冷たいとは思わない
ここからは基本三日に一回更新できればなあ、と思います。作者都合でお休みするかもしれませんが。
げし。
げしげし。
角が虹色に輝いているのをちらりと見て、ノストは笑顔でほとんど威圧じみた視線を向けてくるのを完全に無視した。
足で蹴るのは表面上付き合いがないということを示すためであったのに、こちらを見られては意味がない。
それでなくとも昨晩部下との不毛な追いかけっこでイライラさせられたというのに、という腹立ちを肚の中に押し込めて、ノストは上澄みとなったため息だけを吐き出した。
じっと視線を感じるが、今自分がすべきは食事だと見定めて、食べ始める。
出されたものは残さない、それがサフラマの掟だ。最も簡単な転移門での物資の大量輸送は、重さにより指数関数的に必要魔力量が増える。しかし最も安上がりなものではある。
笑えない状況なのだ。
数百人の腹を満たそうと思ったら、わずかばかりの食料を運んだところで意味がない。
今朝も美味しいと思いつつ、ノストは出されたものをひたすら飲み込んだ。
美味しいのだけれど、何か、違和感のようなものが喉を通らせてくれない。
食欲はそのままなので、何か別の要因——そこまで考えて、正面でニコニコしているバカ、もとい少年なにがしを見ていた。
そんな苛立ちも全部込めて、ノストは静かに目を横に滑らせて、それから殺気を込めてぎりりと睨んだ。
蹴りがやんだ。
教室に入ると、昨日の場所に着席してノストは横の青い人物にちろりと視線を向ける。
「おはよう」
「おはようございます」
今日は放課後の活動について、紹介があるらしい。昨日の校内の経路を頭に入れるだけでいっぱいいっぱいだというのに、まだここで情報が詰め込まれるのかとげんなりするが、ノストはおくびにも出さずに座って本を読み始める。
「何を読んでいるんです」
「ん」
本をちょっと傾けて、表紙を見せると彼女は納得した。昨日もらった教本の中にあったが目立たない、魔紋の本だ。魔術陣と言い換えてもいい。くだんの貴族の刺繍に含まれている意匠でもあるが、実のところ金や銀で刺繍してもその効果は得られない。
陣はひとつなぎの回路を人工的に作り出すことによって得られるものであって、刺繍をしても表裏があるゆえに実際は意味がないのだ。ただ模様を作っただけにすぎない。
これを使えば、得手不得手によらずに自然界の魔力を吸収して、変換してくれる。事前に用意していたものではほとんど意味をなさないため、時間がかかるのが欠点だ。
フルルはどうやらそういう方面には興味はないらしい。
「……筆記の成績はほとんど平均に近かったので、このクラスなのは純粋に不思議です」
「魔術学院の肝は実技だ。実戦で使える魔術を使えた方を採用する方がいいんだろう。仮に常識がなくとも、そんなものは後から無理やり叩き込んでしまえばいい」
「暴論ですね。まあ、同意はします。狩りに出る大人が必ずしも賢いわけではないですし」
ノストは最終ページをめくって、本をパタンと閉じる。目新しいことは特に載っていなかったことに加えて、サフラマでの研究内容も貴族のあれこれに抵触するからか載ってはいない。非常に初歩かつつまらない内容と言えた。
「……外界遮断の魔紋を体に刻めば、うまくいくかもしれないけど」
「……バカですね、意外と。無理です。刺青は私の故郷では、獲物を勝手に食べた者のしるしです。見つかれば叩き殺さ……ゴホン」
「それならやっぱり、使えるようになるしかないか」
ふと、教室にオルブライ教授が入ってくる。全員がもぞもぞと座り直して、教授が教卓に紙束をばさっと置いた。
「ああ、まだ始業開始にはなっておりませんので、気になさらず」
彼女はそう言って、紙を仕分け始める。
「……じゃ、授業が終わったら声をかけて。暇だったらついてくし、そうじゃないなら行かないから」
「はい」
そこで会話はぷっつりと途切れて、オルブライ教授も仕分けを終えて、間も無く鐘が鳴る。
「それでは本日の時間に関して、連絡を行います。昨日お知らせをいたしました通り、本日は放課後の課外活動に関して紹介をします。今から講堂へと移動し、それから訓練場の仮使用を行います。それでは、私についてきてくださいませ」
丁寧ながらもその威厳は変わらないまま、彼女は廊下へと歩みだす。
講堂に整列して入ると、上品な拍手がさざめくように広がった。サフラマ砦ではこんなことはなく、おおよそ拍手はあっても口笛や囃すがなり声が後を絶たない。あとは途中で持ち上げられて放り投げられる——重さがちょうどいいとのことであった——そんなことばかりだったので、逆に少々面食らう。
ぴたりとその拍手が止むと、壇上に一人の生徒が上がっていく。
「我々は、放課後において、各々の特性やその趣味、あるいは実益を兼ね備えた活動をしています。本日は新入生の方々にこの学院内での活動について、お知らせをしたいと思います」
一番はじめに出てきたのは、「茶会」の主催をしている少女だった。その金髪は豪奢という表現が似合うほどに圧倒的なきらめきと量感を誇っており、ノストは心の中で毎朝大変そうだとちょっと失礼な感想を抱いていた。
「我々は、茶会を開催しております。主催者は派閥ごとに異なり、どの派閥かにもかかわらず場所とお茶や茶菓子、使用人などの設備を皆様に提供しております。女子生徒の皆様は、茶会に名前を提供していただければお招きを受けることも可能ですので、茶会への所属をお勧めいたします」
彼女は綺麗に礼をとって、それから壇上を降りていく。
招かれるには必ず入会が必要なのだ、そして使用人を貸すということは、ある程度情報をすべての派閥から得られることでもある。
情報の売買により資金を稼いでいるので、お茶、茶菓子まで用意できるということなのだろう。
そして、次にきたのは、ガタイのいい青年だ。硬い草を思わせるほど、髪は太くそして黒々としている。
荒削りな体からは、熟練の匂いはまだしない。魔力も第二深淵がようやくだろうというところだ。
「……ゴホン!我々は、討伐者に所属し、英雄を志す者である。先日の魔獣の生成暴走事件において力が足りぬと感じたものも多いと思う。それゆえ、この機関は発足するに至った」
ノストの顔が一気に胡散臭いものを見るような目になった。ワクワクした表情からの落差が激しい。逆にフルルはちょっと興味ありげにそわそわしている。
「新入生の方々、興味があればぜひ来ていただきたい」
絶対行かねーよという決意を胸に秘めて、ノストは次に壇上に上がった人物に視線を移す。
その骨格はどう見ても女性のものだ。なのに男子生徒の制服を身につけている。
耳の下あたりで切りそろえられた緑色の髪は、柔らかそうにふわふわしている。見た目だけは少年以外の何者でもない。
「わ、我々は、……魔獣愛好会のメンバーです」
その瞬間にフルルとノストは顔を見合わせて、壇上の生徒の発言が間違いでなかったことを確認した。
それくらい信じがたい発言だった。
「魔獣の中には……愛らしいものもいます。彼らは守られるべきではないでしょうか……」
変な愛好団体が湧いてる、とノストは気が遠くなりそうだ。
魔獣がいることは、その場にそうなるほどの魔素が集中しているということなのだ。彼らはその危険をわかっているのだろうか。
魔素が集中しすぎると、渦を巻き始めて次第にあたり一帯の魔素が根こそぎ持って行かれ、そして生成暴走が起きる。
この辺りの研究は各地方ごと、そして各国のトップに提出したはずなのに、とノストは奥歯を噛みしめる。
やるせない。
教科書に載せられていなかったのは、おそらく「愛好団体」が関係していることは間違いない。
弱きものは殺さず匿う。
そしてその団体が愛好家を貴族の中に、いやもしかすると王族の中にも抱えているとしたら、どうしようもない。
自分たちのやっていることは、無駄だったのだろうか?
ノストは頭を抱えたまま、滔々と語られる魔獣の愛らしさというおぞましい文言を聞き流した。
「……サフラマの人なら知っているんでしょう?例の、『研究』」
「国の上で握りつぶされたそれを民衆にばらまいて、どうにかなると思うか?この国で」
「……私の見立てでは、あなたの魔力はずっと強い、そう思いました。でも、腹が立つようなことばかりされて、ヘラヘラ笑っている。腰抜けではないですか」
「無理だ。貴族に逆らうよりは、面従腹背の方がよっぽど効率的だろ」
チッ、という舌打ちが響く。フルルはどうにも、彼らの『権力』が強いものであるということが納得いかないらしい。
実力主義の二人にとって、ここは全く別の法則で動く場所であり、異様という他ない場所だ。そしてここで何かやらかせば、自分たちの命すら脅かされかねないということに、どうにも現実感がない。
ノストはまだいいが、フルルは納得しかねるとばかりに手袋をはめた両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。
「……研究を無視したということは、崩壊も間も無くでしょう?それを指示した貴族は、糾弾されるはずです」
「いや、それはない」
だって、ノスト達はきっと生成暴走をやらかしても、止めてしまうだろう。王都には民がいる。
力無き者のために。
その基本方針は変わらないから、貴族の体制を崩すほどのことを防止する他ない。
そして何より研究が民衆に知られていないから、「偶然だ」と言い張ることもできる。
あまりにうるさいなら流言飛語で世間を惑わせたと国家転覆罪、あるいは騒乱罪で首を切って仕舞えばいい。
きっと上層部は、このことにある程度別の対策を練っているのだろうけど、それでも時間はいくらか必要となる。
「……討伐者はそれを容認しない」
「そう言えば、そうでしたね。……民衆のための機関が、こうも足かせになるなんて」
もっと、大きな力で何かが起きなければ、これは変わらない。
「……まぁ、俺たちがここでわあわあ言ったところで、何が起きるってわけじゃねぇだろ?従うのが賢明だ」
最後に出てきたのは、とんでもなく後ろ向きな結論であり、そしてこの場で出すには最も妥当なものだった。
常に夢を見ることを抑制される環境で育った彼らには、大きな変革というのは猛毒ですらあるのだから。
訓練場に向かう道すがら、最後尾に自主的に並んでいるノストとフルルは、不躾な視線を向けられていた。
寮ではかなりの生徒が手を出してくる。攻撃魔法ではどうしても反撃したとみなされてしまうため、ノストは感知や部屋への侵入の有無をよくよく調べていた。ただ今の所反感は買っていないようで、おおっぴらに手を出してくることはない。
「フルル。食事とかはどうしてるんだ?」
「ああ、ええと……口に入ったところで凍らせているのである程度の熱さはないですね」
会話がそこで途切れると、正面に広い場所が見えた。2マル(0.8km)四方以上ありそうな空き地のような場所で、布を固く巻かれた丸太がいくつも刺さっている。
「皆様、到着いたしました。この場所が訓練場です」
入り口には、眼光鋭い壮年の男性が座っている。髪には白が混じってきているが、その手練れ感は、半端ではない。
……ただ本当に見た目だけだが。
男の実力はいって第二深淵、完全武装に身体強化を使わせたところで、徒手空拳のノストでも一撃でのせるだろう。
しかし生徒には当然わかるはずもなく、ほぼ全員が固まっていた。
「……ロアン・ニルダルだ。以後、よろしく」
宗教的地位はないが、ニルダルという地名は地理の授業ではついぞ聞いたことがない。貴族の一員らしいな、とアタリをつける。皆の対応もそこそこ良い。
「入場と退場の際には、皆に名前を名乗ってもらい、サインをいただく。複数人が使えば流れ弾などが存在する、危険ゆえに本人の署名が必要なのだ」
ニルヴァルはそれを聞いてザッと血の気を引かせ、行かないことを決めたようだ。すっかり守られることに慣れている姿に、ノストはちょっとめまいを覚えそうになる。
第十三王子であるのに自分が王族であり続けられると思っているのだろうか?
よっぽどのことがなければ、彼は臣籍降下させられて、軍の中の適当な閑職に突っ込まれたりして、お払い箱に決まっている。
王族に残すのは、せいぜい第五王子まで。
冷たいわけではない。
だって、国王は彼を、ニルヴァルをこの学院に入れたのだ。
働き口があるように。
生まれ持った才能を開花させるように。
ノストはその先について、わずかに思いを馳せたが、すぐにやめた。
どうせ結果は見えているのだから。