荷物のことなど構えない
男のぬるぬるプレイとか誰得
「待てっ、お前——」
フルルが伸ばした手は、虚空を切った。
周囲にすでに気配はない。諦めて禍々しい気配の方を探り始めると、突然大声が響いてフルルがビクッとする。
「……あーーーー!?思い出したッあの女イーシェーの忘れ形見の消える女だッ!?」
「きえ……?」
「あ、ええと、短距離転移を繰り返して、その視界から姿を消す逃げ足重視のやつだぞ!汚いぞ、正々堂々勝負すればいいのにッ!!」
びっと一方向を指差す。
「あんなでかいのまで召喚して!!」
「ラスィピさん。あっちですよあっち」
「……してくれちゃって!!」
全く見当違いの方向を指していたが、フルルの指差した方角にそっと指先を変える。
「とにかく、倒してしまいましょう。先ほどの二の舞になりかねません」
「ああ。ええと……ああ、あっちか」
フルルは迷子になりそうなラスィピの手を引いて、そちらへと走っていった。
下生えが足を取るのが恨めしい。
「ええと、魔力の残り残量はどれくらいかな?」
「私の方は先ほどの戦いでかなり消耗してはいますが、ノストさんに外界遮断をかけてもらっているので、二、三発大きいものを放つくらいならできます」
「私はまだまだ余裕だからかっ飛ばして大丈夫かな?あの大きさだと魔素溜まりができるにはそう長くかからないだろう」
実際はその見立てよりは長い時間安全であることには彼女は思い至らなかった。
魔素が周囲に濃く存在する魔の森とは異なり、ここは巻き込んでいく魔素自体が少ないからだ。
「……行くぞ!」
その全容がうかがえる距離まで来て、フルルは体をブルリと震わせた。
黒い巨大な人形をした生き物は、身体中の鎖をがらりと引きずっており、上半身だけが存在している。その顔や手には口があり、そこに鎖をかまされてひっきりなしに粘ついた液体を垂れ流している。
軋るような金属質の鳴き声が、くぐもって聞こえる。
まだ召喚した術者の縛りが効いてはいるが、術者の本来の力量を超えたものを無理に使役しているのだろう。
あちこち強い力で引かれて、鎖が切れかけている。
「んぼぁ!?」
「どうしました!?」
「む………」
む?とフルルは首をかしげる。
「胸を揉まれた」
「その辺に引っ掛けておけば護衛らしき何かが回収していきます。それは放置してとっととあれを止めますよ」
「了解し……」
もぞり、とニルヴァルが体を動かした。首だけ振り返ったラスィピと目があって、ニルヴァルが目をくわっと見開いた。
「フルル、大丈夫か!?」
「うわきったないツバを飛ばすなツバを!!」
「……な、なななななんなんだお前は!?だ、誰だ!?」
ラスィピがニルヴァルを引き剥がして地面に放り捨てる。
「なっ!?あれは魔獣!?フルル、下がるんだ!危険すぎる!」
下がるのはお前だという声を出す前に、勝手にフルルの前に飛び出して勝手に突き出された手に当たって倒れ込んだ。
「ぐ、うぅ……」
「おいフルル、ちょっと足止め頼む」
「わかりました」
「な!?おいフルル——」
ラスィピがぐっとニルヴァルのヒラヒラした襟を掴む。
「な、痛っ……」
「戦闘中に最も邪魔なものはなんだか知ってるか?……お前みたいな無謀なガキだ」
「む、無謀って、だって俺のフルルが」
俺のと言うところには疑問を感じたが、今はそれはどうでもいいかとラスィピはその言葉を鼻で笑う。
「お前よりあいつの方が数百倍は強い」
「んなっ……」
絶句したニルヴァルを地面へと投げ捨てて、ラスィピは超然とした態度で笑ってみせた。
「一般人はケツまくって逃げていろ。私はお前など比較すらできないほどに強いぞ!」
「……え」
呆然としているニルヴァルの視界に、フルルの戦っている姿が目に入った。
先ほど自分が軽くいなされた攻撃を、素手で弾き飛ばしている。
たしかに魔術は使っているだろうが、それでもニルヴァルの常識にはこんなもの存在しない。
あっていいはずがない。
「……ど、どういうこと、なのだ」
震える声が自分の体に響いたが、先ほどのことを思い出してハッとする。
ここにいては、邪魔なのだと。
見ないふりをしていたら見せつけられたのだ。無理やり目を開かされて、その隔絶した差を。
己はなんと弱いのだろう——そう下唇を噛みしめる。
あの横に立つなど、今の甘ったれている自分では一生かかったところで無理なのだ。
そう、ニルヴァルは理解した。
そしてよろよろと立ち上がると、その場から走り去っていった。
「待たせたフルル!」
「いえ、そうでも。ですが、鎖もそろそろ限界です。それに瘴気を放つものですから、口には噛みつかれない方がいいかと思います」
後ろの腐食した木を示すと、フルルは静かに笑った。
ラスィピはその指先をしゃんと伸ばして、その手の中に氷槍を形成した。それからそれを力強く投擲する。
しかしそれはその体にあたる手前で亀裂が全体に走り、そして硬質な響きを残して砕け散った。
「……なるほど。なまなかな魔力では相殺されますか」
「んー……困ったな。私は体術はそう得意とするところではないし」
「避け切っているじゃないですか」
「それで精一杯なんだ。あんまり動くとおっぱいが痛い」
たゆんと揺れた胸の部分を、そっと抑える。
「……硬化かければ問題ないですよ無駄なお肉が減ります」
「なんだか早口じゃないか?」
「そんなことは——っとと」
フルルが三歩後ろまで突き飛ばされ、少したたらを踏む。
好機と見るやそこに手が伸ばされるが、ぴんと鎖が張り詰めて動けない。ガチガチと歯が幾度もフルルを噛み砕くべく鳴るが、それは鎖を噛みしめるばかりだ。
「しっかし、決定打が与えられませんね。どうしましょう」
「うーん……氷の棺を使おうにもここだとどこまで影響が出るかわからないしな、あれって結構無差別だし」
「それに詠唱が基本省略できませんし、詠唱中は動けないですから……」
「ぬあー!!なんで班長を置いて来てしまったんだ私!」
フルルはその言葉に、班長をサフラマから転移するときに置いて来た——そう解釈し、さらりと流す。
「いないものは仕方がないでしょう。私の魔力量もそう大して残っているわけではありません。ここは私が注意を引くので、詠唱を」
「でも魔力の高まりがあったらそちらを優先的に狙うはずだろ?」
「まずは動きを封じることを優先します」
そしてフルルは駆けて行くと、氷の盾を作り出して静かに佇んだ。
そこにめがけて振り下ろされる手は、うまくそらされて地面をえぐる。
ラスィピは静かに地面に手を当てた。
「……ふぅー、よし。行くぞ」
一方その頃、ノストはごきんと肩を鳴らして、一人の青年と対峙していた。
その服装は第二学院のものである。彼もまたレキと同様にそこに潜伏していたのだろう。
「やあこんにちは。僕は名乗れないけど、君のことは知っているよ。ノスト・サフラマ。討伐者の表の班長さんだ」
特徴がノストとは異なる方向にまるで無い、そんな姿に彼は違和感を隠せない。
「……と、なると……この一連の出来事は、討伐者の裏の仕業か」
「おぉ!脳筋の中でも頭脳派だけはあるね、そうそうそうなんだよ。僕は殺すのは大好きで大好きで仕方がないのだけれど、犯罪者になるのは美味しいご飯食べれないから」
残念そうに言う少年は、口の中に手を突っ込んだ。
そこから、じゃらじゃら、と鎖が引きずり出される。それは所々腐食して、そして千切れかかっている。
「今あっちに大きい反応があるのはわかるよね。僕はそれを召喚しているから、僕を鎖が切れる前に殺せたら、あれもいなくなるよ」
「バカ抜かせ。お前、下手すりゃラスィピ以上だぞ?ギリギリになるのは間違いねぇだろ」
彼は首をぐっと曲げてみせる。気持ち悪い角度まで曲がった首は、すぐにピンと真っ直ぐに伸びた。
「……クフフ、面白いこと言うね。僕が君にこのゲームを持ちかけたのは、勝ち負けの問題じゃ無いんだよ。……強い者と戦いたい、それだけさ!!」
振り下ろされた剣を素手で受け止める。ノストの肌と刀身が激しい火花を散らし、わずかな引っかき傷を残して剣は地面へと叩きつけられる。
「ん、かったいなあ」
「そりゃ、どうも」
ボンッ、と衝撃波が二人の体を引き剥がす。
ノストの手の中から生じたもので、第二深淵の無属性、『妖精の悪戯』だ。
「……いったー。もうずるいなあ、あんたこれで怪我しないとか、どういう構造してるのさ?」
「俺も知りたいくらいだ」
「そ?じゃあ俺も本気で行こうか」
ふとその瞬間、男は動きを止めた。その腕輪に何か感じたらしく、手首を触ってから頭を掻いた。
「あ、やばいなあ。こんな時に呼び出しか。うーん……あそうだ!」
その場に一匹の獣が姿をあらわす。魔獣では無いが、弱いわけでは無い……ペルツェ。
それは瞬時に生き物を壺の中に飲み込み、そして中の生き物を溶かしつつ食べる。
「うわっ!?ってクッソネバネバする!?しかも真っ暗でなんも見え、うっひゃあああくすぐったいっひひひいいいひひひい」
ペルツェはしばらくして、息も絶え絶えなノストを吐き出した。集中ができず、ノストははっきりいって体を動かすどころか魔術すら使えずにいた。
どうやら溶解しなかったために無機物だと判断されたらしい。
「けほ、けほんっ……あああまだぞわぞわ、……あん?」
彼はふと、瞬間的に感知した魔力に眉をひそめて、一瞬で今まで閉じ込められていた溶解液の入った壺を焼き払う。それは森を焦がさず、丁寧に広がって綺麗に燃え尽きた。
「チッ、役にたたねぇなあの駄肉……フルルも危ねぇ」
ノストは大きく地面を蹴り、その場所がえぐれているのも構わずその場所に一瞬でたどり着いた。
体を太い枝に貫かれ、魔術が失敗して倒れ込んでいるラスィピと、それからその手から出ている口に放り込まれそうなフルル。
ノストの頭にかっと血が上った。
「勝手に食うなクソザコがぁ!!」
フルルが地面に投げ出され、そしてノストは入れ替わりにその口元まで放り込まれる。
「ぁ、やべ——」
またぬるぬるの中かよ、とどうでもいいことを一つ考えて、ノストはその中に落ちていった。