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「私、知ってるわ。私がこの部屋にいなくちゃいけない本当の理由」
「本当の理由って、君の体のことを心配して外に出ちゃいけないって言われてるんだろ」
「それは違うわ。理由は私の母と同じ。私も母みたいに病気で亡くなってしまったら、自分の医者としての立場がないからよ。あの人はそういう人。いつもいつも体面ばかり気にしてるわ」
普段とは違って彼女の顔には、意地悪そうな表情が浮かんでいた。僕は彼女の心が屈折していることに気がついた。僕はなるべくそのことに触れないように話題を少しそらした。
「お母さんの形見の本が魔法の本って、中には何が書いてあるの」
「そのままよ。魔法のやり方が書いてあるのよ」
それを聞いて僕は眉をひそめた。
「魔法のやり方って。お母さんはそんな本を読んでたの」
「あっ。セバスチャンは魔法を信じてないのね、そうでしょ?」
彼女にいきなりそんな質問を向けられ、僕はどきどきしてしまった。だって、魔法といったら、ドラゴンとか出てくるようなファンタジーの本でしか出てこないじゃないか。確かに年寄りから、こんなまじないがあるんだよという話を聞いたことはあるけど、魔法そのものが存在するかしないかと言われてもそれは非常に困った質問だった。
「分からないよ。だって僕魔法って見たこともないもの」
僕は頭ごなしに否定するのもどうかと思って、曖昧に答えてみた。すると彼女はとたんに生き生きとし出した。
「私は母から魔法を教えてもらったの」
「えっ、魔法を?」
びっくりして僕は訊き返した。
「そうよ、魔法よ」
「魔法ってたとえば、どんな呪文を唱えるの」
「それは駄目よ。魔法を信じてない人には教えられないもの。効き目がなくなっちゃうわ」
彼女は笑って答えた。
「えっ、僕信じてないとは言ってないよ」
慌てて僕が言うと、アリシアは茶目っ気たっぷりにこう言った。
「顔に信じてないって書いてあるわ」
「そうかなあ」
僕は顔を赤らめると思わず頬をさすった。
「あの人も信じてないのよ、魔法を」
アリシアは憂鬱そうに遠くを見つめて言った。
「母が亡くなった時、その魔法の本を捨てようとしたの。むしろこんな物があるからいけなかったんだとそう言って捨てようとしたの。だから私は必死に止めて魔法の本を守った。あの人は母と母の大事にしていたものを信じようとしなかった」
僕は何と言ったらよいか分らなかった。ディンガム氏はディンガム氏でやはり妻が亡くなった悲しみを忘れるために捨てようとしたのかもしれない。
ただ僕は自分がディンガム氏と同じだと思われるのも嫌なので、彼女にこう言った。
「魔法が本当にあるなら、信じるよ」
「あるのよ、魔法は。今ここにも」
彼女はそう言って笑った。
それから僕らは三か月ほど何事もなく仲良く過ごした。仕事を終えた後、一緒に宿題をしたり面白い本を見つけると、その事について話したり、彼女がたくさん読んだ本の中での知識を披露したりと、毎日が楽しかった。その中で魔法の話題はとても難解だった。彼女は嬉々として魔法のことを話していたが、僕にはにわかには信じられなかった。数式も化学もなんなく解ける彼女が、目に見えないその不思議な事象を信じ切っていることが不思議でならなかった。
それでも彼女が熱心に話すものだから、日が経つにつれ、本当のことではないかと僕は思うようになっていった。それは魔法を信じるというよりも、彼女を信じるか、信じないかというそういう問題なのではないかと僕はそんな風に考えていた。
ある日のこと彼女はこんなことを言い出した。
「セバスチャン、あのね。実は今、私魔法をかけているの」
「魔法をかけているの?」
僕は面喰って訊き返した。
「そうよ、魔法をかけているの」
彼女は嬉しそうに、にっこり微笑んだ。
「いったいどんな魔法をかけているの」
僕は半信半疑のまま、彼女に訊いた。
「私の病気が治る魔法。見つけたのよ、あの本の中から、その魔法を」
ベッドの上から彼女は奥まった場所に入れてある例の本を眺めながら、人に聞かれないように小声で言った。
「えっ、本当?」
これが医者から病気の治療法が見つかりましたと言われたのなら、本当、良かったねというべきところなのだが、本当にあるのかどうかわからない魔法が見つかったと言われても、どんな表情を浮かべれば良いものか、僕には見当もつかなかった。
「本当よ。でも一か月はその魔法をかけなくちゃいけないの。でないと効かないの」
彼女はさも本当であるかのように言い切った。
「そうなんだ。一か月もかかるなんて大変だよね。効くといいよね、その……、その魔法が」
僕はためらないがらも彼女にそう言った。




