部屋の中なら問題ない
種族差別>身分差
を念頭に置いてお読みください。
入寮に当たって、ノストは寮監の部屋を訪ねて手土産を手渡した。ベルーフ・シルヴァン、しっかりした体つきの男だが、顔は何を考えているかわからない笑みを終始湛えている。
「いやどうも、ご丁寧にありがとう」
「いえ、これから世話になるので」
「そうだね、それで……寮の部屋は、平民だと狭くなってしまうんだ。君の入試の成績は格段によかったのに……ごめんね、僕が至らぬばっかりに」
はっきり言ってそんなことは問題ではない。
「一人部屋になるならそれでいいです」
「そうかい?いやあ、何か困ったことがあったら言ってくれ。僕は常々この学院には新しい風が足りないと感じていたんだ。だから、平民の生徒がここに来てくれるのは、とても嬉しい」
隠しきれない喜色が滲み出ている。常日頃から貴族のストレスにさらされていたのだろうか。
「部屋はここだよ」
ベッドとトイレ、水浴び場まで付いている。机と光明の魔道具が据え付けられた机は、よく磨かれて飴色に光っている。消せなかったのは彫り込まれた字があるからだろう。
「……普通の部屋ですね」
明るさも十分あるし、部屋の間取りだって悪くない。
窓を開けてみると、普通に木が間近にある以外は特段言うこともない。洗濯物だって干せそうだ。
「そうかな?まあその辺はさておき……実際にこの部屋は狭いからね。仕方がないのかもしれないけど、納得してくれて嬉しいよ」
どこか寂しそうな表情のまま、彼は頷いて外へと歩き出した。
他の生徒の案内は良かったのだろうかと問うと、他の生徒は寮監であるベルーフが案内するより、先輩の貴族が案内した方が言うことを聞いてくれるし、何より不平不満を漏らさないのだと口にした。
世知辛い、と部屋の中で静かに呟くと、夕飯の時間が来るまで清掃を始めた。
とはいえ、事前にある程度は清められていたようで、そう時間がかかることもなく掃除と整頓は終了する。
ノストは受け取った鍵を首の革紐に通すと、胸の中に垂らした。こうすれば盗まれる心配もない。
持って来た旅行鞄は壊そうとしても第三深淵は余裕で耐える。鍵もしっかりかけてあるから、重要な書類と教科書類だけ入れておく。
「じゃ、夕飯を食べに行きますかね」
食堂に入ると、そこで新参者への視線が向けられるが、その目立つことのない容貌にあっという間に興味がなくなったようにその視線が剥がれ落ちていく。
そして、敵意を向けられている少年がいるのを見た。
薄い黄金色の螺旋模様のついたツノが、その少年の額から伸びている。髪は根元が金色で毛先は白。その肌は浅黒い。目は空のような青色だ。
確かあの特性は、角族だったような、と思い出したところで食事を受け取って、ノストは扉に一番近い机へ近寄っていく。他の平民の生徒はその少年から綺麗に目を逸らしている。
貴族だが、その外見を見て反応に困っているのだろう。
ノストは別の席を探すが、他に残っているところは一つもない。致し方なく、彼の正面に座った。
食前の祈りが済むと、ノストは完璧にその少年のことを忘れて食事に没頭していた。
自分で食事を作りたいもののためにキッチンがあるとは聞いているが、これは出番がないのではと思うほど、素晴らしい。
サクサクした黄金色の生地の中には、よく煮込まれた肉とキノコ、そして濃厚な茶色のソースが入っており、生地のバターの匂いが芳醇さを加える。
付け合わせの野菜はその濃厚さをリセットし、さらに食べたいと思わせてくれる。
サラダは見慣れない野菜がたっぷり入っており、美味しいかどうかはわからないが新鮮さを主張するようにしゃくしゃくとした食感が心地いい。
かかっているソースも、野菜のさっぱり感を消さないように酸味が強めのものだ。
パンは普段食べているものと異なって、柔らかく食べた気がしないほどに美味である。
デザートまで付いていて、なめらかなクリームの中に香ばしい木の実の香りがする。
「……はあ」
満足なため息をつくと、周囲の人々がまだ食べているのを横目で見ていた。どうやら上の者が食べ終わるまでは席は立てないようで、食べ終わった下級貴族が立とうとして横の下級貴族の上級生に肩を抑えられていた。
ひそやかな会話をする声があちらこちらでさざめき合うと、自然と周囲の音量は上がっていった。
ふと、目の前の少年がじっとノストを見ていることに気づく。
「……何でしょうか?」
「い、いや、なんでもないです」
平民なのかとも疑ったが、彼は右腕に青絹布を巻いている。高位貴族がここに座っている理由、確実にその外見だろう。
「……あの、なんで君はこの学院に入って来たの」
「必要でしたから」
貴族の問いかけに答えないわけにいかない。
「必要って……」
そこで少年は押し黙った。ふと、ニルヴァルがことっとナイフを置いて、立ち上がった。
肉料理ばかり食べられて、野菜はとことん残されている。
少年の皿には、未だ料理が残っている。話をできるのは僅かな時間だろう。
「あのっ!……僕の部屋、3階の右端だから……来て、くれないかな」
こうやって、平民を翻弄するのは、貴族なら変わらないのだとノストは唇に笑みを湛えて、「機会があれば」と恭しく口にした。
実質断りのようなその言葉に、少年は落胆して料理を口に運び始めた。
行くと答えれば周囲の貴族の目が怖い。
角族なら、あの食事量では絶対的に足りず——そして、魔力的にも必要を満たせていないはずだ。
角は黄金だが、魔力を食うにつれてその角は虹色を帯びていく。魔力を過剰に蓄積できるのだ。
そして体内に魔力が不足していると、魔術をうまく使えない。薄い金色であれば、魔力は枯渇寸前と考えて問題ないだろう。
なぜ彼がこの魔術学院に入学したのかノストにはわからなかったが、足りないものだけを渡すならちょうどいい。
ノストはニヤリと笑って、それから机の上に魔薬を並べ始める。魔力を回復するための粉薬、そのほかの水薬などなど、渡しておかねば今から行われる授業で魔力が枯渇し、倒れかねない。
そうなれば、異なる血を持てば魔術をうまく扱えないと噂になるかもしれない。
それだけは、避けたかった。
平民が、他人種が学院という成功への門扉を閉ざされないように。
討伐者組合の基本理念は、『力なき民衆の盾となり、矛となる』。民意を反映させて彼らは動きを決定する。
そろそろ上や裏も動くはずなのだが、ノストの立場ではそれを知らされることはない。何よりサフラマではそれは不必要な情報だ。
一組合員としてこういう風に動いたと報告はするが、こういう動きは基本歓迎される……はずだ。
ノストはおそらくその部屋には来ないものとして扱われるはずで、そして廊下を出歩けば使用人なりなんなりに見つかる可能性が高い。そうなれば……。
「よし、いくか」
ノストは窓を開けて、そこから一瞬で外壁にすべり出た。それから3階の右端の部屋の窓をこっそりと覗く。
中から罵声が聞こえた。
「……ぃかげんに、諦めるんだな。薄汚れたガキが、学院に来るなんて」
「で、でも僕には、」
「うるせぇっ!!」
殴ったのは、少年の後ろにいた人間。手練れとまではいかないが、子供一人ねじ伏せるには、簡単に事足りるだろう。
ノストはその光景が終わるまでそばの木によじ登って待機することにして、ふと梢の中に人影を見つけた。
「こんばんは」
「うっひぇええぁ!?」
かろうじて滑り落ちそうになったその手をすんでのところでがっちりと掴み取り、引き上げる。
「な、何者だ」
ぷらーんとぶら下げられたまま、女性のハスキーボイスがした。実に格好がつかない。
「生徒の一人。余計なお節介をしようと思ったら、あのザマだよ」
「……余計なお節介?ぼっちゃまに何をする気だ」
「あー、坊っちゃまってことは、あの角の子の味方?」
しまったという表情が、口元を覆う薄い布越しにもわかった。とてもわかりやすい。
なるほど彼女は角の子の味方を表立ってはできないのかー、などと納得していると彼女は悔しそうにノストを睨みつけた。
「……く、こ、殺せ」
面倒だなこの人、という感想を胸の奥にしまいこみつつ、ノストは窓の中の喧騒が収まるのを目にしてから、枝のたわみを足で確かめる。ノストと彼女が体重をかけても問題はなさそうだ。
「じゃ、お手を拝借」
ノストは木から飛んで、壁のわずかな出っ張りに指をめり込ませるほど強く掴むと、窓を一度だけコン、と叩いた。
「……けほ、げほっ……?」
血を吐き出しながらも、窓を開けたその瞬間を見計らって、黒ずくめの女性をぽいっと投げ込んだ。
「うむぐ!?」
「わぁっ!?」
部屋はなかなかの防音性能なんだろう。ノストは二人の口を塞ぐと、周囲を見渡した。この部屋につけている監視などは、いないようだ。
「……はっ、は……あ、あのっ……リギ、ごめ、ど、どいて……く、くるし」
「はっ、すみません!」
「……そ、それで……来てくれたのか、本当に」
「まあ、気になることがありましたので。その角ですけど……」
「あ、ぁ、平民の人ならこれが何かわかると思って……」
一般的な貴族はそういう情報を遮断されている。国交を行うことはあるが、国王やその側近が主であり、滞在も王宮であるため通常の貴族は関与しない。
また魔の森を隔てているということもあって、なかなか誼を他国の貴族や長と結ぶのも難しい。
「だから、……この体について知りたいんだ」
「構わないですけど」
「本当に!?」
むしろ渡りに船である。本人のやり方は迷惑ではあったが、このままだと苗字を捨てさせられることは間違いないだろう。国の軍にも所属できないはずだ。それを見越して、ノストの口調は丁寧なものから普段通りの口調に転じる。
「まず、その角から見るに、種族は角族。角族ならあるべきもうひとつの器官があるはずだ。口の中、その舌に」
突然ノストは少年の口に手を突っ込んで、その舌をひっぱり出す。そこに丸く並んだ烏賊のくちばしのようなものが付いていた。
「あ、ぁひゅ、」
生理的な涙が少年の目に浮かんでいるが、そんなことにひるむノストではない。
さり、とその指先がそこに沈み込む。血が溢れるかと思いきや、その器官に全てが吸収されていく。
「これで十分だろ」
「んぱっ!?……い、今のは、なに……?」
呆然とした顔で、彼は床に倒れ臥す。その角はじわじわと黄金色の輝きを増していく。
「魔力が枯渇寸前だと、すでになまっちょろい薬やなんかはもう効果がない。血と一緒に魔力そのものをぶち込んだ」
「え、ぁ、……魔力そのものを?」
「そう。それで、もう飢餓状態からは脱したはずだ。次はこれ。この粉薬」
ここで我に返ったリギが、その差し出した腕をがっしりと掴んだ。
「ま、待て!!怪しげなものを、」
「毒味したらそっちのお姉さんは魔力過多で死ぬけどいいの?」
「なに!?」
すらりと伸ばされた剣が、ノストの首に当たる。
「ま、待ってリギ!?お願い待ってぇ!!」
「坊っちゃましかし!!この危険な子供生かしておくわけには……」
「……あんた平民じゃないの?」
ノストにはむしろその方が気がかりだ。こんな口調をしたのは貴族でなくなるからというのが大きかったのに。
「リ、リギは、下位貴族から落ちた人で……」
そこでノストは大いに安堵した。
「ふーん、なら知らなくてもしょうがないか。魔力過多で死ぬってのはそっちのお姉さんの方だけだよ。容量ギリギリの貧弱な器じゃ、溢れるのは当然だろう」
「ぎ、ぎりぎり?ひんじゃく……」
ショックを受けた様子にひるむことなく、うざったいとばかりに突きつけられていた剣を横に退けて、ノストは続けて瓶を並べる。
「で、お坊っちゃまだけど……角族は、ツノに魔力を溜め込んで、体が魔力枯渇になった時に、全身に魔力を供給することができる。まあ、器からいえばかなりでかい。が、混血の場合、魔力の生産器官は人間のものよりになってくる。そうすると魔力は自然、足りないんだよ。平民はみんな対処法は知っている」
魔力がないなら外から増やせばいい。
「これがその薬、こっちは飲み方。……以上、説明終わり。なんか質問はあるか?」
「あ、あの……さっきから変な感じって、いうか……うまく力が調節できないっていうか……」
「あ?枯渇でうまく力が入らないまま生活して来たんだろ?当然だ」
そこまで言って、ノストはガシガシと頭をかきむしって立ち上がる。腕輪から執拗に電流がリズムに乗って流れ続けているのだ。
この仕様にしたやつ呪ってやる、と悪態を心の中で吐きながら、窓を開けた。
「でも、俺貴族に目はつけられたくないから、あんたとの繋がりはなかったことにするから。何かあれば、飯のテーブルで足を蹴ってくれ」
「え!?あ、あの、名前……」
ノストはそのまま窓の外へと飛び出しつつ、転移をした。窓の外を覗いた女性は、姿が見えないと主人の少年に首を振ってみせる。
「……しょうがない。また今度、聞いてみないと」
一方ノストは電流を流す腕輪を無理やり取り替えさせて、心ゆくまでコトアをしばいた後業務を終了させた。