素顔はどれかわからない
魔物の虐殺表現ありです。
「ってなわけで、よろしくフルル」
「よろしくお願いします」
ノストとフルルは誰もいない練習場に来ていた。外界遮断の練習である。
「まずは、この紙」
ひやりと冷えた紙を手渡すと、フードの中から驚いた気配が伝わった。
「……あ、ちゃんと持てるやつですね。濡れてる……?」
「それ、全部同時に、均一に凍らせて。魔力を均一にかつ同質に纏わせる練習」
ノストの魔力でできた水だ。それは非常に他人の魔力を通しにくい。
いつ気づくかと思ったが、なまじ魔力がそこそこあるために気づかずに魔力を込めていく。
凍らせると、指先からじわじわと氷が張っていく。
「うまく行かない……?」
彼女は完璧に躍起になって、それから魔力を馬鹿みたいに垂れ流しながら纏わせていく。当然分厚い氷ができただけで、綺麗に凍るはずもない。
「んぐぐ、ちょっとお手本を見せてください……」
ノストはその紙を手に取ると、魔力を均質に纏わせ、それから一瞬のうちに全てを凍らせる。
「魔力を纏わせるって工程は、放出よりも格段に才能でカバーできる領域を超えたものだ」
「……あまり細かい作業は好きでないです」
「細かくねーよ。慣れりゃあバカでもできるんだぞ。今お前馬鹿以下だから」
おちょくるように言うと、フルルの怒気がフードの下から滲み出る。
「んなっ……」
「やーい馬鹿以下ー。悔しかったらやってみ」
「じ、上等じゃ……ないですか」
彼女はそこからゆっくり深呼吸をして、それから魔力を纏わせる。
「真ん中薄いぞ」
「話しかけないでくださいよ鬱陶しい!?」
「下着見えてるぞ」
「見えようがないでしょう!!」
頭からつま先まですっぽり覆われているのだ。見えようがない。
「……ああそうそう。この練習場を使うくらいだったら外の方に出る者が多いらしいぞ」
「はあ?」
「なんか、あの係員の顔が恐いんだと」
その言葉にフルルはあっけにとられる。威圧感のかけらも放たない、雰囲気だけの恐さに怯えるなど、二人には訳も分からない。
「恐いって……ふぶっ……っくっくっく……嘘でしょ……」
ついには笑いが止まらなくなったフルルの肩を、ノストが人差し指でつつく。
「え、なんですか?」
「紙。もういいんじゃね」
「あれ……?」
「集中が散った方が、うまくいくんだよ」
ノストの魔力が先ほどのゴリ押し続きで大方押し流されていたので、あとはフルルの魔力がどうにかなればよかった。
「……えい」
キン、とフルルの指につままれた紙は、一気に凍った。
「で、できましたよ!?どういう原理なんです!!」
「何も難しいことじゃねぇって、だから落ち着けこの手をどけろ」
襟首をがっちりと掴んだその指を一本ずつ剥がしながら、ノストは呻くように言った。
「魔力ってのは、常に体全体をくまなく循環している。いわば、常時うまく魔力をまとっている状態がそれだ」
「なるほどなるほど。それで?」
「魔術ってのは、その流れを意識的に放出やらなんやらで乱す。魔力の属性変換の方も、かなりその流れを乱す傾向がある。つまり、そういうことだ」
「要するに……意識して流そうとする方が、魔力の流れが乱れるんですね」
「ん、まあそういうことだ。普通の魔術師は乱すことに体が慣れてる。それを元に戻すのが、気をぬく作業だ。一見難しいから、付与魔術の最初の習得は攻撃魔術より遅くなる」
なるほどなるほどと彼女は呟くと立ち上がり、練習場の土を爪先でザッと蹴った。
「あの、もうひとつ。ちょっと鈍りそうなので少し体を動かしたくて。……付き合っていただけませんか?」
「いいぞ」
ノストはゆらりと立ち上がり、同時にその踏み込んだ脚で弾かれたように飛び出した。フルルはそのブーツを履いた脚をくるりと回して、踵をその側頭部めがけて叩き込む。
それを左手で綺麗にガードすると、フルルの困惑した声がフードの中から響いた。
「ちょっと硬すぎませんか?」
「ああ、まあ……人一倍頑丈なんでな」
「人一倍の段階を通り越してますって」
その脚がステップを踏むようにノストの懐まで踏み込んでくると、膝がせり上がってくる。
「ふ……がぐっ!?」
膝が当たりそうになると同時にノストは避けたのだが、膝から下の部分が跳ね上がって、ノストの顎に一撃が入った。
しかし、ノストは数歩たたらを踏んだだけで、その場に危なげなく踏みとどまる。
「……いった……」
フルルはといえば、爪先を抑えてうずくまっていた。ノストは肩をちょっと叩くと「ぎぇっ」というおよそ女子がしてはいけない声が漏れ聞こえた。
「こ、……これ、折れた……ぁ、いたい……」
「はいはい内傷治癒。悪ぃな、俺の体は妙に硬いんだよ」
爪先にその光が浸透するように入ると、フルルは痛みを我慢するため入れていた力を抜きながら、安堵の息を吐いた。
「なんかその言い方だと謝られてる気がしませんが……まあ、いいですけどね」
どうやら本気にはなれなかったのは、どちらもらしい。
ノストは攻撃すらしなかったが、その速度には驚かされた。そしてそのしなやかさ、対人戦はかくも難しいのかと少し気落ちした。もし外界遮断を使っていたらと背筋が寒くなる。
フルルはその硬さに驚いた。体質というよりは、血脈なのだろうと思いつつ、それで魔術を使われたらと身震いが止まらなかった。
攻撃が効かないほど恐ろしいことはない。
「……今日は、この練習をすればいいのですね?」
「あ、自分の魔術で濡らしてからやってみ?」
「え、あ、はい——あれ?」
ノストがニヤニヤ笑っていると、フルルからは「謀ったか」とばかりに殺気を感じる。
「さっきのは、俺の作った水。そっちはお前が作った水だよ。ここまできたらわかるだろ」
「……ノストさんって、加虐趣味でもあるんですか?なんかすっごいこの時間だけで精神的に削れたような気がするんですが」
「え?ないないそんなの。仲間内では『鬼畜』とか言われてるけど被害妄想だって」
「自覚してないんですか!?」
最初からその方法でやっていればとフルルが恨めしく思うのも無理はない。実際そう負荷をかけるべきものではないのだ。変な使い方を覚えると、変に力が入りやすい。
だから、ノストが生み出した水でやらせるのは今日だけのつもりだったのだ。
鬼畜な自覚はある、と心の中で呟きつつ、彼は地面についていた手をぱんぱん、と音を立てて払った。
フルルの反応が予想外によかったので、ちょっと遊んでしまっていた。
「じゃあ、外界遮断習得ガンバ」
「はい。あ、でもそろそろ私も行きますので、一緒に出ましょう」
フルルは、ノストのことをじっと観察する。動きはそう悪くなかったのに、なぜか彼は反応が鈍かった。
もしかすると、対人訓練はそう積んでいないのかもしれない。しかし、体のあちこちから、何かしら得体の知れなさが伺える気がする。
魔力は多い。確かにそうだろう。
堅固な肉体も併せ持っている。
しかし、彼の戦闘における能力は高いのか低いのか、わからない。
フルル・バーチェは、迷っていた。
彼と別れた後に部屋でぼんやりと考え込んだが、その答えは出なかった。
「……しんどい」
「二重生活ですからね。でも呼ぶのはやめません」
「ネーム……てめぇ」
書類をガリガリと処理しながら、机に顎を乗せて行儀悪く怒る。八つある季の変わり目には、毎度毎度備品申請やなんやかんやで書類が増えるのだ。彼の班が最も器物損壊が多い。
加えてノストの受け持つ班員は、かなり報告書が杜撰な傾向にある。ゆえにノストはそれを再度まとめ直させると言う苦行めいた日常を送っていた。
そのときだった。
カンカンカアン、という規則的なリズムを繰り返すように警鐘が響く。ノストは目を輝かせて立ち上がった。
「俺ちょっと行ってくるわ!!」
ネームはその姿を見て、もう止まらないと悟った。常識的一般人である彼にはノストを止めるだけの気概もない。
「はあ……仕方がありませんね。脳筋馬鹿ども……いえ、班員には班長が向かったと言っておきますので、出動しないよう命じておきます」
「ああ頼む」
「くれぐれも血を浴びすぎないように——ちょっ、」
窓から出ないでくださいという絶叫をはるか後ろに聞き流し、石造りの建物の屋根に着地すると、迷わず駆け出した。
ノストは外壁まで突っ走ると、階段を使って壁の上まで駆け上がった。警鐘を鳴らしていた物見台に向かって大声を張り上げる。
「方角は!!」
「ここから右斜め前です!!」
「じゃ俺が行くわ」
「は……ノスト班長のご武運をお祈りいたします」
その言葉もそこそこに聞き流しつつ、彼は壁の縁へ脚をかけて、たんっと外へと飛び降りた。
土埃の奥に見えるのは、丸い胴体にびっしり鋭い歯が並んだ大きな口が生え、そこに短めの手足がにょっきりと生えている毛むくじゃらの魔獣だ。
ノストの班の人間は、普通の社会では適応できない暴力性を持っていたり、二面性を持っていたり、とにかくおかしな人間だらけで社会の掃き溜めのような者たちばかりだ。
そしてそれをまとめるノストがまともなわけはない。
魔術をぶっ放し、肉を裂き、血を流させることに生きがいを感じる。
いや、高揚感を覚えると言ったほうが適当であるが、とにかくノストは戦わねば生きられないようになっている。
自身が持っている力、それから頑丈さ。そしてこの特異な環境にあって、戦いという本能を目覚めさせないわけがない。
「ぁあああはははははッ!!」
無詠唱、第六深淵『血棺』。
ノストの周囲で魔獣の血が吹き飛び、あたりを赤一色に染める。しかしその吹き飛んだ血は蠢き、そのまま同族の首を刈り取り、体内に入り込んで中から突き破って行く。
「はぁあああああ、……たのし」
紅潮した頰に、ぺしょっと血液が飛ぶ。拭うことすらせずに彼は長く恍惚とした溜息を吐いて、一度だけ体を震わせた。
「……半人型か。ならこれでもいいな」
袖の内側から二本の曲刀がするりと出てくる。黒の刀身は光を吸い込むように輝き、その柄には生成りの布がびっちりと巻きつけられている。
魔獣の群れは、死骸の海を乗り越えて、どんどんと押し寄せる。ノストはその刀身に魔力を通していき、そして逆手に構える。
「……属性・空、効果範囲・五十、継続時間・三、魔術式・翼散刃」
ノストの瞳がわずかに見開かれ、それから両手の曲刀は胸の前で交差された。
第八深淵の詠唱は、魔獣の足音が迫る中で泰然と響いて。
「さよなら」
両側に腕が振り払われるとともに、景色が一変した。目の前の魔獣の体は全て、上と下に両断されていた。それらは全て美しいまでの切り口を晒しながら、地に倒れ伏していく。
見渡す限りの魔獣の群れは、数十匹を残して全てが消えた。
「……生き残りくらい素手でもいいか」
その手が綺麗に魔獣の腹を、肩をえぐっていき、ものに数秒もしないうちに一匹が地面に投げ捨てられる。
「ぁあ!さぃこうだよホント!!」
その場に立っている魔獣には、その魔力をたっぷり含んだ姿はとても『美味しそう』で、ノストめがけて次々に襲いかかっていく。
しかし、一つの例外なくその拳が、手刀が、蹴りが、その体をぐちゃぐちゃに引き裂いていく。何もかもが動きを止めた砂漠の只中で、首をごきんと一度だけ鳴らして、伸びをした。手は綺麗に魔術で作り出した水で洗い流す。
「……はあ、満喫した。やっぱ体動かすのは楽しいな」
そう言って、血しぶきひとつない制服をはためかせながら砦まで走り出した。