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確かにボールをそのままにするなんてとんでもないことだ。ディンガム氏が見つけたら、それこそ何を言い出すか分からない。しかしだからといって、その部屋は例の部屋なのだ。僕が入るわけにはいかないのだ。
それで躊躇していると、なぜか彼らが怒り出した。こんなに仲間が困っているのに、なんでボールをとってきてくれないのだと逆に抗議されてしまった。普通はそうだろうが何しろあの部屋なのだ。しかしまさかそれを彼らに言うわけにもいかず、とりあえず僕はアンドリューを探すことにした。
今日何か困ったことがあったらアンドリューに訊けとマイク爺さんにも言われていたし、まさにそれが一番だと思えた。だが、どういうわけかアンドリューはいなかった。どこをどう探してもその時なぜかいなかったのだ。そんな僕に彼らはいよいよ苛立っていた。
いいから、早くとってきてくれよと、散々言われ、僕はしかたなく自分でとりに行くことにした。見つかったら大変だと思いつつも、ちょっとボールをとりに行くぐらいどうってことはない、何かあったとしても他は何も動かさなければいいだけなんだと、僕は自分に言い聞かせていた。
屋敷内に入ると、玄関広間のちょうど真っ正面にある二階へと上がる階段をこっそり上って行った。もちろん、誰かいれば事情を話して、誰かにとってきてもらおうとは思ってはいたが、あの部屋に何があるのか、それを知りたいという思いもあった。誰かに頼んでしまったら、それを見る機会も失ってしまう。そう考えると、誰もいない方がいいのではないだろうか。後であの部屋に行ったことがばれたとしても、誰もいなかったということなら、やむを得ないという話になるかもしれないとどこかで言い訳を作ろうとしていた。
真っ正面の階段を上り終わると踊り場があってそこから左に向ってまた五、六段の階段があり、それを上ると二階の左側の廊下がずっと続いていた。下には赤い絨毯が引かれ廊下には腰板が張られ、右側に裏庭を見渡す窓があり、左側には五つの部屋のドアが連なっていた。問題の部屋は五番目の部屋で、僕はとても緊張していた。そっと廊下を歩きながら、心臓の音がどきどきして、それはすぐ耳元で聞こえるほど大きな音で、そのうち誰かが僕の心臓の音を聞きつけてこちらに来てしまうのではないかと思うぐらいだった。
僕は緊張しながらも、一歩ずつ近づいて行った。あの秘密めいた不気味な部屋に。そうしていざ無事にその部屋の前にたどり着いてみると、なんだか急に拍子抜けしてしまった。日の光の中で見るその部屋のドアはどこにでもあるドアで、いたって普通のドアにしか見えなかった。いつも頭の中で妄想していたドアはこんな明るい日差しなど一切なく真っ暗な夜のドアだった。そのせいか僕は思ったよりも簡単にそのドアを開けてしまった。そして僕は驚いた。中にあったのは死体ではなかった。
「まあ、良かったわ。ボールをとりにきてくださったのね」
ドアを開けた瞬間、僕は声をかけられた。見るとそこには女の子がいた。年の頃十二、三歳ぐらいの女の子が満面の笑みを浮かべてそこに立っていた。手にはあのボールがあった。
「あら。今日はアリサじゃないのね。いつもはアリサが来てくれるのに」
彼女は驚いたように目をぱちくりさせた。もちろん、僕も驚いたが、とりあえず名前だけは名乗ってみた。
「僕はセバスチャンです」
「そう。あなたはセバスチャンというのね。なら、お願いがあるの。今日は天気が良かったから窓を開けていたのだけど、ボールが突然入ってきたの。たぶん、このボールの持ち主が困っていると思うから、できれば返して欲しいのだけれども。実は私……。この部屋から出ちゃいけないことになっていて。是非、あなたにお願いしたいのだけれど」
女の子はちょっと困った様子で、上目づかいに僕を見た。よく見ると彼女は寝巻き姿だった。
「もちろん、そうするよ。というより、実はボールの持ち主からボールをとってくるように頼まれたんだ」
「まあ、本当。それは良かったわ」
彼女は安心したように微笑んだ。それから、彼女はもう一つ僕に頼みごとをしてきた。
「あとできれば、この水差しに水を入れてきてもらえるかしら。水がなくなってしまって」
彼女はそう言ってベッドの側の水差しを指差した。今、屋敷内には誰もいないことはわかっていたので、これもまたしかたがない頼みごとだった。それでボールをポケットに入れると、手に水差しを持って、僕はその部屋を後にした。屋敷の塀の側ではディンガム氏に怒られるのではないかと心配している少年達が待っていた。僕が何事もなかったように少年達にボールを手渡すと、さっきはあれほど怒っていたのに、それが嘘のように喜んでくれた。その後、水差しに水を入れると、僕は急いであの部屋へと戻った。
戻りながら僕の頭の中は真っ白だった。あの部屋に誰かがいるなんて思いもしなかったのだ。しかも女の子が屋敷の中にいるなんて、今まで誰からも聞いたことがなかった。彼女はいったい誰なのだろう。
お客人か何かなのだろうか。いろんな疑問と好奇心がむくむくと起き上り、僕の胸の鼓動はさっきより余計早まったような気がした。そしてもう一度あの部屋のドアを開くと、女の子はベッドの上で横たわっていた。彼女は窓から入ってくる爽やかな風を受けて気持ち良さそうに目を細めていた。
けれども僕が入ってきたことに気づくとすぐさま水差しを受け取り、ありがとうと言って笑った。よく笑う子だなと思ったが、どことなく陰りがあるように見えた。それは彼女が普通の人よりも透けるような白い肌をしていて、目に黒い隈があり、青白くやつれていたからだ。
寝巻き姿から察するに彼女は何かの病気の療養のためにこの屋敷を訪れているのではないだろうか。しかし、それにしても。なぜこんなディンガム氏の屋敷に彼女がいるのだろう。見るからに子供が苦手そうなディンガム氏がこんな子を預かるなんて、絶対おかしいし、それにあんな怒鳴ってばかりの人の側に置くなんてどうかしてると思った。それで僕は、彼女はディンガム氏の姪か何かで、たまたま今回不運にもディンガム氏の世話にならざるを得なかったのだろうと考えた。そうは言っても彼女にいきなり病気なのかと訊くわけにもいかず、まずは彼女の名前を訊くことにした。




