1 佐賀 輝彦
2018/09/11 文章を修正をしました。
佐賀 輝彦は人間である。
もう少し詳しく書くとおっさんである。年は40歳。
運動不足のため腹回りについてきた脂肪と毎年の健康診断が気になるお年頃であった。
今日も今日とて仕事から帰って、1日の汗をシャワーでザッと流し、コンビニ弁当を食べて寝る。その時にビールの1つでもついていれば幸せな、ごくごく平凡なサラリーマンであった。
いや、平凡とはほんの少しだけ違う。
「今日からイベントだし、寝るのを我慢して、頑張って攻略するか」
彼は誰に言うでも無く独り言を盛大に呟いて、布団に横になりながら携帯をいじる。最近流行りで複雑な操作不要の、可愛い女の子たちが戦うスマホゲームだ。
普段鍛えていたキャラを、試すことができるイベントに興奮する輝彦。
そう、彼はただの平凡なサラリーマンではなく、オタク趣味の独身サラリーマンであった。
趣味に自分の時間の大半を使っているためか営業成績もあまりよくなく、同じ部署の同僚からはこっそりと陰口を言われたりしている。だがそんな彼自身はどこ吹く風、と気ままに独身生活をエンジョイしていた。
別に独身であることにこだわりはない。薄い画面の中ならばいざ知らず、現実では恋もしたことがない。人付き合いが苦手な彼は誰かに好かれるでもなく、孤独なその人生に十分満足していた。
都市伝説では、いわゆる魔法使いになる年齢を超えた、その先にいるモノであった。
好きな声優が出ているアニメを録り溜めて、いつ見るとも知れないHDDにしまいこみ、大人向けの本を買いあさり、楽しくゲームをしていればある程度満足する。
家族から独り立ちして随分立つ輝彦には、刹那の快楽こそが幸せのすべてであった。
ただ今日に限っては、そんなおっさんのささやかな幸せは、そんなに長くは続かなかった。
次第に落ちて来るまぶた。ふと気をぬくと意識を失いそうになったりする頭。そして足が痺れたように感覚が鈍くなり、あまりうまく動かない指。
布団に寝転がりながら横目で時計を見ても20時半。夜更かしを得意とする輝彦には、眠気が来るにしても早すぎる時間だ。
心当たりといえば風呂上がりに飲んだ1本の缶ビールくらいである。
「あるぇ? そんらり酔うほろ、飲んれららなぁ?」
(しかし今日はイベント。頑張らなくっちゃあ…)
輝彦は自分の呂律が回っていないことにも気づけなかった。
会社のお酒付き合い自体は、自分の時間がなくなるのが嫌で断っているのだが、飲み会の席で飲まされまくっても不思議と気持ちよくなるだけで、目が回ったり記憶をなくしたりといったことは今まで経験したことがないのに、である。
歳をとって酒に弱くなったのかな、などと思ったりしていたが、そう考えている間にも視界がぐんにゃりと歪み始める。
輝彦は意識を繋ぎとめようとしていたが、急速に意識に霧がかかってきて、ついには意識していないうちにまぶたを閉じてしまった。
ぼとんっ
消えかけの意識が、手からなにかが落ちたことを音で知覚したが、それをなぜ手に持っていたのかも、いま自分がどうしたいのかも曖昧になって、ついに意識は深く深く闇の中へ落ちて行った。
数ヶ月後、あるアパートで独身男性が住んでいる部屋から強い腐臭がしていると、近隣住人から通報があった。彼が家賃を滞納していることから、踏み入った大家と警察官によって、彼の死亡が判明した。
死因は脳梗塞。
死後数ヶ月はたっており事件性もないことが判明したため、成人男性の孤独死と処理された。
ありきたりな話題はテレビのニュースになることもなく、関係者の記憶からすら、まるで最初からなかったかのように消えていった。
ありきたりな世界の、よくあるお話だった。