11
そうだったのか。それでディンガム氏は魔法を目の敵にしているのだ。ようやく理解できた僕は彼に言った。
「アリシアにはそのことは話されたのでしょうか?」
「いや……」
ディンガム氏は力なく呟いた。
「なぜ話さないのですか」
「話すことなどできるか。あの子は魔法を信じている。そのせいでそうなったなど言えぬ」
彼は頭を振って否定した。
僕は奇妙なものを感じた。魔法を頭から信じていないと思っていたディンガム氏は、実はそうではなかったのだ。そしてアリシアのことを想っているのだ。
「そんなにもアリシアのことを考えているなら、そのことを言ってください。アリシアだって理解してくれると思います」
「アリシアは私のことを嫌っている。言ったところで何になろう」
ディンガム氏はやつれた様子で額に手をやった。僕はこのままじゃいけないと思い、懸命に訴えた。
「言わないと分からないこともあると思います。言ってあげください」
すると彼は僕を黙ってじっと見つめた。そうしてしばらくして彼は言った。
「君はなぜそんなにむきになってるんだい」
「友人が困っている時に何かをしてあげたいんです」
ディンガム氏は卑屈に笑った。
「君は善き信者のようだな。だが君にできるようなことはない。それから君はもううちの屋敷に仕事に来なくていい」
僕は唖然とした。もうアリシアと会うことができない。僕にできることは本当にもう何もないのだろうか。ディンガム氏は呆然としている僕を残してその場を立ち去ろうとした。僕は慌てて彼を引き留めた。
「待って下さい。せめてあの魔法の本だけアリシアに返してくれませんか」
「それはできない。君も見たろ。アリシアの死人のような顔を。魔法に関わるとろくなことはない。アリシアの母親のようなことは二度とごめんなんだ」
彼は顔をしかめてそう呟いた。
「それではその魔法の本はどうなるんですか」
「燃やしてしまおうと思う」
その言葉を聞いて、僕の中で何かがはじけた。
「やめてください! それだけはやめてください。アリシアが悲しむようなことはやめてください。燃してしまうぐらいなら僕にくれませんか」
僕はディンガム氏を押し倒すのではないかと思うぐらいの勢いで彼の肩をつかみ揺さぶった。突然のことに彼は驚き、僕を突き放した。その拍子に僕は地面に尻をしたたかに打ちつけた。
「君の熱心さには負けたよ。そんなに言うならあの魔法の本は君にあげよう。郵便で君の家へ送っておく。それなら文句はないだろ」
ディンガム氏はそれだけ言うと、乱れた服を直し、そのまま立ち去った。僕はのろのろと立ち上がり、家族のもとに戻ると、家へと帰った。
それからしばらくしてディンガム氏からあの魔法の本が届いた。彼は約束通り本を送ってくれたのだ。それで僕は少しだけほっとした。アリシアの大事な本をどうにか燃やさずにできたのだ。これをいつかアリシアの元へと返すことができたら、その時こそ僕の仕事は本当に終わったと言えるのではないだろうか。僕は自室に戻るとその本を開けた。
アリシアが本を開いている時は中を見ないようにしていたので、実際どんなことが書かれているのか僕は全く知らなかった。開けてみてびっくりした。
たくさんの外国語の文が書いてあって僕には全然読めなかったのだ。英語が書いてあるのは本の数行ぐらいで、あとはギリシャ語なのか、ラテン語なのかはたまたドイツ語なのか僕には何語なのか理解することすらできなかった。これだったら僕が魔法の本の中身を見ないように努力する必要もなかったのではないかと正直思った。それと同時に僕はがっかりした。もし本当に魔法があるとするなら、アリシアとディンガム氏の仲を取り持つような魔法があってもおかしくないのではないかと考えていたのだ。それなのに呪文すら読めないなんてお話にならない。僕の手元に魔法の本があっても何の意味を成さない。僕はひどく失望した。
そのまま家の外へと出た。落ち込んだ気分を引きずらずに気持ちを切り替えたかった。家の側の柵に背をもたせかけながら、僕はため息をついた。目の前には畑があり、丹精こめて作られた農作物が青々しい実をつけていた。季節はもう初夏だった。気持ちのいい風が吹き、その一方で暑い太陽がじりじりと照りつけてきた。こんな時期に川辺で遊んだらどんなにか楽しいだろう。
その時、アリシアと一緒に写生した日のことを思い出した。アリシアはとても楽し気に川の様子を見ていたっけ。魚や蛙を捕まえたりしたら、彼女は何と言うだろう。きっと瞳を輝かせるに違いない。一瞬世界が明るく輝くような気がしたけれども、アリシアとはもう会ってはいけないという事実を思い出し、僕の心は再び落胆した。
ああ、あの本の中にディンガム氏の心を溶かすような魔法が書いてないだろうか。いや、ディンガム氏の心だけではない。アリシアの心も溶かすような魔法が必要だ。
今僕は本当に魔法を欲している。魔法の存在が半信半疑だった僕が魔法を欲しているなんて。なんておかしなことだろう。しかも手元には魔法の本があるっていうのに。
僕はもどかしい気持ちを拳に込めて、柵を殴った。ぱきっという音を立てて柵は中央から折れた。
僕はしばらく呆然としていたが、そのうち柵が壊れてしまったことに気づき、こんな力任せなことをしても意味がないことを悟った。壊れてしまったら直さなくちゃいけないんだ。ディンガム氏とアリシアとの仲が壊れてしまっているというなら、それはやっぱり直さなくちゃいけない。僕はそう考え、家から工具を持ってきて、その柵を直した。確かに手間はかかったけど柵は元通りになった。そう、僕も手間をかけないといけないのかもしれない。あの魔法の本。難しい言語で書かれてあるけれど、手間をかけて調べれば読めるようになるかもしれない。そうして魔法をかけよう、二人のために。




