14 マーマン
ジンカできる、ということだったがしばらく待ってもらった。
ジンカによる強化はすぐに受けたいのも山々だったのだが、いくつか問題もあった。
それはジンカによるデメリットとも言える部分。
以前ノエから聞いた話では、ジンカをすると同族ですら『エサ』にしか見えなくなってしまうということだ。
それは同族ですら美味しそうくらいしか思えなくなってしまうということであり、テルとしては兄弟を食べるのは避けたい所だった。ただでさえテルには兄弟の個々の違いでさえよくわからないのだから。
だから、兄弟もジンカしてもらえるようにタコスをある場所につれてきていた。
それは仲間たちが無残にも食い殺されていた現場。あの場所ではテルは正気を半分失っていたが、それでも感じていたのだ。無事であろう仲間の臭いを。
流石に時間が過ぎすぎているので臭いも消えているかもしれないが、もしかしたら兄弟がいるかもしれない。せめて会える兄弟くらいはジンカしておこうと思ったのだ。
兄弟をジンカするのはもう1つ理由がある。
ダイアを倒すために力が足りないのだ。
ダイアの周りには取り巻きがいた。それはつまりダイアは他のものよりも力があるということだ。
カリウム城の支配者である少女を檻に閉じ込めているのだ。政治的な権力も持っているのだろうが、それよりも腕力で周りを従えているのだろう。
ジンカしただけでそんな実力者に勝てるとは思えない。
そもそもが魚の中でも弱い部類のイワシなのだ。魚に弱いと書いてイワシなのだ。栄養豊富なのはこの際おいておくとしても、ぶつかり合いに弱い種族がジンカしただけでダイアに勝てるほどに強くなれるとは到底思えない。
力では勝てない。ではどうすればいいのか。答えは簡単である。
数を揃えればいい。
スイ◯ー作戦である。あの話はこけおどしの話だが。
泳いでいるとブリと戦った辺りに来た。
もう少し泳げば目的地に着く。そんな距離だったが、ふと、視界の隅に揺らめくものがあった。
何かと思い近づいてみると黄色い縞模様の長細い大きな巨体。
それはブリと死闘を繰り広げたウツボであった。
「テルさん。あれはヤバいッスよ。逃げるッス」
「だけど…」
ノエが忠告してくれるがテルは逃げる気にはならなかった。ウツボは明らかに満身創痍であったからだ。
体のウロコは剥がれ、いたるところに傷がつき、牙も根本から折れてボロボロとなっていたのだ。血も多く流れており目の焦点もどこか虚ろで、合っていないように思えた。
エサを食べたとしてもいずれ死ぬことには間違いない。しかし、それはウツボの自尊心を損なう理由にはならないのだろう。ボロボロだったが口を大きく開けてこちらを威嚇する。
元はと言えばこちらがブリをウツボの住処に連れて来たから重傷を負っているのだ。
そのことに責任を感じたテルは話しかける。
「話はできるか?」
テルの言葉に、驚いたように威嚇していた口を閉じるウツボ。ややあって答えた。
「ああ」
「俺たちは今からジンカをしに行くんだ。お前も一緒に行かないか?」
テルはこのウツボも仲間にしようと思っていた。そこにはもちろん打算もあった。イワシの魚人だけでは勝てないのではないか。ウツボほどの力があれば心強い。また、傷だらけのウツボに恩を売ることもできる。恩を売ればいきなり敵対することもないだろう。敵対してもこちらもジンカするのだ。人間と人間のサイズなら、イワシとウツボのサイズ差程の悲惨なことにはならないだろう。
「何言ってるんすか。下手したら食べられるッスよ?」
「大丈夫、だと思う。多分な。問題はジンカしても大丈夫かどうかだが」
「何匹でもいいぞ。ジンカ自体はそんなに大変でもないからな」
ノエとしては断固反対らしい。
それはそうかもしれない。テルが襲われても基本何も言わないノエが、ウツボに食べられそうになったときには忠告をしたくらいだ。何かトラウマでもあるのかもしれない。
しかし、テルはそんなに気にしていなかった。
このウツボは対話をしたのだ。相手を黙らせるほどの力が残っていないのだろうし、ジンカしてすぐ襲ってくるということもないだろう。
問題はタコスがジンカをできる人数だったが、特に制限はないようだった。
ならば何の問題もない。
「傷はすぐに治らないかもしれないけど、今すぐ死にそうな状態からは抜け出せると思う。元気になったらこっちのお願いを聞いて欲しいんだが」
テルの言葉を少し考えて、ウツボは答えた。
「このままじゃどのみち死ぬだけだ。ついていく」
「よろしく頼む」
そして、瀕死のウツボと一緒に進むこととした。
ノエが呆れた声を出す。
「テルさんは物好きッスねぇ」
「今は少しでも味方が多い方がいいからな」
そうこうしているうちに兄弟たちが食べられていた現場に着いた。
果たして仲間たちはいるのだろうか。
そんな不安とともにあたりを探していると。
「兄さん。そんなところにいたのか」
そんな声が聞こえた。
テルが驚いて振り返ると、そこにはイワシの群れが泳いでいた。
「生き残りの99名、全員揃いました」
「指示を、イワ士兄さん」
「な、なんで?」
テルとて誰かいるかもしれない、という思いはあった。
しかし、まるで全員が申し合わせたようにこの場に集まっているのはどう考えても不自然だった。テルの疑問も当然のものだろう。
その答えは口の中から出て来た。
「イワシという魚は何らかのテレパシーを持っているのではないか、と言われているッス。だから先頭の1匹が右に向こうとした瞬間に群れ全体が右に向けるのだと。テルさんはなぜかその力がないような動きをしていたッスけどね」
「そうだったのか…」
「あんまり細かい思念はわからないですけどね。イワ余市です。イワ士兄さんがここに仲間がいて欲しい、という思念を飛ばしたのを感じてみんな集まって来たんですよ」
ノエの言葉はテルにとって初耳だった。テル自体は受信機能が壊れているのか、元人間としての影響か、周りの兄弟の思念はわからないが、とても感謝した。
それに合わせてみんなの顔が少しだけ和らいだ気がした。やはり伝わっているのだと思う。
「でも、俺はみんなをまとめることはできない。おれは一度みんなを捨てて逃げたんだから。おれはただの1匹のイワシ、テルに過ぎない」
テルは嬉しかったが、兄弟が生きているかもしれないと知った上で群れを逃げ出したことも忘れていなかった。群れの長になってみんなを率いる事を、恐怖に押しつぶされてできなかったのだ。
だが、目的も忘れていない。
「それでも俺についてきて、一緒にイワ美姉さんやイワ吾たちの仇を討ってくれるなら、力を貸して欲しい」
みんなから目をそらさず言った。
そう、ここには群れを率いる長がいない。群れを託したイワ吾やそれに準じるものたちが。
イワ余市が代表して話したということはおそらく11番目が一番年長なのだろう。1000匹いた群れは今やテルを合わせて100匹まで減ってしまっていた。
「『それでも』そう、それでも僕たちはみんなイワ士兄さんについていきますよ。習性もありますが、僕たちが周りに怯えないように色々手を探してくれている兄さんですもの」
「もうイワ士の名前は捨てたんだ。テルでいい」
「わかりました。テル兄さん」
兄さんもいらないとは思うのだが、きっとこの兄弟たちはそれは辞めないんだろうな、と思った。
とてもありがたい兄弟である。
そして、話はついた。
「タコス。頼む。俺たちにジンカをしてくれ」
「ああ、いいとも」
ちょっと生意気な支配者の子供は、テルたちを一箇所にまとめると右手を掲げ目を閉じた。
淡い燐光がタコスの体を徐々に包み始め、テルたちの体にもまとわりつき始める。
徐々に光が淡い光から力強い光に変わり、目も開けられないほど激しく光りだす。あまりにも強い光にテルも目を開けられなくなり強く目を瞑る。
その後、身体中が熱くなり、体に違和感がまとわりつく。
水のような、粘土のような。
やがて光が収まると目を開けた。
そう、目をつぶっていた状態から、目を開けたのだ。
それを理解した時、テルは自分の体に起こった奇跡に気付いた。
「に、人間だ」
そう、目を閉じて開く。それはまぶたがないとできない動きだ。
魚にはまぶたがない。なくても海の中で目は乾燥しないからだ。まぶたがあるのは人間の証拠。
手を持ち上げると、たしかに手がある、足もある。今まで見えていた視界ではなく前が立体に見える。
体の色は少し青白いものの、ほぼ人間といっても過言ではなかった。
顔は鏡がないのでよく見えないのだが。
「魚人だな。これでお前たちは力を得た。」
タコスの言葉に顔を上げると、そこにはテルの胸くらいの少年がいた。
改めてタコスの大きさがわかる。タコスが120cmくらいだとするとテルは160cmくらいだろうか。
周りを見ると、兄弟たちも大勢いた。やはりみんなテルと同じような背丈だった。
「最初のサービスとして服はつけといた。感謝するように」
テルはタコスに今ほど感謝したことはない。
兄弟たちがそれぞれウロコっぽい適当な服に身を包んでいた。全員がすっぽんぽんだったらどうしようかと思ったところだ。そこまで頭が回らなかった。兄弟の中には女ももちろん相当数いるのだ。兄弟姉妹で欲情はしたくなかった。
しかし、これまで魚で暮らして来て性的な衝動はなかったのに、どうして魚人ではほとんど人間的思考になるのかがわからない。やはりジンカは万年欲情する『人間』化なのだろうか。
(そうだ。ステータスを見てみよう)
それはテルのたまたまの思いつきであった。
テル
職業 イワシLV99
マーマンLV1
装備
職業にマーマンが増えていた。
それはいい。しかし、
ノエが消えていた。