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平行線の交点  作者: あじふらい
第一学年
9/21

完璧な隠蔽などない

頭は良い男の子。

ノストが助けたあの(ニファ)族の外見の少年は、イリン・シュルエルと言う。宗教的地位はその特性により与えてもらえなかった。


彼は自身の全てを全否定されて生まれてきた。赤子の頃はその肌や髪色を見て、父親は母親の不貞を疑ったようだった。母親はなんとかそこから免れ得たものの、彼はその憎しみを一身に背負わざるを得なかった。

唯一親切であったのは、平民落ちした護衛のリギと料理番のテッチだけであり、彼以外は子から老人に至るまで、全て彼を憎んだ。

そしてリギとテッチも表立っては味方できないでいた。


住む場所を納屋にして毛布なしで過ごさせたり、毒を盛ったりと、食事を抜かれたのもよくあることだった。今まで彼が生きてこられたのは皮肉にもその血脈ゆえのものだった。

そしてある日、実家の最後の情けで行った学院で、ノストという少年に出会った。


彼はありがちな顔であり、貴族の美形が多い中で埋没できる標準的な美形というものを体現していた。特徴がないが、目立ちもしない。教員がサフラマと口にするまで、誰一人として彼が貴族の末席に名を連ねる者として見なしていた。


制服には刺繍がないものの、末席の貴族ではよくあることであり、金があっても一族の末席に属するものが集まるこの場で財力を主張できる者は、相当少ないはずだ。

しかし、彼はもう一人の平民と特級の教室にまで食い込んだ。


低級の教室にはまだ平民生徒がそこそこの数いたのだが、特級だと刺繍をしているものがほとんどだ。

イリンは上級。特級の一つ下だ。


「……話したいこと、あったんだけどな」

睨まれて遠回しに断られたことをひとりごちていると、リギが部屋の中にスルッと飛び込んでくる。

「まだ来ないのですか?……全く、嘆かわしい。坊っちゃまが気にされることでげふっ」

「ようこんばんは、黒スケ」

「な……誰が黒スケだ!?」


女性はカリカリしているが、己の主人がその袖を引っ張ったのを感じて後ろに下がる。

「あの……名前は、イリン・シュルエルです。え、えっと……あなたは、その……ノストさん、ですよね」

「ああもう調べたんだ。じゃあ話は早い、もう俺に関わらないでくれ」

「ってちょっと待て貴様!!」


ぐぇっ、とノストは襟を掴まれて、けほけほとむせる。

「坊っちゃまがなぜ呼んだかわからんのか!?あの薬の話だろう」

「あ、あー……えっと……そう。アレはどこに行けば買えるの?」

別のことだったのだけどと思いつつもそう口にすれば、喉元をさすりながら返ってきた答えは、辛辣だった。


「昨日言っただろ。街に出りゃどこの薬屋にも置いてある。医者に一度かかれば問題なくもらえるはずだ」

「そ、そんなのっ……」

イリンには恐ろしかった。


貴族はああ見えて優しい集団だとそう思っているがゆえに、平民であればこれよりさらに心無い言葉で傷つけられるのではないか、そう恐れていた。

ノストはその姿を見て、苛立ちを逆に募らせていた。全くもって何が不満なのかさっぱりだからだ。


「あのさあ。お前、そんなんで平民のとこで生活できるとか、本気で思ってる訳?」

「え?」

「いやえ?じゃねーよ。お前の見た目なら最後の情けで大方ここに入ったんだろうがな、王都の軍でも魔術師団でもまず雇ってすらもらえねぇだろうが。そしたら平民の中で生きるしかないだろ」

そのうちそんな身分制すらなくなっていくかもしれない。


さすがにそれを口にする勇気はなかったが、今このことを告げなければ彼は絶対に生きてすら行けない。

「貴様!!」

「本当のことだろ」

襟首を掴まれてばっかりだと余計なことも考えつつ、ノストはそれを引き剥がすと、その肉食獣めいた瞳で少年を見つめた。


「だいたい、平民の何が不満な訳?」

「え……」

「まともに働きゃ金は出るし、そこそこ魔法が使えりゃそれなりの財産ができる。見てくれで差別されることはないし種族によっちゃ優遇されるかもしれない、今よりずっとマシなその環境になんか不満でもあるのか?」


その言葉に、イリンはふらりと後ろに一歩後ずさった。


見てくれで差別されることはない?

ほんとうに?


「ぁ、うっ、」

「いいか。あんたの貴族としての人生は、生まれた瞬間になくなってる。もっと言うなら純人種(オレーン)なんてすでにこの世には存在しないんだよ」

急に語られた衝撃の事実に、イリンはさらに凍りついた。

「え……?」

「知らないことばかりなんだろ?お前らは本当に幸せな脳みそをしてるよな。本当におめでたい。いや実に」

リギがいきり立つが、それをするりと逃れて彼は窓の外に出て行った。


イリンの頭の中に、強烈に響いたその言葉は翌日になっても、まだこびりついていた。

——本当に幸せな脳みそをしてるよな。

——本当におめでたい。

平民は知っているのに、貴族が知らないことはあるのか。最初はその疑問など取り合う気すらなかった。


けれど、イリンは薬の存在を知ってしまった。謎の倦怠感を、全て治療してしまう方法を平民は持っている。

他人種を差別しないとは本当のことなのだろうか?

嘘でないとしたら——彼はもっと早く苗字を捨てることを願えばよかったのではないだろうか?

イリンは書庫に入ると、その中にあった歴史書を次々と漁っていく。そしてしばらくして妙なことに気づいた。


何かがおかしいと感じたのは、過去にベルフェ帝国と誼を結んだ時。

侵攻をし合っていたと言うのに互いに和議を結ぶだけで軍備の縮小まで果たしていた。その後ベルフェ帝国は分裂したがそれこそ数百年後の話だ。


「……なんで」

貴族が友誼を結ぶ方法はいくつかある。

書面や条約の締結など方法はいくらでもある——そう、例えば婚姻、とか。


「あ、」

手にしていた筆記用具が、転がり落ちた。インクがわずかなシミを冷たい大理石の上に作った。

真っ白なその石の上にひとしずくだけ落ちた黒は、されどイリンの中にじわじわと広がって、その闇を濃くしていく。


「初めから……」

純人種(オレーン)なんて存在していない。

確かにそうだろう。

貴族は延々と混血をその間で繰り返してきた。そして一度も血が混じったことがない家など、無きに等しい。そして平民からも幾分血が流入していることを考えれば——不貞どころか、何もかもが滑稽なほどに思えるほど理知的で常識的な結論だった。


ひとつ、たった一つ何かが隠されるだけで、こうも全てが変わっていくのだとイリンは身震いした。

今この場にいなかったかもしれないし、もしかしたら継嗣として家で過ごしていたかもしれない。

この事実は、おそらく帝政が崩壊したゆえに隠蔽されたのだろう。次は我が身と何もかもを隠蔽しきり、王政の命を守った結果として褥瘡のように我が身は苛まれている。


「理不尽、だよなあ」

その言葉を呟いた瞬間、背後に誰かの気配を感じた。

「何がですか?」

「ひぇっ!?……あ、アルフレッド先生……」

書庫番のアルフレッド・シルヴァン。三十路に差し掛かろうかという若い男で、燃えるような赤い髪をしている。


「貴族の君が平民の私をそう呼んでくださるのですか?」

「あ……その、えと、……今の身分制度も、この今の僕の外見も……変、だと思って」

「変?」

訝しげに歪んだ眉に、イリンは失敗した、と首を両側にブンブンと振った。

「あ、…………あの、いいですっ!忘れて……」


その眼差しにイリンは恐怖を感じた。

彼の忘れてほしいという意図が逆に事実を、あるいはそれに近いことを知ったと知らせた(・・・・)

イリンの手首はがっちりと掴まれていた。


「ひぃ、や、」

「あ、すまない!!けれど、君はこの身分制度と、差別はおかしいと思っているのかい?」

「え、ぁの、あのっ……」

態度がそうであると頷いてしまった。それをアルフレッドは目ざとく見つけて、「そうか」と言いながら、眩しそうに目を細めた。


「まさか、貴族の君が気づくなどと思いもしなかった」

「……え?」

「申し遅れた。わたしはこう言うものでね、……常識をひっくり返してみないかい?」

手渡された破れた頁に、イリンはひたすら視線を注いでいた。







「うー、やっぱ言い過ぎたか……?でもなあ……意識を持って行くにはあの方法が一番良かったし……」

「はーんちょ」

ノストの頭を軽い声とともに叩いたのは、パルレだった。

「んあ?」

「何ブツブツ言ってんすか?みんな怖がってますよ?班長がまた鬼畜作戦を思いついたって」

「何言ってんだよ」


鬼畜というよりは実現可能性の低さを個人の能力でちょっと無理やり上方修正させるだけであるのだが、ノスト以外には完全に鬼畜に見えて、実行側もそう思えるようだ。


「ああ、ちょっとな」

「学校の方はどうっすか?勉強暇すぎて眠いでしょ?」

「……ああもうその辺はどうでもいいんだよ。問題は」

そこまで言いかけた時、扉がガチャッと開いた。

「班長!なんか、コトア統括長が呼んでましたよお!」


入って来たのは、筋骨隆々の完全に悪役ヅラであるデューク。頰にある傷がさらにその悪役っぽさを増しているが、その実彼は乙女で、かなり少女趣味だったりする。砦一レース編みがうまい。


「あん?あのクソジジイどういう風の吹き回しだ?」

「あ、あのぅ、ごめんなさい。俺全然知らなくって」

「いやいやお前に聞いたんじゃないって。独り言だからそんな気にするなよ……」


ノストはガクッとしているデュークを慰めると、扉の外へ颯爽と歩いて行った。

「ノストさんすごく格好いいですよねえ……あんな女性と出会えたらいいなあ」

「……結構身近にいるんでねぇの?」

「そうそう」

ラスィピとか、という皆の心の声は、その実夢見る漢女(デューク)には届かなかった。


「失礼するぞ」

「ノックぐらいしろよ!?」

机の上の何かをばさっと引き出しに突っ込んだ姿が見えた。妙に身体能力が高いゆえに内容や表紙がバッチリ見えたのはご愛嬌である。

「ああハイハイ。そういうのは自室でやれ」

「辛辣!!お前興味ねぇのか?女とか、さ」

「今は魔法をブッパしてる方が楽しい。それに恋愛できるほどいいご身分じゃねぇしな」

「……あのな、男ってのは下半身で生きてるんだぞ?もっと本能に忠実になれよ」


ドン引き理論を展開しながらコトアはそう言うが、ノストには未だ自分の興味をそこまで引かれるとは思えない。

戦いの方が、まだ背筋がゾクゾクするような強烈な何かを感じる。


「あ、まあそれは置いといてだ。……お前、何をしたんだ?」

「あん?」

何かした覚えはない。

「本部の影が、大層お喜びだとさ。よかったな、総長どころか本部長の椅子くれそうな勢いだぞ?」

「……入国管理データの閲覧権限は上がる、が……俺の何が影響したのかさっぱりなんだが」

「貴族の中に何かブッ込んだのか?」

「ねーよ。今から平民落ちしそうな奴には毒吐いて終わらせただけだがな」

「……そんなの影響するわきゃねーしな」


二人ともつらつらと考えつつ、その日は謎を残したままで終わった。

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