、無色のきみ。  作者: 霞深 夕
1/1

少し変わった貴方に出会った春。

1.高校2年生になりました。



 いつものアラーム。

 ててて、ててて、ててて。と単調なリズムだが、こりんごのスマートフォンのユーザーはこれが嫌いな人が多いと思う。無論、僕は嫌いだ。

 かと言って、自分の好きな歌にアラーム音を設定すると、次はその好きなはずの歌が嫌いになるからおすすめしない。僕はそれで3人程歌手を嫌いになった。

 そんなこんなでけたたましく響くアラームを止めて、否が応でも朝が来たということを認識する。

 SNSアプリを開いて、ただ一つだけお気に入り登録をしているトークルームを開く。

 2年前から更新されていないそのページを睨みつけながら、やはり変わらない、彼女からの"待ってるね"というメッセージから目を離して、アプリを落とし、ベッドに放る。

 時刻は6時半。季節は4月。まだ少し寒さが残り、気怠さが少し、いやかなり感じるが、今日から新学期なのでサボるという訳にも行かない。クラス替えが怖い。話せる人居なかったら寂しいし……。

 ベッドから起き上がり、ひとつ大きく伸びて立ち上がる。部屋に設置された姿見に自分の姿を映して見ると、寝癖がぴょこんと跳ね上がっている。

 今日はいつもより寝起きがいい。念のために設定しておいたアラームを切りながら、部屋を出てリビングへと向かう。

 胸に残る嫌悪感は朝の寒さからか、それとも未だに彼女の幻影に囚われ続けている自分への自己嫌悪なのかは、分からないままで。

「おはよ、啓」

「ん、おはよ姉さん」

 2Kの小さな家なので、部屋を出て5歩も大股で歩けばリビングと化しているキッチンへと出る。既にリビングに出てきていた姉に朝の挨拶だけ交わし、そのまま来た道を引き返して洗面所へと向かう。

 キリキリと冷たい水で先ず顔をばしゃりとやや乱雑に洗う。それから、身支度を整えて、丁寧に畳んで積み上げられたタオルの上から一枚取って、リビングへと戻る。

 ゴシゴシと首にかけたタオルで顔を拭きながら部屋に戻り、先に座って朝食を摂る姉の前に腰掛けおそらく姉が淹れてくれたであろうコーヒーを啜る。

「啓、今日から学校だよね」

「違うかったらこんな朝早くから起きない」

「だよね」

 冗談混じりに会話を進めながらもう一口と、カップに口付ける。基本、僕らの会話はこんな感じでたまに。

「今日、始業式だけ?」

「うん、午前中には終わるかな」

「そ、なら、晩御飯宜しくしていい?」

「えぇ、今日は姉さんの番だろ。しかも休みだし」

「いーじゃーん。たまには労いなさーい」

「はいはい」

 こんな風に頼まれごとをたまにされるくらいだ。いや、かなりされるくらいだ。

 おどけて見せてくれてるが、姉は実のところ今日バイトの深夜のシフトから上がってきたばかりで寝てないのも多分事実なんだろう。それに、僕の方は今日バイトも休み。

 なので、それ以上喰い下がらず、素直に頼まれる。

「何食べたい」

「肉〜」

「そればっかじゃん」

 苦笑しながらも「肉ねえ……」と思考を巡らせてみる。自分から聞いたんだからなるべくリクエストには答えたいし。

「ハンバーグにしようか」

「ん。いいねえ、ハンバーグ。葵のは美味しいしねぇ」

「ご期待に添えるよう、頑張るよ」

 そんなことを話していると、時刻は7時半を若干過ぎた辺りで、コーヒーを飲み切って「洗い物宜しく」とだけ伝えて気怠げな「はーい」という返事を背に受けながら自室へと戻る。

 戻るともう一度大きな伸びをしてカッターシャツに袖を通して、財布、文庫本だけショルダーバッグに入れて、ベッド上で充電機に挿しっぱなしにしていたケータイ電話を引き抜き友人からの連絡が来てないかを確認する。

 案の定、一通のメッセージが届いていることに気付きロックを解除しようとホームボタンに親指を合わせるが、ぶるると寒そうに震えるだけで中々指紋を読み取ってくれない。言うて春だしそこまで寒くはないんだがなぁ……。

 やがてパスワードを打ち込まなきゃ指紋じゃ開けられませーんとスマートフォンくんに煽られたので大人しく縦に二回繰り返して押すだけの簡単な8桁のパスワードを打ち込んで、メッセージを確認する。

 送り主の欄にはやはり、"葵"と書かれている。

 立葵とはもうかれこれ小学4年からの付き合いになるだろうか。僕が通っていた小学校は4年生からクラブ活動への参加が義務付けられてたから、その名残だ。

 葵からのメッセージには『おはよう啓くん。もう起きた?今、周くんと一緒に啓のマンションに向かってるところだから、あと3分くらいしたら降りてきてくれる?』と、何を表したいのかよく分からないスタンプがおまけに送られてきた。

 中学から継続して陸上を続けている周とも、なんだかんだで今年で5年目の付き合いと考えると、存外月日が経つのも早いものだなと感じる。身長が高くてイケメンな周は、つまるところ僕の敵。というか僕より背が高いやつ全員僕の敵。

 筆者死ね。……いや、こっちの話だ。

 まぁ、文学部に所属してる僕とは対照的なやつらであることだけは間違いない。

 葵に『了解。』と一言だけ返すと、メタルラックのどっかに封印されていたネクタイを探し出して、締める。

 財布とケータイと一冊の文庫本をショルダーバックに放り込んで鍵を手に取り部屋を出る。リビングの方に若干声を張って「行ってきまーす」とだけ言っておく。返事がない、ただのしかばねのようだ。ではなく、おそらくもう寝たのだろう。おお、姉よ。安らかに眠れ。だから死んでないわ。

 僕の靴と姉の靴ともう一足、その一足は日常的に履く物でもないが、が並べられた靴棚から自分の物だけを抜き取り玄関を出て、鍵を閉める。とっとっと、爪先部分を蹴って踵までの間を無くす。緩んだ靴紐を結び直すために一度片膝をつく。

 立ち上がる際に「よいしょ」なんて声が漏れてしまうのは自分も少しは大人になった証拠なのだろう。

 我が家は501号室で、エレベーターからは一番離れたところに位置する。少し長めの廊下をてくてく歩いて下向きの矢印を押して、そのうち到着したそれに乗って下に降りる。

 独特の浮遊感に襲われながら1つため息を吐いた。

 先に見た、若干埃の被った愛用だったスパイクを今

だに捨てられない自分に若干の嫌気が指したから。


✳︎


「おはようさん、啓」

「おはよ、啓くん」

 マンションのエントランスから出ると既に到着していた周たちと合流する。

 実際に外に出てみると意外にも暖かく、こちらを照らす太陽さんの力も相まって、油断すると瞼を閉じそうになる。瞼の裏側に大切な誰かを浮かべることはあっても、別にそれで強くなれる訳ではないので頑張って目を開ける。

「おはようさん」

 挨拶を返すのは礼儀だ。礼儀は欠かさない男なのできちんと朝の挨拶を返す。

「お、今日は機嫌いいな、啓」

 くししと笑う周に、どこでそれを判断してるのか5分ほど問い質したいところではあったが、そのせいで葵を待たせるわけにもいかないので一瞥だけして不満だと目で主張しておいた。

 それにしてもこいつと話していると首が痛くなる。無駄な部分をだるま落としの要領で弾きだしたら怒るだろうか。

「ん、どした」

 どうやらじろじろと見ていたのがバレてしまったらしい。しかし何だ、こう振り向いて僕の目を見てるこいつを見ると。

 ゲシッ。

「痛い!何で蹴ったの!?」

「僕を見下ろすな、周。へし折るぞ」

「何を?!」

 全くこれだから背が高い連中は。

「け、啓くん暴力は駄目だよっ」

 あわあわと腕を振り俺を気にしたり周を心配する葵は多分天使だ。あと、手と共に揺れてる物が非常に目の保養ではある。

「違うな、これは暴力じゃない。何度も僕は周に僕を見下ろすなと言っているのに、直さない周が悪い」

「それは身長差があるんだから仕方ないんじゃないか?!」

 断固として自分の非を認めない周が面倒になったので先にスタスタと駅へと向かう。僕たちが通う高校は府内ではそこそこの進学校で、大体の生徒の進路は進学である。高校3年の皆様は今日から始まる3年振りの受験生という名の地獄をたっぷり味わってほしい。

「あ、待ってよ」

「おい!話は終わってないぞ!」

 先を歩く僕の右隣に葵が並びその奥に周が追いつく。さりげなく車道側を歩くのが紳士の嗜みだ。おい、そこのでかいの。何一番外側歩いてんだ。こっち来て轢かれろ。

 歩いて5、6分のところに毎日学校通いのためだけに乗る電車の駅があるのは中々便利で助かっている。そのくせしてあの家そこまで家賃が高くないからほんと好き。大家好き。

 定期を通して、電車を待つ。葵と周は2人で会話に花を咲かせている。別に、仲間外れにされているわけではない。高校に上がってからはいつもこうだ。

 2人に朝迎えに来られて、2人の会話を聞き、時説口を挟みながら、とぼとぼと学校を目指す。

 なんだかんだ、心地の良い空間だ。


✴︎


「い……。おいって、啓、もう着くぞ」

「ん……」

「起きないね……」

「一回寝たら中々起きないやつだからなぁ……」

「もしもーし、啓くーん」

 パチリ。

 目を開くとそこには胸があった。

「あ、起きた!」

 どうやら眠ってしまっていたらしい。電車の揺れってわりかし心地よくてよく眠ってしまいがちだ。巽啓は睡眠耐性は×なのである。

 腰を曲げて僕の顔を覗き込むような体制になっていた葵が小さく「おはよ」と言ってくる。挨拶を返すのは礼儀だが、2回目はどうなるのだろうか。

 まぁいいか。

「おはよう。悪い、寝てたな」

「大丈夫だよ。ちゃんと着く前に起きてくれたから」

 ニコリと笑って腰を伸ばし、離れていく葵に若干の心残りを残しながらも、いつまでも座っている訳にもいかないので、僕も立ち上がる。

 座っていたから一つ伸びをすると、腰をずっと曲げていたであろう葵も僕に習ってから一つ伸びる。

 これはこれで中々……。

「ったく。早く起きろよな」

 言って、パシリと僕の頭を軽く叩いたのは後ろの巨人。

「周、お前は僕を怒らせた。このKYめ」

「何がだよ……。ほら、降りるぞ」

「ん、あぁ。行くか、葵」

 電車を降りて、定期を通し、ホームを後にする。周りを見ると既に僕たちと同じ制服に身を包んだ学生がそこそこ歩いていた。

 というよりも、学校の最寄りの駅やバス停から学校まで、ほぼ一直線で通りにあるのがコンビニやパン屋。あとは民家ばかりなのであの駅を利用する客は大体うちの高校の生徒だけだ。

 コンビニやパン屋が部活動前や後になると、戦争のようにうちのジャージを羽織った生徒ばかりになるのは想像に難くないだろう。

 僕も部活の後に小腹が空いてパンを買おうと店内に赴いたことがあったが、青春の汗にまみれた彼ら彼女らの塊を見て早々に退散したことがある。あの日僕は決して学校が近くにあるようなところで食品を1ミリでも取り扱っているお店ではバイトしないと心に固く誓ったのを覚えている。

「悪い、昼飯だけ買ってきていいか?」

 こつこつと2人の会話をBGMにして歩いていると、ふと周がパン屋の方を指差して訊ねてきた。ちらりとポケットのスマホの画面を確認してクラス発表諸々まではまだ時間があることを確認して「なら僕も買っておこうかな」と、ちらりと葵の方を伺った。

「ん、じゃあ、あたしも買う」

「オーケー。全員一致だな。じゃあ行くか」

 店内に入ると、おばちゃん達の気のいいいらっしゃーいが聞こえてくる。ふむ、この前来たときは余り見れなかったが雰囲気のいいお店なんだな。なんか天井でくるくる回ってるやつとかあの端のちっこい冷蔵庫とかすごいパン屋っぽさ醸し出してるぞ。多分。

 備え付けのトレーとトングを取って適当にパンを見ていく。どれもこれも美味しそうなものばかりで、それに加えて朝1番の仕込みなのか焼き立てばかりで匂いが際立ってコーヒーしか飲んでいない僕の空腹を誘う。

「店の前で待ってるな」

「ああ」

 ふむ、相変わらず落ち着きがないやつだ。周が行こうと言い出したのに誰よりも早く退店して行った。いや、あいつも運動部だからここはよく利用するのだろう。それ故最初から何を買うか決めていたのかもしれない。と、1人で勝手に納得して葵と未だに決められず頭を傾げる。

「あたしも決ーめた」

 葵はひょいひょいと3つ程の菓子パン惣菜パンと冷蔵庫から紙パックのミルクティーを取り出して颯爽とレジへと向かう。裏切られた……。

 まあ確かに、余り時間をかけている訳にも行かないのでメロンパンと揚げパン、それにレモンティーを冷蔵庫から取り出して僕も支払いへと向かう。

 レジでは葵ともう1人、うちの学校の制服を来た女子が会計中だった。彼女も昼食を調達しに来たのだろうか。なんて、特に気にすることも無く待っているとジャラジャラとその女子が小銭入れを落とした。

 別に無視しても良かったのだが、店の人に「すいませんすいません」と小謝りしながら小銭を拾う彼女を放っておこうとも思わず、いくつかこちらに転がってきた物を拾って彼女に渡そうと手を伸ばした。その時だった。

 ビクッ。という擬音が恐らく1番似合うだろう。彼女は僕が差し出した手に気付くとほんの2、3秒ほど硬直した。

「あ、あ…うぅ」

「はい、これ落としちゃ駄目だよ」

 なるべく、優しい声色を意識して彼女に話し掛ける。するとその声で我に帰ったのか、おどおどした様子でぽしょりと「ありがとうございます」と告げて、会計を済ませて店を出て行った。

「誰かな?あの子」

「さぁ」

「可愛い子だったねぇ〜」

「そうだな」

 身長差もあって余り顔が見えなかったが、適当にレジ袋を持った葵の相槌を打っておく。まぁ恐らく、今後関わることは無いんじゃないのかな、と思う。

 いつまでも周を待たせる訳にもいかないので僕もさっさと支払いを済ませて葵と一緒に店を後にした。

「おう、待たせたな」

「おう、待ったぞ」

「そこは今来たところって言うところだろうが」

「そーだよー」

「葵まで?!」

 やるじゃないか葵。お前を巨人討伐委員の副委員長に任命してやろう。メンバーは僕と2人だけだ。合言葉は平均身長万歳だ。

「そんなことより早く行こう」

 いつまでも周の文句に付き合っていると永遠とこの場から進めない。

「そうだね。もうクラスも発表されてるだろうし」

「ああ。今年は同じクラスだと良いんだけどな」

 急な話題の転換だったが周は単純だ。単純だから関係のないことを話してやればどんな状態でもすぐにフラットな様子に戻る。いてつく波動みたいでなんだか楽しいから周を怒らせてるみたいなところある。

「佐敷じゃなければなんでも良い……」

「お前あの先生苦手だよなぁ」

 周の前のクラスの担任の佐敷。教科は女性なのに男子の体育科。陸上部顧問。中学、高校とそれなりの強豪校で陸上をやっていたようで、たまに窓から陸上部の練習を眺めるが、確かに練習内容などを見る限り、教え方が上手いのが分かる。何が苦手って部活勧誘がうるさいんだよなぁ……。顔を合わせるたび陸上部に……って言われ続けるとそりゃ嫌になるよぅ……。

 黙ってれば美人だと思うんだけどなぁ。

「あはは……佐敷先生には何度か言ってるんだけどね」

 友人の気遣いが心に痛い。もっと言ってやってくれ。

「絶対に高校でも走らせるって聞かなくて……」

 聞けよ……。

「その心遣いが何より嬉しいよ……葵」

「う、ううん。嫌なのに足が速いってだけで無理矢理走らされるっていのは、多分みんな嫌だから……」

 一瞬、葵の顔に陰が差す。僕も、周も、敢えてそれに触れることは無い。

 葵は、走ることが好きだ。多分、僕たちの中で誰よりも1番。そんな彼女が今は選手ではなくマネージャーという場所に立っているのは、誰でも無い葵が選択したから。

 そこに至った理由はどうあれ、誰よりも走るのが好きな葵が自ら走ることを放棄したからだ。


✳︎


 嫌な予感というのは、何故か当たることが多い。

 担任、佐敷である。ぜってぇ仕組んだだろ……。本当に。なんて、僕が心底嫌そうに顔を歪めていると、隣で葵と周ははしゃいでいた。上から周の名字である四宮、少し離れた位置に続いて立、巽と縦に並べられた名前の羅列に……だ。

 僕たち3人が同じクラスになるのは実に3年振りだろうか。前に揃ったのは中学2年の時だった気がする。

「やったよ、周くん。いえい」

「おー!そうだな、今年は修学旅行とかもあったし心配だったんだよなー。啓も一緒だし、よかったぜ!一年間よろしくなー!」

 ハイタッチしあっている2人を横目に他のクラスメンバーを見ていく。おーおー、これはまぁ。みごとに知らん奴ばっかだな。ひとまず2人が居てくれてよかったかな。ぼっちだけは回避できた。

「啓も、今年一年楽しもーぜ」

「……」

 この人懐っこい笑顔を向けられたときの周が1番対応に困る。差し出された右手は多分握手の意を含んでいるんだろうなと思いつつも、僕も右手を出すべきなのかと戸惑う。その結果。

「まあ、退屈するよりはマシか」

 パシンと出された右手に横向きのハイタッチで応えてやった。しばらく呆然と叩いた手を見ていた周が急にニッと口角を上げる。

「おう?なんだ照れてんのかよー。啓、可愛いところあんじゃん?」

 ぐいぐいと肘で肩を小突く。

 小突く。

 尚小突く。イラッ。

「ぐっは!」

 なので空いている脇腹に肘打ちをかましてやった。「暴力は駄目だよ〜」と葵は困ったように言うが、これに関しては僕は悪くないと声を挙げて主張したい。

「照れてるんじゃない。困ってるんだ。周みたいにコミュニケーションに長けている訳じゃないんだよ、僕は」

 実際、周のそのあたりの能力は非常に高いと思う。本当に、気がついたら誰とでも仲良くなっている。僕には決して真似が出来ない。

「さっさと体育館へ行こう、始業式が始まる」

「あ、ちょっと待てって!行こうぜ、葵」

「あ、うん」

 先々と歩いて行く僕を2人は後ろから追いかけて来て横に並ぶ。それからはいつも通り、なんともない他愛のない会話が続いた。


✳︎


 うちの体育館はそこそこ広い、方だと思う。

 1年2年3年40人6クラス。240×3の計720人の学校なのだがその人数くらいなら充分収容出来るし、足を伸ばせるくらいには広い。

 なのでよくバスケ部などの室内で行う体育系の部活の練習試合に使われているらしい。

「さっむい」

「確かに」

「うん、ちょっと冷えるね」

 体育館には空調設備がないので、寒い時はとことん寒いし暑い時はとことん暑い。今日は前者のようで、入った瞬間身体が震えるほどの寒気に襲われる。

 夏終わりの秋ならまだ暖かくてそこそこには快適なのだが、この時期だと5、6月くらいになるまでは寒いのが続くので、学年集会などは出来るだけ行わないで欲しいものだ。

 立、巽と続くので僕と葵は同じクラスになると自然と1つ番号違いで僕の前に葵が並ぶことが大半だ。

「じゃあ、また後でクラスでな」

「おう」

「うん、後でね」

 少し離れた番号の周と分かれて葵と一緒に僕が並ぶ位置に移動する。

「葵〜!」

「わわっ?!」

「うぉっと……」

 適当に葵と話していると人型の何かが葵の後ろから突進して来た。葵の後ろから突っ込んで来たので、葵の前に立っていた僕にもそのまま突っ込んで来てしまって、僕が葵を抱きかかえる形になる。

「大丈夫か?」

「……うん、ありがとう」

 やめろ、頰を赤くするな。こっちまで恥ずかしくなるだろうが。こうなった元凶である葵の腰をがっちりとホールドするちっこい女子を軽く睨みつける。

「もう、やだなぁ。怖い顔しないでよ巽」

「……それは当事者が言うセリフじゃないね。宮美」

「あぅ……和姫……とりあえず離れてくれるかな?」

「ええー、いいじゃんかもぅー」

 言いながら未だにわきわきと腰に抱きつく宮美を軽く小突く。

「いったー!啓に傷物にされたー!」

「声がでかいし誤解を招くような言い方をするのはやめろ」

 アタマイターと両手で大げさに頭を抑える自分の胸くらいの身長しかない女子に呆れたようにふん、と鼻を鳴らす。

「まーまーいいじゃんか。減るもんじゃないんだし」

 懲りない宮美は再びもにょもにょと指先を動かしながら、にやにやと葵の方へと視線を向ける。

「あたしは精神がすり減るけどね……」

「とりあえずその手をやめろ」

 1年の頃から全く成長を感じさせないような言動に、うんざりとする。だけど、こんな風に明るく誰とでも話せるから、こいつはこの学校という場において高カーストと呼ばれる立ち位置に居るんだろうなとも思う。調子にのるから言わないけど。

「ありゃりゃ、葵に振られちゃったか。んー、まぁ1年間よろしくね葵」

「うん、よろしく。和姫」

 ふざけた様子から一転、途端に真面目に頭を下げて葵に告げて、続けて宮美は「それに」と加えて僕の方を見る。

 宮美の黒い瞳が僕のそれを覗き込む。

「啓も。1年間よろしく。文芸部と掛け持ちでもいいからなんか部活入りなよ?運動神経いいんだし」

「……ああ。ま、ぼちぼちな」

 なんとか、肩を竦めながらもそう返した。

 ……なんというか。苦手だ。何が、と聞かれても明確にも的確にも答えられないし、曖昧でしかないけれど。僕はこの宮美和姫という女子が苦手だ。下から見上げられると、なんだか心の奥底を覗かれているような、見透かされているような気分になってしまっていけない。

 「ほいじゃまたねー」と軽く言って、宮美は僕たちから興味を失ったように、別の女子へとタックルする。早く並べよ。ほら、佐敷怒ってんぞ。

「あはは……和姫。元気だね」

「あいつはいつでもあんな感じだろ……。疲れるからやめてほしい」

 去年は葵と同じクラスで接点があったから話すようになっただけで宮美と同じクラスだった訳ではない。なのにこれだけ話せるというのは彼女が持つ快活さのお陰なのだろう。接しやすくて助かるが、言った通りほんとっっっうに疲れるから控えめで頼みたい。

「あ、怒られてる」

「佐敷出陣だな」

「あはは……」

 注意されても聞かない宮美の下に直々に赴いた今年度の我らの担任、佐敷が結構ガチで宮美に怒る。あの先生怒るとき笑顔だから怖い。

 遠目で怒られてる宮美に心の中だけで合掌を行い並び直す。気がつくと列の前では校長が壇上に上がっていて、未だがやがやと騒がしい体育館が静かになるのを待っていた。

 これはあれだな、みなさんが静かになるまで云々ってやつが聞けそうだ。


✳︎


 「みなさんが静かになるまで8分かかりました──」と、予想ドンピシャの切り出しから始まった校長の有り難いお言葉を欠伸しながら右から左へと受け流し、始業式はつつがなく終わりを迎えた。

 佐敷の引率の下、体育館を抜けて少し離れた場所に位置する3棟4階建ある校舎の2年の教室が分布されてる1棟3階へと向かう。この学校を改めて広いなと、3棟から2棟へと続く渡り廊下を歩きながら思う。

「大丈夫?」

 寝惚け眼を擦りながら歩いていると前を歩く葵に心配されてしまった。

「んぁ、あぁ。少し眠たいだけだ」

「もう、ちゃんと早寝しなきゃ駄目だっていつも言ってるのに」

「お前は僕の親か」

 と、何を言っても「全くもう」と母親感が抜け出さない葵と話をしていると2棟からの渡り廊下も超えて、階段を登り目的地の教室に到着する。

 黒板に貼り出された座席表を参考に自分の名前の場所の席に座る。巽、なのに40人中26番とかなり後ろの番号だ。葵が僕の前の25、周が21。

 机は6、7×4、6という並びなので、周は1番前の席ということになる。

 後ろから2番目の自分の席へと座ろうとするとそこには既に女子物の制服を着た先客が居た。

「ごめん、そこ間違えてないかな?」

 おそらくは、間違えて座ってしまっているのであろうその子にに声をかける。

「……え?」

 ずっと俯いていたので、僕も気がつかなかったけれど、顔を挙げて見たその表情には見覚えがあった。

 確かこの子は。

「あ、さっきのパン屋の……」

「……⁉︎⁉︎?」

 どうやら向こうも僕に気が付いた様で、みるみる内に顔が赤く染まっていく。

「ご、ごめんなさい!」

「あ、えっと……もしかして水瀬さん、かな?」

 ガタッと立ち上がって、鞄を持って再び黒板の貼り紙を確認しに行こうとするその子の背中に声を掛けて引き留める。

「あの……はい。何で、わたしの名前……」

 水瀬さん、と僕が呼んだ彼女はおろおろと困った様子で質問に肯定して、逆に僕の方へ問い返してくる。

「いや、僕の右隣の席が水瀬さんの席だから。列間違えてるのかなと思って」

「あぁ、なるほど……」

 答えると彼女は納得のいった様子で僕の隣の席へと鞄を下ろし、腰を下ろす。

「あの、ありがとう……ございます……」

 どんどん小さくなって行って最後の方なんてほとんど聞きとれなかったけれど、お礼を言われた。

 多分、彼女も僕と同じで人付き合いが得意ではないのだろう。

「いや、大丈夫。1年間よろしく」

 気を遣わせてしまったことに若干の申し訳なさを感じつつ、なんとか返事する。

 それきり僕と彼女の間では会話が起きることはなかった。

 それぞれが席に着き、佐敷が点呼を取りホームルームが始まる。

 数枚のプリントと、クラスメイト達の自己紹介。あといくつか進路についての話を先生から聞いていると、今日の学校はもうおしまいだ。

「あぁ、あと最後に。来月には体育祭だからな。クラスリレーの順番とかぼちぼち決めていかないと駄目だよ」

 あぁ、そうか。2、3年はクラスリレーなのか。1年の時のクラス競技はなんだかよくわからないことをさせられたのを覚えてる。

 1周300メートルのグラウンドをクラス全員が半周してアンカーだけ一周するクラスリレー。

 去年はしんどそうだなぁと他人事の様に捉えてたけど今年そっかぁ……あれやるんかぁ……。

 帰る前に憂鬱な気分にさせられたので佐敷、訴訟な。多分負ける。法廷で会おう。

「じゃあ、また明日」

 まとまりのないクラス全員の「さよならー」で各自教室から出て行く。

「啓、すぐ帰るのか?」

 こちらに近づいて来るなり周に訊ねられた。

「いや、僕は部室寄ってから帰るつもりだ。鳳凰院先輩に挨拶したいし」

「そうか、なら一緒に帰ろうぜ。今佐敷先生から聞いたんだけど今日陸上部の練習、1時には終わるらしいから」

「そうなの?」

 陸上部のキャプテンの発言にそのマネージャーが質問する。部活内での連絡くらいしとけよな。

「ああ、マネージャーは今日は休みでいいとも言ってたぞ」

「そっか。ならあたしも一緒に帰ろうかな。啓くん、陸上部の練習が終わるまで文芸部の部室に居てもいいかな?」

「ん。いいんじゃないか、別に」

 後ろに知らんけどと付け足すことを忘れない。関西人は大体やってる。言わば保険をかけている様なものだと思ってくれればいい。

 むしろやってないやつは関西人じゃないと思ってくれてもいいと言っても過言ではない。過言。

「オッケー。したら練習が終わったらそっち行くわ」

「ああ。分かった」

 そう言って周は走って教室を後にした。

 その背中を見送ったあと、葵と共に僕が所属している文芸部へと足を進めた。

 文芸部の部室は3棟の4階に位置し、少し移動が面倒くさい。

 こんこんこん、とドアをノックすると中から「どうぞ」と声が聞こえて来たのを確認してから扉をスライドさせる。

 その教室にあるのは1つの長机と5つほど並んだ椅子。それにいくつかの本棚があるだけ。ドアから一番離れた位置の椅子に髪の長い、ブレザーを羽織った1人の先輩が本を読んでそこにいる。

 こちらに気づいた先輩はパタンと本を閉じて、口を開いた。

「やぁ。久し振りだね、巽。それから立さん……だったかな?」

「あ、はい合ってます。初めまして。立葵と言います。鳳凰院先輩…….ですよね?」

「いかにも。私は君に名乗ったことがあったかな?」

「鳳凰院先輩ほどの有名人ならこの学校に知らない人は居ませんよ」

 そう付け足すと、鳳凰院先輩は「買い被りすぎだよ」と笑うけれど、実際彼女を知らない人は不登校じゃない限りこの学校には居ないと思う。

 学年テストは常に首位の黒髪の美少女。

 こんな漫画の中の様な人なのだ。印象に残らない方がおかしいと言うものだ。それに加えて文芸部の僕しか知らない情報だけれど、この人は商業作家だ。

 そんな人の下で小説を読んだり書けたりするんだから、ここの文芸部は凄い。

「しかし、巽くん。私は以前、朱音と呼んでくれと言ったと思うのだが」

「うっ……。あんまり、得意じゃないんすよ。先輩っていうのも相まって、少し」

「ふむ。だけれど私は鳳凰院という堅苦しい名前が余り好きじゃないんだ。だから、頼むよ」

「……うす。善処します」

 僕の言葉に「よろしい」と笑みを深めて、葵の方へと視線を向けて「君も、そういうことだから。ね?」と、話しかける。なんか怖い。

「え、と……朱音先輩と、お呼びすれば良いですか?」

「ああ、それで構わない」

 葵の返答に満足した鳳凰院先輩は「ところで……」と続ける。

「今日はどうしたんだい?活動は明日からだと伝えていたと思うのだけれど。立さんの入部希望かな?だとしたら嬉しいけれど」

「あ、いやそうじゃなくて」

「えーっと。僕は鳳凰院先輩に挨拶しとこうと思って来たんですけど。葵は……」

 と、そこで初めて今回の葵の訪問の事情を説明した。それを聞いた鳳凰院先輩は頷いて、机に本を置き左手で髪をかきあげながら答える。

「そういうことなら。ぜひ使ってくれたまえ。いかんせんここは私と巽しか居ないからね。本当は部活動、というより同好会なんだ」

 言って先輩は「ね?」と僕に同意を求めながら苦笑いを浮かべる。首肯だけで返事をしておく。

「だから、今日のように暇なのであればいつでもおいで。私はいつだって歓迎しよう」

 そう言って、先輩は今日で1番の笑顔を葵に向けるのだった。


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