ちょっと待っては通じない
新連載はじめました。
「いや、今なんて?」
そう言って首を傾げているのは、肩くらいの少し癖のある灰色の髪を後ろできっちり縛り、目を怪訝そうに細めている少年だ。その眼は透き通った紫色をしている。このアーンスハイン王国も含め、大陸の中では滅多にない色だ。
体つきは中肉中背に見えるが、それは見た目だけのことであり、実際はしなやかでありながら強靭な筋肉に覆われている。
見た目のおおよそは十五という年相応のものだが、その眉が大きくしかめられて、厳しい表情をしていると猫のような目つきが豹のようなものへと変貌してきつく見える。
見た目は整っているが目立たない、言うなればちょっと綺麗なモブである。
「もう一度言わなきゃダメか?——ノスト・サフラマ。辞令だ、シルヴァン都立第四魔法高等学院に入学してこい」
「…………え?いや、俺がそんなところ行ってどうするんだ?」
目の前の厳しく見える顔を困惑したという風にして、白髪の壮年の男が顎のヒゲをじょり、といじる。
彼は、コトア・サフラマ。ノストの親代わりのような存在だ。
現サフラマ砦のまとめ役兼参謀であり、その地位は、統括長。実質砦の支配者と言ってもいい彼が、ノストに指令を下した。
滅多にあることではない。
「それがな。いろいろあって、そうなった」
「だからそこの色々ってなんだって聞いてんだよクソジジイ。しばくぞ」
「説明が面倒だから省いたっちゅーに……お前、少し前に王都のとこまで出張してたろ?」
「ああ、ちょっとした用事で数時間だけな。それが?」
「そんときにあった、魔物の生成暴走事件。アレな、実はすごくあの地では大事件だったらしい」
ノストはちょっと額を抑えて、それから目をそらした。
「あったような……なかったような……」
「いやあったからな?覚えてないだけだろそれは。その事態が、実は王都の機能を停止されるに値するほどの大事件だったようで、お前を討伐者の組合の方で、今の班長の地位から総長に引き上げようという動きがあった。お前の例の目的も果たせるし、俺もその方が好都合だ」
ノストはさらに訝しげに眉をしかめる。
「俺の方はもうちょっと後でもいいと思ってたんだけど?急にまたなんで?」
「お前がもう少し上にいてくれると現場と俺が助かるからな。ただでさえそのナリで言うこときかねぇ新人が多いんだよ。めんどいだろ」
討伐者組合とは、魔素がきわめて多く存在する森、通称魔の森から出現する魔物を討伐する組織だ。人々を魔物の脅威から守り、そしてその魔物の肉や素材を売りさばいて運営されている。
大陸のちょうど中央に位置するその魔の森の防波堤をしているのが、サフラマ砦という内域。そして王都などは、その魔素の濃度などが低い外域、すなわちほとんど弱い魔物しか徘徊しない安全地帯となる。
故に王都は相応の備えもなく、ノストがいなかったらおそらく壊滅していただろう。
「それが学院とどう繋がる」
「話は最後まで聞け。ノスト、お前さんには実績はあっても、学歴がない。無論砦の人間の知識全てはお前の頭の中だ。俺たちゃよーく知ってる、知ってるけどな……それとこれとは話が違うんだ。総長に上がるために必要なのは、ある程度の年齢か学歴だ。討伐者ってだけならいいが、お前は職員だしな」
なるほど、とようやくそこで納得がいく。
人間は、目に見える形を尊ぶ。
戦う力があろうと莫迦では意味がない。
莫迦でないと証明する根拠がない。
根拠がなければ信じない。
年齢を重ねれば知識があるとみなされるのは、当然でもある。
「それで上がもたついてたら、今度は王国の軍がくちばし突っ込んできやがった。うちに『救国の英雄』が来て欲しい、とな」
金も地位も興味がないノストからすれば、随分と実のない話だ。
救国なんてものはいつもの魔の森から出る魔獣の討伐が該当する。その条件でいくなら砦の皆が英雄だ。それに国軍は生粋の身分至上主義者が多くいる場所、サフラマのように実力至上主義とはいかない。
「んなとこ行ったら二秒で首飛ぶわ。得なんてあんのか?」
「お前さんにはないだろうよ」
だよな、と二人ぶんのため息が床に落ちた。
「ただ、そういうちょっかいが入ったわけだ、そこで俺も考えた。ノストは学院に三年間通わせるから総長の椅子を。軍の方には、隠密任務で三年間出るから総長の椅子はまだその任務が終わらにゃもらえないという話をそれぞれにしてな」
なるほど、とノストは得心がいく。それぞれにそう伝えれば、余計なくちばしを挟まれることはなくなるだろう。
「それじゃあ俺は学院に行って、三年過ごしてくればいいってことか?」
「ああ。お前の面は目立たんから割れてないし、一応何かあれば、腕輪で警告する。そんときは気兼ねなく転移魔法使って戻ってこい。基本的には学院にいる間は呼び戻さんが、長期休暇は容赦なく呼び出すがな」
彼はそう言ってから、ボリボリと脇腹をちょっと掻いた。
「まあ、お前さんは三年間面白おかしく学校で過ごしてこいってことさ。ああ、腕輪の呼び出しは……ネームに任す」
「まてええええい!?」
思わずノストは絶叫した。
ネームは、ノストの班で最も多忙な人材であり、暇そうな人間を見かけると即座に首根っこをひっ捕まえて仕事を送り込んで来る男だ。
ノストが暇だとちょっとでも漏らせば、いや漏らさなくとも勝手に暇だと判断して三年間は安寧とは程遠いものとなろう。
「や、やめろ……それはやめろ。基本呼び戻さないっつった舌の根も乾かねぇうちになんて事言うんだよ。撤回しろ!」
「だってお前がいないと仕事が止まる。間違いねぇ」
「そんなもん班員にネームがやらせんだろ!?」
「ネームはああ見えてお前をバックに言うこときかせてるだけだからな」
「えっ」
「お呼びでしょうか?コトア統括長」
ノストが衝撃の事実に呆然としていると、噂をすれば影がさすと言わんばかりにネームがノックとほぼ同時に入って来る。
「ってお前せめて入室許可を聞いてから入れよな。まあ今更か……そうそう、これからノストが秘密任務に向かう。連絡装置の権限を俺とお前で持っとくからな、頼んだぞ」
「了解いたしました」
がっくりと密かに肩を落としていると、ノストのことをコトアがちろっと見て、ウインクして舌をちょっと出した。
「メンゴ!」
「っめぇ……今日こそぶっ殺してやるクソジジイ!!」
いきり立ったノストだが、それは即座に背後から襟首をつかんだ手によって留められた。
「ちょっと暇ならこっちの仕事を手伝ってください、班の仕事の割り振りを含めて相談もありますし」
「うわ何をするやめ」
閉まった扉にコトアは静かに祈りを簡易的に捧げると、仕事へ戻った。
こうして、ノストは学院へと——正確には、入学試験を受けにシルヴァンに向かうことになった。