眠りは未だ訪れない
評価、並びにブックマーク、大変光栄です。
説明が鬱陶しい回です。
「班長、これ誰に割り振ります?」
「その案件は二班も関わってたろ。丸投げとけ」
「うわー、鬼畜ぅ」
ばさりと投げ出された書類の多さに口笛を吹いてから軽口を叩くのは、新緑のような髪をあちこちピンで留めた、細面の青年、キールである。
学院へ赴く前日にもかかわらず、ノストは未だ職務に追われていた。いつも通りとは行かず、いつもの三倍は確実に忙しい。
「二班はもう余裕ねぇってキレてましたー」
「知るか!こっちは俺がシルヴァンに行くんだよ、半分はできなくなるんだ、もっと余裕なんざねぇよ!」
書き上げた書類を机に叩きつけて叫ぶと、キールは苦笑とともにそれを回収してインク吸取り紙を当てる。
「班長いなかったらこの班そもそもまとまらねーし、仕事するかも怪しいですもんね」
「いや仕事はしろよ!!」
「ネームさんなら余裕で逃げきれますし?班長から逃げ切るのは、絶対に不可能ですけどね」
そのやりとりを見て、ケラケラとなかなかの顔をしている短髪の青年パルレが笑う。イケメンなのだが、適当さが具現化したような男なので、だいたい付き合っても約束をすっぽかしたり記念日を忘れたりで、振られてしまうことが多いが。
「まあ、学院へ行ってもネームがいんなら半日業務と対して変わんねぇって。だいたい想像すらつかねーよ、壁すらねぇ街なんて……」
ノストが知る限り、王都もそうだが、街とは城郭都市であり、壁に囲まれているものだと思っていた。しかし、魔の森近辺からかなり距離のある学都シルヴァンは学院の外は壁のない交易都市であり、ほとんど対人用の備えをしているのみらしい。
国家の秘密など微塵もなく、重要な産業があるでもない。交易都市でもない。ただ貴族が多くいるために、もし襲われても逃げられるよう都市で三つもの空船を持っているというから、驚きだ。
そんなもん翼竜にかかれば一撃で落とされるというのに、と思うノストはきっと職業病だろう。
「……そんな平和ボケしたとこに班長放り込んだら、都市丸ごと消えそうですねー」
パルレのしみじみとした声に、ノストが眉を片方だけ吊り上げる。
「いくら俺でも消さねーぞ?」
「いやわかんねーっすよ?だって、普通そんなのつけてる人いませんよ」
そんなことを言われて、ノストはちらりと自分の右腕についている魔力制御装置を見やる。
これは魔力が異常に高く、普段の魔道具の使用において魔力が過剰に流れ、差し障りが出てしまう人のために作られたものである。
ノストの魔力制御能力はかなりあるが、緊急時になるとそれが働かなくなることもままある。この砦に来る大抵の人は、保険的な意味合いでそれをつけている。
「マジで?」
「マジで」
その瞬間、ネームが笑顔でノストの机の上に辞書三冊ぶんほどあろうかと言う書類の束を積み上げて、その話は打ち切りになった。
その晩、ノストはごわごわしたベッドに寝転がりながら、色々と考える。
魔力制御装置をつけていないということは、どうも魔力の制御がうまいのか、あるいは絶対量が少ないか。
その辺りは、自身で見れば片がつく問題だろう。
さらなる問題は、どれくらいの実力が果たして適当なのか、だ。
ここサフラマは、危険地帯に位置する『内地』、そしてシルヴァンは『外地』という準安全地帯にいる。そこの魔獣は確か土妖とか、とにかく弱いものであった。このサフラマと同じと考えるのは、よろしくない。
「あんまり目立つと勧誘が来そうだしな、ここはおとなしくしとかなきゃいけないか。魔力は抑えて、髪は色を変えておくか」
汚れたような灰色から、よく見る亜麻色に髪色を変えて、珍しい紫色の眼を、ありふれた深い青色に変える。鏡の前に立つと、まるで別人に見えノスト自身も驚きを隠せない。
「すげーな、髪型も変えてみるか?」
執務中や討伐中はぎっちり縛って無駄にこぼれないようにしているが、学院では下ろしているのもなかなかいいかもしれない。
何せ、学ぶべきこともないし邪魔くさかろうと一切関係ないのだ。この際体験しておくのもいいかもしれない。
これでいいかと頷いた時、時知らせの鐘が一度だけ鳴った。
「……やべ、もうこんな時間かよ?早く寝ないと」
柄にもなく、ノストはワクワクしていた。
「それでは、転移門にて送ります。ご健闘を——いえ、楽しい学校生活を」
「ああ、うん。なんか火急の案件があれば、即刻通達してくれ。向こうの緊急事態があれば向こうを優先はするけどな」
「かしこまりました。一班の面々は、しっかりとお仕事をするように通達しておきます」
「ああ、うん……それは……よろしく」
若干遠い目になったノストを、コトア直属の秘書の一人がきっちり綺麗なお辞儀をして見送ってくれた。
ノストの体を、赤い光が包み込む。転移陣の中からその瞬間、ノストの姿はかき消えた。
ノストが眼を開けると、人の気配がした。
転移酔いをしないために目を瞑るのは必須なのだ。
「やあ、ノストくん。サフラマ砦から通達は来ているよ、特例で転移門を使用してサフラマからはるばる受験しに来たとか。すごく優秀なんだってね、討伐者組合で支援を受けられるなんて」
「あっえっはい」
そんな設定聞いてねーよと心の中で文句を言いながら、ノストは差し出された中肉中背の温厚そうな男の右手を握る。
見た目の優しそうな感じに反して、その手は分厚い皮でかなり鍛え込まれているのがわかる。魔力の通りもスムーズなところを見ると、十分サフラマでも通用するだろう。
「僕はピッザル・シルヴァン。この街の転移門を使用したいときは下の受付に五日前までに申請してね。そしたら神速鳥便でサフラマには通達できるはずだから」
転移門は、軍事目的の利用を防ぐために超国家機関である討伐者組合が管理しており、転移先と転移元が同時に魔力をそそがなければ使えないものである。
ピッザルはその管理人の一人なのだろう。使うための鍵は彼の頭の中にしかない。
転移門を違法に使用すれば、処刑もありうる。
「ああ、えーと……まあ君は転移陣使う時以外は、ここ、『ソーロ』には来ないんだろう?」
「そうですね」
ノストは転移魔法を使えるので長期休みのカモフラージュだけだろうが。
「じゃ、その時には声をかけてくれ、気軽にね。あ、申請は忘れないでおくれよ」
討伐者の組合は、その強さによって、所属する階級が決まっている。
三段階に分かれており、上位『グラヴ』、中位『パッファ』、下位『ソーロ』となる。
それぞれの階級で受けられる討伐は決まっていないが、それぞれの中で暗黙の了解はある。
ノストは、グラヴにおりここからソーロの階級を取得することは一切できない。
無論ソーロに出された討伐依頼などは受けることができるものの、褒められたことではない。
シルヴァンでは年度の始まりに希望者は討伐者組合の入会試験を受けられると聞いていたから、こっそり覗いて有望な新人がいないかどうかを確かめるのも一興だ。
昇格は、年に二度開催される昇格試験を受けること。それ以外にグラヴでは、班長以上の推薦に加えて3名以上の総長以上の立会いのもと、実力を認められること。
これをクリアしてようやくグラヴに配属される。
実際ノストは異常なのだ。
その身にいくら叩き込まれたとはいえ、そんな幼い体で無茶をして、まともに実力がつく前に自らの体が限界を迎えて疲労骨折などをしていることさえある。
しかし彼は、実際多少傷はあれど、それは体が壊れたのではなく、斬られたり刺されたり噛まれたりしたものだ。
ノストは孤児だったために不明だが、親の血筋が影響しているのだろうと砦の者は囁きあっている。
「それじゃ、学院に行きますかね」
学院に行く方法は、ここから北に十マル(四キロ)ほど歩いた先に見える鐘楼のある場所だ。そう遠くはない場所だが、人通りも多く、初めて見る人混みにノストは終始圧倒されていた。
東西南北に同じような鐘楼があるのは、四つの学院それぞれで役割が分かれているからだ。
第一が文学者なども含めた文官、第二が軍に入隊するような騎士、第三が研究を行う医師などの学者、第四が魔術を主に勉強する魔術師。
第一と第三は仲が良いが、第四は第一と第三と交流は大してない。第二とは犬猿の仲ですらある。軍での昇進が最も早いからだ。
青灰色の石畳に、塗る時の波模様がついた真っ白な壁がずらりと続く。窓には高価な硝子がはめ込まれているのを見ると、ノストは居心地悪くなり、体をぶるっと震わせた。
硝子など、サフラマでは嵌めたところで砂埃やなんやで結局即座に割れる。最もあり得るのが組合員の乱闘騒ぎというのは非常に嘆かわしいが。
「こ、ここが……学院……」
ひときわ大きな白亜の巨塔の頂点には、大きな金色の鐘があった。これが、この街の時知らせの鐘なのだろう。
学院の門扉は重厚で、中から神でも出て来そうだ。いたたまれずに道の端っこへそっと寄る。
精神的な意味で疲れ果てたノストは、若干ぐったりしながらキョロキョロと辺りを見回す。
生徒らしき人間が増えて来たので周囲の魔力を伺うと、第二深淵ほどしかない。ノストが目立たないようにするためには、第二深淵の略式詠唱、あるいは第一深淵の平行詠唱が適当だろうとあたりをつける。
ただ得意不得意が出ないのも何なので、攻撃魔法はからっきしと設定をきっちり整えて、ノストは呼び込みをしている場所へと歩いて行った。
受験番号と身分を証明するため封蝋をされた書状を手渡すと、ノストを係員の男がジロジロと無遠慮に見てから、表のところに印をつける。
サフラマくんだりから平民がわざわざ、というような表情だ。
ノストは未だ関係ないと思っていたが、学院の内部には継嗣ではないにしろ貴族が多い。三男などの働き口がないような人間は、早々に学院に行くことが決定する。
継嗣は個人で雇う家庭教師に教わるのが、だいたいのところだ。
貴族と揉め事を起こしやすい平民は、なかなか入学をしようとすることもない。
けれどノストは必要条件であるし、周囲の微妙な空気感を無視して歩き始めた。
試験は三部構成で、まずは筆記試験。魔術、そしてそのほかの基本的な学力を見るもの。
次いで、思想などを調べる面接。
最後に実技という流れだ。
魔道具などの持ち込みは禁じられており、不正行為をした場合には実家まで連絡が行くという。
倍率は普段の年で五倍ほどだというから、これに落ちた貴族の三男などはおそらく、一兵卒から始めるのだろう。
継嗣になれなかった者らへの救済措置のようなものなので、こう豪華な建物で、運営費なども貴族から受け取れるというわけである。
「受験番号07123番か」
渡された番号札をもとに席に着くと、前に書かれていた注意事項を読み、カバンを机の脚の下に押し込んで、ペンを取り出した。
配られた用紙を見ながら、その問題に目を通すと、かなり簡単でこんなことで良いのだろうか、と不思議に思ったほどだった。周囲からは安堵か落胆かわからないもののため息が数度聞こえたが、構わず書ききってそのあとは机に突っ伏して睡眠をとった。
途中試験監督が魔道具を調べるために何かしらやっていたが、身につけてはいなかったはずだと気にしないことにした。
ノストはその日の夜にようやく終わった筆記試験の出来栄えに思いを馳せつつも、伸びをして門の外へと歩き出す。妙に感じていた視線は街の中に入ると少なくなったところを見ると、田舎っぽかったのだろうかと彼はアタリをつけた。
実際その通りではあるのだが、サフラマは実力が全てであり、それを除いては語れない。そんな場所にいたノストは、平民だから白い目で見られていた、などということはこの時点では全く思い至らなかったのである。
そして彼は夕飯を食べるべく、宿を取ってから街をうろつき始めた。