2 転生
2018/09/11 文章を修正しました。
意識の集約、構成、現状把握……
包まれるような優しいまどろみの中からふと意識が覚醒すると、輝彦は自分が立っていることを認識した。
それと同時に自分の体の状態が『先ほどまで意識がないのにも関わらず立っていた』という不自然な状態であると認識した瞬間、平衡感覚を失いふらふらと体勢を崩してしまった。
ドスンッ!
「うわっ! ……っててて。なんだっていうんだ?」
バランスを崩して尻餅をつき、したたかにケツを地面に打ち付ける。その衝撃で一瞬目の前に火花が散り、視界が縦に引き伸ばされたように歪む。
その衝撃が体の芯から抜けてようやく辺りを見回すと、そこは赤一面の世界だった。
いや、実際は少し違う。
歪んだ視界が徐々に回復していくと、それらが赤い色で塗りたくられた柱、壁、梁だということがわかった。柱の先や床に近いところは金色の装飾が施されており、中華様式の豪華な建物といった趣を醸し出していた。床も赤い色で塗られており、体を支える手のひらの感触からは木材なんだろうな、という感触を感じていた。
「ここは…… どこだ?」
そう、建築様式とかそういった分析はどうでもいい。問題は輝彦がこれまで見たことのない場所だ、ということだ。
輝彦は別に華僑だとか中国マフィアとかと仲がいいわけではない。そういった知り合いももちろんいない。普通よりも少しコミュ障なオタクサラリーマンなのだ。
これまでの人生で中国庭園に行ったこともない。インドア趣味が高じて外出もあまりしてこなかったから中華街にすら行ったことがないくらいだ。近年、不況により社員旅行で海外旅行のような遠出もすることがない。
完全に自分と縁のないところに、目が覚めたら立っている?
明らかに夢の中であった。そうでなければとんでもない異常事態だった。
仕事のストレスで夢遊病かなんかになったのかな、と輝彦がセルフジョーク交じりに病院の受診を検討し始めた頃。
「意識を取り戻したようだな」
そんな腹の底から響くような、ひどく重い声が聞こえてきて輝彦は震え上がった。
それはそうだろう。完全に1人だと思っていたところに声がかけられたのだ。
慌てて周りを見回すと、正面に立派な机が置いてあるのがわかった。そこには忍者漫画などでたまに見る巻物が大量に置かれている。丁度その中の1つがするすると上に登って行くところであった。
手品や見間違いなんかではなく、その両側には人の胴回りほどの大きな指があった。そのまま輝彦が視線を上げると、昔話なんかに出て来る鬼のような赤くてヒゲもじゃの顔が浮かんでいて、驚きに輝彦は少しだけ息を飲む。
その顔は昔話などで聞くエンマ様そっくりの顔であり、少しだけダルそうな表情を浮かべてこちらを覗き込んでいた。
「まだよくわかってなさそうな顔をしとるようだが、面倒なんで最初に言っとくぞ。お前は脳梗塞で死んだ」
「は? …あぁ、はぁ」
そのエンマ様みたいなやつの言うことがいまいち理解はできていなかったが、輝彦はとりあえず頷いておいた。
この世の中、偉そうなやつや怖そうなやつには頭を下げて生きる。
それが輝彦がオタクの道に入ってから今まで社会人として生きてきた処世術であった。
つまり、輝彦は現状をほとんど理解してはいなかった。
輝彦が理解しきっていないであろうこと、を理解したエンマ様みたいなのはさらに告げる。
「まぁすぐには理解できんだろう。理解する必要もないが、今後のお前の魂がどうなるか申し渡しをしなけりゃならん」
「はぁ、死んでるんですね。今後の申し渡し? ……あぁ、生き返るとかいうのはないってことですかね」
「そりゃそうだ。ある意味寿命だからな」
鬼顔のエンマ様はこれから起こるであろう面倒ごとを想像したのか、明らかに少し嫌そうな顔をした。
輝彦は知らないがこれまで多くの人間が自分の死を告げられたとき現実逃避をし始め、エンマ様や周りのせいにしたりする者もいたのだ。
実際にはたとえ実力行使に訴えて暴れたとしても困ることはない。周りにはそのために荒事になれた鬼たちが控えているのだ。ただ、嫌味などを言われれば気分は悪くなる。
胃に穴が空く同業者も少なくない。エンマ業が神界の公務員であるにもかかわらず、あまり人気がない1つの要因と言われている。
エンマ様の目から見れば、目の前の太り気味な男もきっと、うまく言葉を使えば生き返れると思っている輩の1人だと思えたのだった。
しかし、輝彦はそういう者達とは少しだけ違った。
元々人間はいつか死ぬんだし、死ぬのが少し早まっただけという死生観の持ち主であった。好きなゲームやアニメのように、輝彦を好きなヒロインが生き返るのを待っている、などといった生に固執する強い理由もないのである。
死んだ時に強い痛みなどもなく、死んだという実感が湧きにくい死に方だったのもあるだろう。輝彦は死んでしまっていることに関しては素直に受け入れていた。
やっていたゲームデータだけが心残りだが、死んだあとまでしたいほどではない。
……会社のことがまったく頭をよぎらないのはさすがと言えるだろうか。
「寿命なら仕方ありません。この後、魂はどうなるんですか?」
「お前の今まで生きてきた事を照らし合わせて、これから魂が行く先にどうしてそこになったのかの説明をだな…」
「あ、そこらへんはいいです。聞いても多分あまり今後に活かせそうにないんで」
「そうか? なら言葉に甘えよう」
輝彦としては聞いてどうするのだ、ということだ。今までの人生がそんなに他人に誇れるようなものでもなく、聞いてみるに行く先はもう決まっているようだ。
ここでもっといい転生先を、などとごねてもいいことはない、どころか悪くなる可能性しかないだろう。
校長や係長のような面倒くさい話ならば、聞き流してさっさと次の人生をした方がマシである。人に自慢できるような人生ではないと自覚している輝彦としては、死んでまで人からあーだこーだと言われたくないのだ。
実はエンマ様にしても大助かりであった。
普段なら死んだ直後で混乱している魂をほぐして、これまでのその魂の行いを説明して、それに見合った次の行き先を伝えて、納得させて送り出すのである。
それを毎日、死人の数だけ行う。
とてもではないが時間がかかってしょうがない。
実際、輝彦の後にも行列ができており、とてもではないが1日では捌き切れない人数が待ち構えているように思えた。受け持ちのエンマの数も少ない。不人気職の弊害であった。
「お前の今後の行き先は、お前が生きてきた世界と違って人間の文明社会がそこまで発展しておらず、下級な神が勢力を争っている世界だ」
「え?」
それまで輝彦はこの場所をさっさと終わらせたい気持ちであった。嫌な話ほど表面だけ従い、さっさと終わらせるのが輝彦である。
しかし、聞いてみると神がいるとか、なんとか…?
輝彦は目の前の神様かもしれないエンマ様に訊いてみた。
「神、様がいるんですか?」
「ん? ああ、いるぞ。お前たちの世界でいうところの魔法とかもあるな」
「マジすか!?」
輝彦の目つきがそれまでヤル気のなかったものからがらりと変わる。
てっきりお節介の説教くらいに思っていたらエンマ様の話だったが、実際は剣と魔法の世界にご招待されるステキな勧誘だったのだ。
そこで最も大事な事を聞いてみた。
「生まれ変わりって事ですよね? 記憶とか消されるのが一般的だとは思うんですが、記憶を持ったまま次の生をおくれたりはできませんか?」
「ん? 普段なら許されないが、お前のケースではできなくもないぞ」
「ならば是非! お願いします!!!」
そう、記憶の引継ぎである。
輝彦は子供の頃、自分の前世についての記憶を持っていなかった。それはどういう事か?
答えは簡単だ。
前世の記憶は消されて、まっさらの状態で人生が始まるからだろう。
しかし、そこで大人の記憶を持って生まれれば、生まれた時点で周りの人間との間におっさん生40年分の開きができるのだ。
子供の頃には運動ができるものがヒーローだと、理解しているのとそう出ないのとでは大きく違う。小学生程度の計算だって苦労せずとも出来るのは大きな差だろう。
なぜか気恥ずかしくてあまり接することができなかった女子達とも、大人の知識を持った輝彦であれば恥ずかしがらず積極的に交流だって出来る。
子供の時からうまく生きれば美少女なんかに手を出して、ゆくゆくは美女を奥さんにする事だってできるかも知れない。そのためには、どうしても記憶の引継ぎは外せなかったのだ。
輝彦の謎の迫力に、先ほどまでの気弱そうな男と同じとは思えない強烈な力強さを感じて、つい頷くエンマ様だった。
輝彦はオタクサラリーマンである。もちろん生前は転生モノの小説なども大好物であった。
その主人公になれる!と凄く浮かれていた。
だからこそ気づけなかったのだ。
普段なら許されない記憶の持ち越しが、なぜ許されたのか。
神様やエンマ様に顔も効かず、体力、知力共にそこまで凄くなく、かといって心が高潔であるとは決して言えない輝彦が、なぜ記憶の持ち越しを許されたのかを…