4 稚魚時代
2018/09/26 文章を修正しました。
衝撃の誕生日から体感でおよそ2、3ヶ月。
輝彦はイワ士という名前で魚として生きていた。およそ、というのは正確な1日がよくわからないからである。その間食べるものもなく、お腹の栄養だけで過ごしているうちに、ある程度体が大きくなっていた。
魚というのは生まれてからある程度大きくなるまで、お腹に栄養を抱えて生まれてくる。生まれたばかりは体が未熟で食べ物を捕まえることはできないが、しばらく食べなくても成長できるシステムがある。
そんなわけである程度成長もしており、栄養も使い切ってへこんだお腹を抱える輝彦達は、食べ物を探すため、というよりかは他の魚から食べられないために兄弟たちと一緒に、天井のない青い海の世界で、群れで生活している。
海面という天井も見えない薄暗い海の中を、流れてこんでくる海流に流されながら輝彦、改めイワ士兄弟達はチラチラと銀色の光を反射させてクネクネと泳いでいた。
…体の違和感?
人間として生まれるものと思っていたのに魚の体だったので、最初の2週間程は戸惑いがあったが、今はもう慣れていた。すでに魚になってしまっているのだからいやでも受け入れさせられる。
エラ呼吸とか、魚眼とか、尻尾やヒレを使った泳ぎ方とか、ウロコのみの全裸文化とか。
泳ぎ方なんてそれこそ自転車の乗り方と同じであった。
卵から出た兄弟達と一緒に何度も体をくねくねさせたり曲げ伸ばししているうちに、いつのまにか上手な泳ぎ方を体得していた。一度覚えれば意識せずにできるようになっていたからイワ士は自分でも驚いた事を覚えている。
(まあ、慣れなきゃ死ぬだけだもんな)
人間以外の動物の世界は弱肉強食である。
それはサバンナなどの動物テレビを見て、イワ士も理解しているつもりだった。魚は動物よりも過酷で生まれたばかりの小魚が、おやつ代わりに親にパクリと食べられることだってあると図鑑などにも書いてあったように思う。
だが、幸運にもイワ士達兄弟はまだ他の魚に襲われるといった経験はしていない。
こういったことが考えられるのは、イワ士が輝彦の時に一度死を経験しているからだろう。
だからといって死が怖くないかといえば、痛かったりとか苦しかったりとかろくなイメージがないので死にたくはないと思う。以前の死は痛みなどははっきりと体験しなかったのでこれといった実感もないけれども。
(じゃあ死なないためにはどうするか)
イワ士は他の兄弟達と違い、前世の記憶がある。
某小さくて赤い魚の話も、小学校の時に国語の時間で読まされた。
小魚がこの大海原で生きていく時、群れるには理由があるのだ。それは群れることで自分たちを大きな魚だと偽って敵に食べられないためである。
イワ士の生前の記憶の唯一役立ったことであった。
…まあ、兄弟たちは自然とやっていたのだが。
本能がそう教えてくれるらしいが、人間だった時の記憶が影響しているのか、イワ士に本能さんとやらは何も教えてくれそうになかった。
むしろ前世の記憶が無い方が魚生としてはいいのかもしれないと、エンマ様の言葉の意味を思い知るイワ士であった。
「イワ美。はぐれてるのは居ないな?」
「イワ市兄さん、大丈夫よ。イワ矢が少し外れそうなくらいだけど、あいつはいつもああだから」
「すぐそうやってイワ美姉さんはイワ市兄さんにバラしちゃうんだから」
先頭を切るイワ市兄さんは後ろをいつも気にしている、誰からも認められるリーダーである。一番しっかり者で落ち着いており、いつも落伍者がいないようにイワ美姉さんに確認している。
イワ美姉さんはそんな兄さんをサポートするように兄さんの後ろをついて泳いでいる。群れ全体の個性や名前を全て把握しているという才媛だ。
そんな姉さんに注意されたイワ矢はまだまだ甘えたいのだろう。群れから逸脱しない程度にはしゃぐ少し問題児だ。
そんなイワ矢にイワ児兄さんがたしなめる。
「大体イワ矢が最初に何かやらかすからな」
「イワ児兄さんまで、ひどいよぉ」
「「「あはははは…」」」
イワ児兄さんはイワ市兄さんと違って少し豪快な感じだ。体つきもシュッとしたイワ市兄さんと比べ、イワ児兄さんはがっしりした体幹を持っている。けれど、豪快さを伴った思いやりのあるイワ児兄さんだから、注意されたイワ矢も一緒になってみんなと笑い合う。
イワ士はそんなみんなを見て、とても嬉しく思えた。
産まれた時に苦しかった体だったが、慣れるまでみんなそばにいてくれた家族だった。
だから前世が人間だったイワ士も、人間だった頃よりも気軽に話し合えていたし、魚であるショックもすぐに薄れた。
周りがいい魚たちに囲まれていたので、生前の記憶が使えるチートでなくとも、イワ士は十分幸せだったのである。
(………未だに誰が誰なのかわからないけどな!)
…なにせイワ士は元人間である。
誰を見ても魚としか認識できないのだった。
イワ市、イワ児、イワ美はなんとかわかるのだが… なにせ総勢1000匹の群れなので。
その数はイワ士の処理能力を超えていた。
普通なら相手が誰かわからないことによってコミュニケーションが苦手となり、そのまま群れからフェードアウトしていきそうなものだが、イワ士の群れは心地よい群れであった。
ちなみに兄弟1000匹の名前のつけ方は法則性がある。みんな1から1000の宛て名とイワの名字がくっつけられている…みたいだ。
イワ士という名前も産まれた順番で4番手だったから。
イワ + 4番手 = イワ4 → イワ士 である。
10番目以降はイワを付けると長くなるので大体イワを省略して呼んでしまうが、正式にはイワ◯◯となっているらしい。
今日もこのイワ一族といつものように泳いでいた。イワ市兄さんが先頭で、そこから順にイワ児兄さん、イワ美姉さんと続き、輝彦であるイワ士以下が並ぶ。
産まれた序列であり、下手に最初に生まれて群れを任されても前世の人間記憶があるイワ士では困っただろうから、イワ士はイワ市兄さんの弟として生まれたことを感謝していた。
「イワ士、疲れたか?」
「えっ?」
イワ市の声で物思いにふけっていたイワ士は前を見る。心配そうな顔でこちらを見るイワ市と兄弟たちと。
どうやら考え事に没頭しており泳ぐスピードが知らず知らずのうちに落ちていたらしい。
慌ててイワ士はイワ市の後ろまで追いついた。
「大丈夫だよ。みんなと兄弟でよかったなーって思ってただけだから」
「そうか…」
イワ士が安心したような笑顔でそういうと、イワ市が微笑みながら尾びれでサッと優しく頭を撫でてくれた。
そのさりげない優しさがなんとも嬉しく、人間の時に両親から与えられて以来の暖かさについ甘えてしまうイワ士だった。
「あーっ。ずりぃぞ!」
ちょっとむくれてそんなことを言うイワ矢に、やっぱり笑顔がこぼれるイワ士達兄弟たちであった。