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僕がそのモーリーの屋敷に出入りしていたのはたかだか、四、五ケ月のことだった。そこの主人は気難しくて誰が行っても、屋敷の仕事が務まることがほとんどないと評判の屋敷だった。そうは言っても、人手はいるということで、僕は両親から農作物の収穫や家畜の世話をしてくれる人を探しているようだから、おまえ行ってみたらどうだと声をかけられた。親としては僕の働きで家計の足しにしたいということのようだったが、僕自身も買いたい本などあったので、二つ返事で受けることにした。
初めてモーリーの屋敷の戸をくぐったのは、四月もまだ始まったばかりの頃だった。地面からは青々しい小さな芽が芽吹き、早咲きの花はのどかな日差しを受け、黄色や赤色の花びらを揺らしていた。そのまわりを飛び回る蜂は羽音を鈍く響かせ、春の訪れを喜んでいた。
僕もまた、厳しい寒さが過ぎ、ようやく暖かくなった風を感じ、本当だったらこの季節をもっと楽しむべきだったのかもしれないが、前評判の悪い主人と顔を合わせることを考えたら、また心だけ冬に逆戻りしそうな、そんな気がしてならなかった。
けれどもそうであっても、行かなくてはいけないということは分かっていたので、芳しくない表情を浮かべながらも、学校が終わるとまっすぐ屋敷へと向かい手入れの行き届いた庭を通り、大きな玄関を叩いた。叩いてから少しすると執事のアンドリューが戸を開けてくれた。
「いやいや、良く来てくれたね。さあ、入ってくれ。今ちょっと用があるから、もう少しここで待っていてくれないか」
アンドリューはそう言うと、僕を玄関広間に通すとまた忙しそうにどこかに行ってしまった。アンドリューと僕は教会の礼拝で何度か会ったことがあり、たまに挨拶など交わしていたので、顔見知りだった。しかし、彼がこの屋敷の執事をしていることなど、この話が来るまで予想もしていなかった。
というのは、執事というと、もっと折り目正しい紳士な人、どちらかというと神経質そうな人がやるべき仕事だと僕は思っていた。だが、それに反してアンドリューは近所の人の良い、気さくなおじさんにしか見えなかった。困っている人がいれば助け、どんなことでも引き受けてしまうお人好しだと、ここ界隈ではそんな噂が飛び交っていた。
僕は所在なげに、かぶっていた帽子を手に取ると、そのまま直立不動で、その場で待った。そうして正面の二階へと続く幅の広い立派な階段や広間の上に吊り下げられたきらびやかなシャンデリアなど普段見慣れない屋敷の内部に視線を泳がせていた。待ちながら僕は、それにしてもと思ってしまった。そんな評判の良い人と、評判の悪い人が、よく同じひとところにいるものだと感心してしまうというか、むしろそれがちょうどいい具合に働いているのだろうかと思わず思案してしまった。
そんなことを考えているうちに右側の廊下から靴音が聞こえてきた。一瞬アンドリューかと思ったが、アンドリューはさっき左側の廊下へと消えて行ったはずだった。靴音はこちらへ向かってくる音だった。それではいったい誰なのだろうと、僕は、顔を右側の廊下へと向けた。靴音が途切れた瞬間、その靴の主が姿を現した。その靴の主は僕を見るなり、
「貴様は誰だ」
と一声叫んだ。
僕は彼の声を聞いて心臓が飛び上がるかと思うぐらいびっくりした。それは彼の声の調子といい、風貌があまりにもいかめしい感じだったからだ。彼の顔は細面で体型は痩せ型、髪は白髪なので年をとっているようにも見えるが、顔つやや、肌の血色が良いところを見ると、実際の年齢はもっと若いに違いなかった。顔には頑固そうなしわが寄り、口元にはきっちりと刈り込まれたような口髭がのっていた。僕はとにかく自分の名前を名乗った。
「僕はセバスチャン・セルバラートです」
「セバスチャン・セルバラート」
彼は鸚鵡返しに僕の名前を呟いた。
「そんな家の者はあまり聞かないな。それでいったい何の用で今日は来たのだ」
彼は問い詰めるような口調でそう言うと、僕に鋭い視線を投げかけた。何と言おうか僕が言葉を選んでいるうちに、今度は左側の廊下から慌てたようにアンドリューが駆けつけて来た。
「ロバート様。どうされましたか」
アンドリューに訊かれて、その男はひどく機嫌悪そうに怒鳴った。
「部屋を出てこっちに来てみたら、この少年がいたのだ。いったいなんなのだ、この少年は」
「先日話しました、家畜や庭の仕事を手伝ってもらおうと思っている少年でございますよ。名前はセバスチャン・セルバラートと申します」
「名前はもう聞いた。おまえの年はいくつだ」
手伝いに来たという話を聞いても、彼の態度はいまだに横柄なままだった。
「十五歳です」
と、僕が答えると彼はますます機嫌が悪くなってしまった。
「十五だと、十五だと! そんな年端もいかない奴に手伝いができるのか」
「落ち着いてください、ロバート様。私が責任を持って教えますので大丈夫です」
アンドリューが取り成すようにそう言うと、彼の声のトーンは少しだけ低くなった。
「なら、よいが。後のことは頼むぞ。これから私は出かけないといけない。その、セバスチャンと言ったな。いいか、おまえは二階の一番左端の部屋には行ってはならないぞ。決して入ってはいけない、よいな」
彼はそれだけ言うと、アンドリューの用意した鞄を手に持ち、外套を羽織って、そそくさと出かけてしまった。僕が呆気に取られていると、アンドリューが気を利かして声をかけてくれた。
「何、いつものことさ。あの人の機嫌が悪いのは。君が悪いわけじゃないよ」
そう言って笑うアンドリューに僕は思わず訊いた。
「ひょっとして今の人が……」




