23 小さな勇気
テルは振り返った。
テルの背中を押したのは子供のサメだった。ということは先ほどの叫びもこのサメの声だったのだろう。
そのサメをが漂っているのを見やると、その背中から血が漂っているのが見えた。それと同時に、あの嫌な臭いがしていた。
血の臭いだ。
「油断しおったな、バカめが! このダイアがそう簡単にやられるものか!」
ダイアの体からの流血は治まっていない。体にはテルが刺した槍も突き刺さっている。それでもなおダイアは敵意をむき出しの状態で立っていた。
だが、テルはそれよりも身代わりとなって海底の海藻付近を漂う子ザメの体を見るので精一杯だった。
それは慢心だった。
もう倒したという慢心だった。
剣道、柔道、弓道。
現代日本の武道と言われる競技には絶対に共通の仕草がある。
それは残心。
戦いの勝負がついた、と思った後からしばらくの間、仕留めた敵に心を残しておく動作である。もし敵が先ほどの一撃で死ななかった場合。最後の力でこちらを攻撃して来た場合にすぐに対応できる心の準備をしておく、という教えであった。倒した、という慢心を戒めるものである。
現代日本ではそれらを重視する者は少ない。だが、上級者であればあるほど残心は特に大切にしているのであった。
まあ、そもそもそれらの武道を学んでこなかったテルはそんなことは知らなかったのだが。
だが、この慢心自体は2回めである。
1度めはレベル99となって、魚では最高だという慢心からブリによってイワ美が殺された。
2回めの今回は敵を倒したと思って、ダイアの品詞の反撃で子ザメが瀕死になっている。
どちらもテルが受ければ重症となる攻撃を別のものに身代わりになってもらっているのだ。
そんなことは
「許せないだろ……!!」
テルは抑えていた怒りを解き放った。
ダイアは右腕と体を槍で貫かれ固定されている。残った左拳を振りかぶって殴りかかって来た。
テルの視界は真っ赤に染まる。決してダイアの拳が当たったわけではない。怒りで視界が真っ赤になっているのだ。
ギリギリの理性が迫る拳を避けさせた。
ブンッ
「ーーーーーーッ!!!!」
「ああああああああああああ!!!!!!!!!!」
空振りをしたダイアは声にならない叫びをあげる。それは焦りだったか恐怖だったか。歪んだ視界にヤリがいっぱいに迫る。
雄叫びをあげテルは、構えたヤリをダイアの左目に渾身の力で突き入れた。
魚人の構造が人間と同じとは限らない。しかし、目の奥、脳を破壊されて生きる生物はまず居ないだろう。
ドズンッバキィ!
「がぁああああああ!!!!」
「ホオオオォォォォ!!!!」
雄叫んだテルが突き入れたヤリにさらに力を込めると、突き入れたヤリが持ち手から折れる。
それに呼応するようにダイアが断末魔の声をあげ全身が痙攣する。目の光は急速に失われ白く濁った。
ダイアは完全に死んだ。それを確認してから急いで子ザメの方に駆け寄る。
「おいっ! 大丈夫か! ぉおいっ!!」
テルは強く子ザメをゆするが子ザメの反応は非常に小さかった。テルは何度も何度も子ザメに呼びかける。
「聞こえるか? 返事をしろ。……してくれっ!!」
「………おじさん」
かすかな返事が聞こえテルは一瞬喜ぶ。だがテルは感じ取っていた。
明らかに捻じ曲がった体。体の内側から突き破っている骨たち。きっと内臓もぐちゃぐちゃになっているのだろう。今は辛うじて生きているが体はもう既に半分以上死んでいた。
これはきっとろうそくは燃え尽きる瞬間が1番輝く、というやつなのだと。
それでもテルは聞かずにはいられなかった。
「大丈夫か? なあ、大丈夫か!?」
「………だ、だいじょう…」
子ザメの言葉を聞き漏らさないようにテルは耳を子ザメの口に近づけた。そして聴いてしまった。
「おじさんは、大丈夫?」
「ーーーーーー!!!?」
子ザメはテルの体を心配していた。それと同時に大きな間違いをしていることに気付かされた。
子ザメが母ザメから出てきて、とどめを刺されそうで逃げまどっているのを見た時、テルは同じだ、と思ったのだ。自分と同じだ、と。
だがそれはとんでもなかった。
テルは未だに他人の死よりも自分の死の方が怖い。だが、この子ザメはこの年ですでに自分の命を失ってでもだれかを守りたいと願っていたのだから。
「なあ、だれか。だれか何とかできないのか?」
「………………」
「なあ、誰かっ!!」
周りに集まって来た魚人たちを見回すが、誰もこの瀕死の消えゆく命を救う手立てはなかった。続いて叫ぶテル自身、きっと誰も、何もできないとわかっていた。
テルの手の中から子ザメの体温が失われていく。この熱は命の熱だ。これがなくなった時、きっともうどうしようもなくなる。目も白く濁って来ており、近くで既に死んでいるダイアの死相ににていてひどく怖かった。
ひどく怖かったが、それで終わりではない。
恐怖の中でもまた、足掻く力をテルは手に入れているのだから。
諦めず周りを見回すテルはティガで視線が止まる。ティガが不思議そうな顔をしているが、ティガ自身はどうでもいい。問題はその体にできた傷だった。
その傷が出来た経緯を思い出し、テルは弾かれたように動き出す。子ザメを抱えて。そして可能性に向けて走り出した。
「タコス! タコスはどこだ!!」
「どうしたんだ?」
少し離れた位置にいたタコスはテルに寄ってくる。戦闘の巻き添えにならないように離れていたが、戦闘が終わったのを感じ取り近くまできてくれていたのだろう。
それが非常にありがたかった。
子ザメをタコスの前に差し出しお願いをした。
「こいつにジンカをしてくれ!」
「いやだ」
一眼でサメを見て取ったタコスは、しかし、テルの要求を断った。
(なぜ?)
断られるとは思っていなかったテルは、子ザメの頭に手を当てるタコスの様子を空っぽの頭で見ていた。
しばらくするとタコスが口を開く。
「……そうか」
それは小さなつぶやきだった。それと同時に燐光が子ザメを包み込む。紛れも無いジンカの光だった。
断ったのになぜ? という疑問が浮かんだが、とりあえず成功だ。
テルがティガの体の傷を見て気づいたのはジンカによる回復機能だった。ティガはジンカするとき瀕死だった。しかし、ジンカをした後傷は塞がっておりジンカも成功していた。これを利用すれば瀕死の子ザメも回復するだろうと考えたのだった。
そして強い光は収束し、ジンカは完了した。




