性格は寝てても変わらない
変態王子に格下げ。
阿呆ここに極まれり、とフルルは呆れて声も出せずに、ただただ虚空をさまようばかりの視線をとにかく迫っている魔獣にぐっと押し付けると、氷筍の一つを足で折り取って蹴り上げ、手に持ちその魔獣の喉元めがけてぐっと突き出す。
血しぶきがばっと舞い散り、悲鳴をあげたところへ脳天にもうひと押し、氷の群れが殺到した。ニルヴァルは息も絶え絶えに下を向いていたので、その光景を見てはいなかった。
「……ええと」
「怖かったであろう、もう心配はいらないぞ」
「……いや、ここにいると」
「貴族の言葉だからと従わなくても良い。お前はこの国王となる私の妃となるのだからな!」
ちょっと何言ってるかわからない。
フルルは実に困惑していた。
フルルの頭の中では話の通じない人間は、ほぼ無価値であり——そして何より目の前の子供が邪魔で仕方がない。
かと言って、これが今しがた言った言葉を推察するに馬鹿といえど王族……殺すことはならないだろう。
面倒だ。
こういう時に限って、面倒ごとを押し付ける存在でもあるノストがいない。
「さあ、僕とともにここから逃げよう!」
背筋に謎の悪寒を感じつつ、フルルは思考して結論づけた。
——無視しよう。
魔獣の一匹が、力強く吠えてニルヴァルはたたらを踏んだ。加えて足場の氷で滑り、そこに生えていた氷の柱に頭をぶつけて、彼はあっけなく気絶した。
「よくやりました!!」
フルルは思わずそう叫ぶ。しかしその魔獣はそんなどうでもいいことには目を向けずにフルルへとまっすぐ向かってくる。
彼女は小さく舌打ちして、もう一つ生えていた氷筍を蹴り砕いて、それを無属性の浮遊で弾幕とする。ただ四方八方に指向性を与えただけなので、問題は一切ない。
周囲に人がいなければの話だが。
ニルヴァルはギリギリ安全圏内に入っているので別である。
フルルは木々が邪魔だと思いつつ、傷ついて唸る魔獣にトドメをさして行く。
「チィ、木が邪魔なんですよ。雪原のように見晴らしが良ければいいのに」
ふと、小さい魔獣が群れとなって殺到してくる。
「氷網ッ!!」
魔術式を叫んだ瞬間、蜘蛛の巣状に枝から枝へと氷の糸が張り巡らされ、糸に引っかかった魔獣が一瞬で凍りついて行く。しかし小さいがゆえにその隙間をくぐり抜けてくるものがいる。
「く、うっ」
肩を食い破られ、血が流れ出す。食い破った一匹は、大きくなって他の小さな魔獣を食い散らして行く。
「しめたっ、加速!!」
その体をごっそりとえぐり取りながら、フルルの拳が通過して行く。
こんなにも焦るべき状況なのに、フルルは唇におぞましさすら思わせる笑みを浮かべて、氷筍を折り取った。
「今のは少し……効きました」
ぺっ、と地面に唾を吐き捨てた後に、彼女は静かに頭から流血している子供を睥睨した。
「どうしましょう、これ」
いなければ使える魔術もあったはずなのだが、と少し残念に思う。
そこへ、新手がじわじわと迫ってくる。フルルの放つ魔力が、美味しそうに見えるのだろう。空腹状態のそれが殺到してくる。
——ああ、まずい。
とりあえず、地面から離れた場所に投げて、枝に引っ掛けると、フルルは一つ息をひゅっと吸って、そのまま言葉を紡ぐ。
その表情は、殺す喜びに輝いていた。
「おい誰かいるか!?」
「お呼びかい!」
「呼んでねぇよ歩く災害」
ラスィピが力強く返答を返して来て、ノストは反射でそう返す。しかし、そんなことでめげるラスィピではない。ダテに真性のロリコンであるシエスカに惚れてはいない。
「何かあったんだろ〜、行きたい行きたいいーきーたーい!!」
ノストに絡みついて、足をジタバタさせる。
「ガキかぁ!!鬱陶しいっつってんだろこの方向音痴!!いっぺん死んだらそのバカは治るのか!?あぁん!?」
「だって、他の人は仕事するなって言うし」
唇を尖らせた彼女は非常に蠱惑的にも思える。しかしそれを補って余りある吹っ飛んだバカという短所は、宝石をゴミへと変換する。
「……クッソ、絶対俺についてこいよ!変な場所行ったら殺すからな!!」
「わーい!」
そしてノストは転移を済ませると、ハッとした顔でどこかに行こうとするラスィピの首根っこをひっ捕まえた。
「どこに行く馬鹿」
「だってあっちの方に……」
「お前は魔力感知ポンコツなんだから黙ってついてこいっつったろこの大ボケナス!!」
だってだってー、と続けるラスィピを無視して小脇に抱え上げ、フルルの方向へと走り出す。
血の匂いが徐々に濃くなっていく。そしてノストは見た。
血まみれになりながら、肩口から頬から脚から血を流しボロボロに成り果てたフルルが、氷の刃で魔獣の一匹の突進を受け止めている。その口元の微笑みは場違いに明るい。
「う、ぐぅ」
呻いたのは足裏が傷ついたからだろう。その脚に履いていたはずの靴が見当たらない。フルルの動きに耐えきれず、破けたのか。
そして何より——フルルの周囲に魔素が渦を巻き始めている。
「フルルッ!!」
ノストの叫び声に、彼女は笑みを深めて魔獣を思い切り跳ね返した。
「うわぉ、あれほぼ膂力だけじゃない?」
「みたいだ。おいラスィピ、滅しろ」
「あ、そこの木に引っかかってる王子らしきものだけ回収しておいてください」
「なんでいんの!?」
「私が残っていたら勝手に来たんですよ」
彼はこくんと頷いて、ちょっと薄汚れているニルヴァルを抱きかかえ、それからフルルの手を取り、その場を一瞬で離脱して行く。
魔力は無理やり押し込めているので、今は無茶な放出をしなければラスィピに殺到して行くはずだ。
「あー……やっぱり、治癒魔術って必須技能ですね、今度それも教えてください」
「おう、いいぞ。フルルはもっともっと強くなれる」
「ノストさんって、たまにすごく上から目線ですね……っとと」
フルルは唐突に立ち止まったノストを見上げて、それから正面を見た。
「私お邪魔でしょうか?」
レキ——幼げな容貌を器用に歪めて、妖艶な笑いをしている彼女。
「ああ。……フルル、このお荷物頼むな」
「えぇ……あまり好き好んで抱えたいものではないのですけど。——あれは、ラスィピ様ですか?」
「様なんてつけてたまるか」
「同意します。ですけれど、強いのも確かです」
髪の短さと、そして何よりその身体中の魔紋。フルルは目をすっと閉じて、また開いた。
「彼女の誇りは、強く在ることなのでしょう。さて、あなたもあのお祭りに参加するのですか?」
「いやいや何言ってんだよ。俺はしがない討伐者組合雑用係だぜ?」
じっとりとした視線を途端に向けられて、ノストの表情がひきつる。
「……なんでございやしょう」
「まぁ……いいですけどね。ノストさん、これに保護かけておいて、行っていいですよ。つま先がずうっとパタパタしてうずうずしてるじゃないですか」
彼は見抜かれたという恥ずかしさで、頰を朱に染める。そして彼女を睨んで、一言。
「…………エッチ変態視姦魔」
「木から突き落とします」
本気でガクガク揺さぶってくる。
「マジじゃねぇかやめろ!?」
「仲がいいんだな!」
「……おかえりラスィピさん」
「お初にお目にかかります、ラスィピ様。私はフルル・バーチェと申します」
ラスィピが木の枝に乗ったまま、ニコッと屈託無く笑った。
「ああ、よろしく!……ところでノスるん、ちょっと助けて」
「あん?」
魔素が渦を巻き始めて。
「……おいコラ駄肉、ありゃ一体なんなんだ?あぁ?」
襟首をつかんで、視線を合わせようとするが、その目線はどこへともなくフラフラと彷徨う。
「いやああっはっはっは」
「笑い事じゃねぇえええだろう、がッ!!」
「ぎゃひん!」
頭突きが炸裂して、ラスィピは木の枝に座り込んだ。
「い、痛いじゃないか」
「痛くしたんだよ」
「お、おい、顔が怖いぞ」
「……王子抱きかかえてフルルと戻ってろ。いいか、道はフルルに聞け。問題一つ起こしてみろ……」
ガッと喉元に手を突きつけて、ノストが睨みつける。ラスィピのほっそりとした白い喉が上下する。
「ちぎるぞ」
「いぇええっさぁ!!よしフルル君案内しておくれ!」
「……わかりました。ノストさんは、おそらく大丈夫だと思うので目一杯楽しんでくださいね」
「おう。そんじゃ、後でな」
ふと、その場から去って行ったフルルを振り返る。彼はゾクゾクとした高揚感を感じていた。
——今のは完全に、ノストの実力を問題ないと評価して、なおかつ彼の本質を見抜いていた。
そしてそれでもなお、気安い態度は変わることがない。
ああ、なんていい日だろう。
「さいっ……こうな、気分だ!」
輝く笑みを浮かべたまま、ノストは渦を巻いて出現して来た魔獣を屠り去っていく。紐を硬化により剣のように使ったり、あるいは風撃によって斬り裂けるように加工したり。
そしてそのいずれの血飛沫も、ノストの服には一切飛ばない。
蹂躙という言葉が似合うほど、ノストの顔には余裕があった。
「……前方に人がいるので、これ押し付けて元の場所に戻りましょう」
「賛成だ。おんぶしているのにこいつ胸揉んできたぞ」
「うわ」
思わず心の底から気持ち悪いという思いを込めた感想が出たが、その声が聞こえたのかニルヴァルの顔がにへらといやらしく歪む。
「……気持ち悪い……」
「それを背負っている私の身にもなってはくれまいかねフルル君っ!?」
それを完全に無視してフルルはそっぽを向く。
「あ、人がいまし……」
淡い緑色の髪に、小さな体躯。
「あら、誰か来たと思ったら。こんにちは」
「……こんにちは。取り巻きはいらっしゃらないのですね、小さなお姫様」
「あの子たちには関係のないことなのだもの。そっちはラスィピさんね?元気そうで安心したわ」
ラスィピは頭をちょっと抱えて、それからビシッとレキを指差した。
「お前は誰だ!」
「あなたのポンコツ具合も変わってなくて安心したわ」
それはそうと、とレキは唄うように呟いた。
「ノストはあの場所にいるのはわかってるわ。でも……あなたがいるなら全力を出さなきゃいけないわね、ラスィピさん」
「どういうことです」
怪訝な顔をしたフルルが問い返すと、ラスィピがその後ろに隠れて小声で反論する。
「そーだぞ!何を言っているのか全くわからない」
「あなたはちょっと黙っていてください」
敵にも味方にも冷たくされてラスィピがどんよりした空気を出しつつ、レキとフルルが静かに話を進めていく。
「私、てっきりノストが全部片付けてしまうと思っていたの。だから少々多めにと上に伝えたのだけど……ラスィピさんがいるなら目測を上方修正しておかなきゃいけないのよ」
「あなたは一体、何をしたいのです」
前髪が一すじ、はらりと落ちて来たのを幼い体躯に似合わない妖艶な仕草でかきやると、くすりと笑ってみせた。
警戒したフルルは、静かに袖の中に氷を形成する。
「少しおしゃべりが過ぎたみたい。そろそろ時間ね」
「一体何が——」
ふと。
生徒たちの避難している群れの中に。
ぎっしり詰まった悪夢が、顕現した。
「……ラスィピさんがいて、ギリギリね。あなた方は、彼らをアレから守れるかしら」
討伐者さん、と夢現の狭間にいるように彼女は呟いて、姿を消した。