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娘のことを想っての行動だ。今回も娘をあの部屋に閉じこめているのは心配だからにほかならない。
なのにアリシアはそうじゃないと言う。そこまで考えて僕は並木道の木々を見つめた。
木は空に向かって伸びやかに伸びている。この木のようにまっすぐに心が伸びて行くことができたなら、アリシアだってあんなに頑なな態度をとらなくていいのではないだろうか。実の父のことをあの人と呼び、心から締め出そうとする様子は見るに忍びなかった。
そしてあの魔法の本のことも気になった。アリシアが心の拠り所としているその本をどこかにやってしまうなんて、それはますます良くないことのように思えた。それはアリシアからお母さんを取り上げてしまうことと同じことなのだ。それを思うと僕は悲しかった。なんとかして二人の誤解を解くことはできないだろうか。そうしてアリシアの顔に本当の笑顔を取り戻すことができたらと切に願った。そう思いながらも今の僕には何もできない。僕は肩を落としながら家へと帰った。
それからの数日間というものの、僕は家と学校との往復だけで日々を終えていた。授業を受けたり、クラスメートとしゃべったりして過ごしたが、僕は常に心が晴れなかった。アリシアはあの部屋でどう過ごしているのだろう。健康体を取り戻したといってもあの部屋に閉じ込められていたら、余計具合が悪くなってしまうのではないだろうか。もしこのままアリシアと会えなくなってしまったら? 無事でいることは確認できたとはいえ、これは重大事項だった。せっかくアリシアの体が治ったというのに、それじゃあ意味がないじゃないか。その一方でディンガム氏のつんざくような怒鳴り声が蘇ってくる。ああ、あれじゃあ、やっぱり無理なのではないか。ディンガム氏は僕を許してくれないかもしれない。僕の胸には大きな落胆が下りてきて、日が経つにつれてそれはどんどん大きくなっていった。
そうは言っても日曜日は必ずやってきた。日曜日になるとうちの家族は皆教会へと礼拝に行った。牧師さんの説教を聞き、讃美歌を歌う。いつもと変わらない礼拝。その日も何の変哲もなく過ぎるはずだった。しかしそれは違った。礼拝が終わった教会の外で牧師さんとディンガム氏が何やら話をしていたのだ。信仰心のないディンガム氏が、教会に来ることなど滅多にないのだが、どういう風の吹き回しか、その日はディンガム氏がいたのだ。これは僕に残された最後のチャンスではないかと思った。屋敷の出入りを許されていない今、ディンガム氏に何かを言おうとするのは今しかない。僕は家族にその辺りで待っていてと告げると、ディンガム氏と牧師さんの話が終わるのを見計らって、彼に声をかけた。
「すみません。僕はセバスチャン・セルバラートです。あの実は……」
「セバスチャン・セルバラート?」
ディンガム氏は子供に声をかけられ、不機嫌そうに呟いた。それでも彼はどこかでその名を聞いたことがあると思ったのか、少し考える様子を見せた。そして彼は僕をまじまじと見つめた。彼の目にはみるみるうちに怒りの色が浮かんできた。
「きっ、貴様かっ!」
ディンガム氏は僕が自分の娘の部屋にいた男の子であることにようやく気がついたらしく、そのまま胸倉をつかみかねない勢いだった。けれども今いる場所が教会であることを思い出したのか、それは思いとどまったようだった。彼はもっともらしく咳払いを一つすると、僕に訊いた。
「それでセバスチャン・セルバラート。君はいったい私に何用なのかね」
彼は気難しそうに眉間にしわを寄せた。僕は怖かったが、アリシアのことを考えると意を決してディンガム氏に話した。
まずアリシアの部屋に無断で入ってしまったことを謝った。しかもそれはあの時だけじゃなくて、随分と前からあの部屋に出入りしていたことを僕はディンガム氏に包み隠すことなく告白した。ディンガム氏は大層怒った。
「じゃあ、貴様は私やアンドリューの知らないところで平気でアリシアと密会していたというのだなっ! 子供のくせになんという奴だ」
僕はそのままディンガム氏に思い切り殴られるのではないかと思ったが、やはり場所が教会ということもあってか、彼は胸ポケットからハンカチを取り出すと思い切りそれを握りしめるだけにとどめた。
僕は冷や冷やしながらも、そのまま先を続けた。
アリシアに魔法の話を聞き、アリシアがアリシアの母のことをとても大事に思っていることと、ディンガム氏に悲しい思いを抱いていること、そしてあの日魔法が行われ、僕もそれを目にしたことも全て洗いざらい話をした。
ディンガム氏は憤りを隠せないようだったが、そのうち徐々にしおれたように暗い厳しいむっつりとした表情になっていった。そうして僕が最後の言葉まで語り終えると怒った様子を見せずにただひたすらだんまりを決め込んだ。
僕はディンガム氏が何かしら口を開くのをじっと待った。しかし彼はちっとも口を開こうとしなかった。そこで僕はこう言った。
「僕がアリシアさんのお部屋に入ったのは本当に間違いでした。けど僕は本当に魔法を目にしたのです。そしてそれは効いたのです。どうかそれを信じてあげてください」
僕が頭を下げながら、真剣にそう言うと彼は遠い目をした。
「魔法を信じろと?」
彼の言葉にはどこか馬鹿にしたような調子があったが、それは間違いだった。
「魔法のせいであの子の母親はこの世を去ったというのに」
ディンガム氏の目には悲哀があった。
「それはどういう意味ですか?」
「魔法をするには夜が多いんだ。彼女は月の満ち欠けを気にしていた。この魔法にはこの月ではなくてはと、夜外を出ることが多かった。もともと体の弱かった彼女はそのせいで病気をこじらせこの世を去った」
ディンガム氏は今まで聞いたことのないような打ちひしがれた声で僕にそう告げた。




