歪んだ意思はとめられない
「なんなんです!!いきなり投げて来たこれ、殺気が詰まってましたよ!!」
騒ぎから離れた場所にてナイフを地面に投げ捨てて、それを踏みつけノストを睨みつけるフルル。
彼はそれに悪びれたそぶりも見せずに頭をちょっと掻いて笑った。
「悪いな、俺の事情に巻き込んで。あいつ、俺に復讐中だから」
今なんて言ったこいつ、という視線を受け流すこともできず、ノストはただ苦笑いをしていた。
「……レキは今年で二十三のはずなんだけど、学院ってまだ入れたんだな」
「学院の入学は18までです」
「あっれー」
彼はじゃあ違法かよと頭を抱えたくなる。
年齢の詐称は咎められそうなところだが、彼女の場合その見た目が15や16と一致しているがために、ややこしいことになりそうだ。
「……何があったかは聞きませんけれど」
「あ、いや隠すようなことでもねぇよ。俺のうっかりであいつの恋人で俺の親友だった男が死んで、親友は俺にあの子を頼むと言い放ち、そして俺はあの子に俺を恨ませて自害するのを防いでる」
うっかりで人が死ぬなんて、よくあることだ。
フルルもそれを聞いて白けたような顔になる。
「……泣けもしない普通の話ですね。当人以外には」
「そうだろ?俺もまだまだ子供だったしなあ」
「今それ言いますか?——さておき、私を巻き込まないでくださいよ。今度巻き込んだら、絞め落としますから」
本気の目を向けられたノストには頷くことしかできなかった。
そして騒ぎの中、良識ある教師が生徒同士を引き剥がす。中には生徒そっちのけでいがみ合う教師もいたが、そちらも無理やり引き剥がされる。
「……騒ぎを起こさないその姿勢、敬服いたしました。ですが、ここからが交流会です。気を引き締めて行動するように!」
「はい!」
この一季で、命令に対して従順に動くことが体に染み込まされた。ノストはもとより上位者に従うことは絶対と義務付けられていたため、そう面倒は起こさなかった。
フルルはといえば、普通に従っていれば小言も言われずに済むのでそうしていた。
「おい!」
「はい?」
「お前さっき何を彼女と喋っていたのだ?」
「小さい方との因縁がありまして、友人のフルルに目をつけられてしまったようでして」
「ゆ、友人か……?本当に友人なのか?」
疑わしい視線を向けるのも、無理はない。ノストとフルルの距離は平民としては普通の距離だが、女性と距離を取ることをほとんど義務付けられている貴族においては異なってくる。
実際は納得しているわけではないが、彼はなんとなく頷いた。
ただ、訝しんでいるその顔は、二人の間柄を見極めようとじっとノストを見つめていた。
しかし、幾ばくもなくその表情の変わらなさに諦めたように地面へ視線を落とす。
「フルルさん!」
「なんでしょうか」
「あなた殿下に少々気に入られたからといって……」
「殿下とは誰のことですか?」
下位貴族の女子とこんな会話を繰り広げているとはつゆ知らずに、ニルヴァルはそこから気を取り直してノストをひっ捕まえて饒舌にフルルの姿を褒めそやし始めた。そして好きなものや何もかもを聞き出そうとする。
「ぜひ!教えてくれ!」
「……好物なんて話すほど親しくありませんが」
「なんだと!?今すぐ聞き出してこい!好きな男のタイプもだ」
ノストは渋々女子列の最後尾にいたフルルの肩を突く。
「よう」
「なんですか?」
「なんか殿下が好物と好きな男のタイプを教えてくれ、だとよ」
「好物は蛞蝓肉を凍らせたものです。好きなタイプは……食うに困らせず、あとは私と対等に、いやそれ以上に戦える人物がいいですね」
ひっそりと『それって無茶じゃね?』と思ったものの、今のノストに求められる能力は伝書鳩である。言われたことを言われたままに伝えると、ニルヴァルは「この合宿で魔獣をばったばったとなぎ倒して強さを見せつけてくれる、ははははは!俺が守ってやろう」と言っていた。
多分フルルは一緒に戦える方がいいという意味でそう言ったのであって、守って欲しいわけではないと思うのだが、その辺りの微妙なところは伝わらないようだ。
あとこの森にいるくらいのものであれば、瞬殺できる。守られるのはニルヴァルになるだろう。
それにしても、とノストは森の中の空気を吸って、吐いた。
魔素が薄い空気で、そして居心地がいい。魔獣も弱いものしかいないから、昼寝できるんじゃないだろうか?
「……あ、あの……そんなに呑気に歩いてて大丈夫、なの?」
「イリン様?」
「さ、様なんて柄じゃないよ。えっと、ここは奇花だって出るんだよ?」
よく見れば、周囲の生徒は皆かなり気を張ったまま歩いているようで、ひどく顔がこわばっている。イリンも同様に、だ。
ノストは実際こんな能天気な森を見たのは初めてで、魔獣以外の野生動物がフラフラほっつき歩いているのを見てちょっと驚いていた。
森とはボコボコ魔素溜まりが湧いて出てくるものではないのだ。
それを今更警戒しろなんて、無茶なこともあったものだと、ノストは苦笑いを返す。
「俺は別段構わない。魔物が襲うのは、いつだってその実力じゃなく——魔力量が高い人間だ」
ニルヴァルの悲鳴が、こだました。
ノストは護衛に守られて、棒立ちになっている王子を睥睨した。
ばったばったとなぎ倒すと言っていたが、彼はそう実力があるわけでもないし今は体内の魔力に乱れが生じてうまく魔術も使えないだろう。
「はっきり言って、この合宿はぬるい」
「ぬるい?でもこんなに早く魔獣に遭遇したんだ。ぬるくはない、……と思います」
自分の意見を言っている間はそこそこ自信ありげに言っていたが、ノストと目があった瞬間イリンはトーンダウンしてしまう。
「魔の森では、踏み込む前にまず魔獣の群れを突き抜けて進んでいく。それからひっきりなしに降り注いでくる攻撃を抜けて、ようやく森だ。そしてこちらが食われて血でも流せば、相手はこちらの魔力で強くなってこっちは弱ったまま相対することになる」
「……随分、その……詳しいんだね?」
「ま、まあ、話だけはいっぱい聞くさ」
大慌てでようやく討伐されたそれを見やる。
魔獣の死体は魔素の塊で生き物や動植物が変質したものだが、死亡するとその魔素が固定されて渦を起こさないようになる。
殺さなければ魔素が集合してしまうので、見つければ倒した方がいい。
「……うーん」
あの程度では他に相手をしながらでも対処できるはずだ。あまりにも、レベルが低いとノストは訝しむ。
王都などの討伐者が率先して狩っているからなのか、それとも……。
「まさか、なぁ」
まさか——そんなわけないだろうと思うものの、疑いは捨てきれない。
そんなに長期的な作戦を立てるほど、この国が腐りきっているのか?
そういうことを考えるのはあまり得意でも好きでもない彼にとっては、そこから先はどうでもいいことだった。
彼にとって大事なのは、それが作戦であれそうでないものであれ、民衆が傷つかないことが最も大切なのだから。
天幕を張れるような場所に到着する。教室ごとに場所は分かれているので、イリンと別々になってノストたちは自分たちの場所に集合する。
「それでは、皆様これより——遠征訓練を開始します」
ぞわりと空気が蠢いた。
「……えん、せい?って、どういうことですかオルブライ教授!!」
「そうですね。指定された魔獣を指定された個体数だけ討伐する訓練になります。皆様の保護者より、死亡しない限り責は問わないと証書をいただいておりますので、手加減はいたしません」
「なっ……」
「万が一死んでしまっても、死刑にはしないと伺っております。私共は容赦いたしませんのでそのおつもりで」
全員が、この時点で動きを止めた。
それをちらりと見て天幕を張りに行くフルルを見たが、ノストを一瞥することもなく彼女は動き続ける。やれやれ、と息を吐いて、ノストはパン!と手を打った。
全員が音に驚いたように、振り返る。
「動きましょう。野営は軍でも必須の項目ですし、できないと第二学院より——と、いう話にもなりかねません。ニルヴァル殿下、指示をください」
指示を仰ぐことで、地位を最優先にさせたと主張しつつ全員を正気に戻す。呆然としていたそこから引き戻すには、何より体を動かすことが一番だ。
「あ、ああそうだな。……まず天幕を張ろう。ええと、……お前やり方は知っているのか?」
「はい」
ここでノストの心に疑問が湧いた。『ニルヴァルは俺の名前をはっきり覚えているのか?』という単純なものだ。
「殿下、こちらは張り終わりましたが」
他の低位貴族の子供と連れ立って行くと、お前達と呼ばれて終わった。
いつもおい、とかそこの、とかフルルの友人とか呼ばれていたからノストは気づかなかったのだが、どうやら本当に覚えていないようだ。
「女子の天幕の方は、張り終わりましたが」
「あ、あらそうですの?」
「はい」
フルルは、なんとはなしにじわじわ女子も取り込み始めている。無自覚であるのが恐ろしいところだ。
今回参加しているのは低位貴族が主であり、ほとんどの女子があちこちに動いて、フルルは全体の手伝いをしている。
「布で覆ってありますが、お花を摘みに行く時は、必ず二人組で行動するようにしてください。人間が最も無防備になるのが、排泄と睡眠の時間ですから」
「こ、心得ておりますわよ!」
貴族の彼らには、同性ならば誰かに自分の排泄する姿を見せる忌避感はあまりない。世話をする係であれ何であれ、必ず人が付いているからだ。
「フルル、ちょっといいか?」
「はい?」
「……術式固定以外で使える時間は?」
「長くて、鐘四分の一ほどです。……本当に嫌になるくらいに」
短い。
だが、まあ悪くはない。
「フルル。多分、あれだけじゃないから言っとく。多分俺の友人だと思われたから、しつこく絡まれると思う」
「……はい?ちょっと待ってください。さっきの女の人にどうして?っていうかいつ友達になったんですか?」
ノストはうっそりと笑った。
ノストは友人はほとんどいない。
生きることに対して過剰な執着を見せている人間、そしてそうでなくとも強くなれそうな者。
「……フルルとは同じ景色が見れそうだ」
「ちゃんと説明してくださいよ。カッコつけて変なこと言ってると、凍らせますよ」
「うっわこえぇ」
ノストは繰り出される拳をひょいひょいと笑いながら避けて、男子の天幕の方へと戻っていった。
他の教室の生徒は、全く別の場所に行ったらしく騒がしい声がうっすらと聞こえる程度だ。
ノストは火の付け方一つに悪戦苦闘しているのを面倒を見つつ、いい薪になる木を教えた。生木や湿気たものだと火がつきにくいし、煙が多く出て不愉快だ。魔術で乾燥させようと思えばできるが、無駄な魔力を消費する。
「食料の、ハァッ、調達は?」
「この森の植生を知らないからな。大雑把に毒草と食えるものは知ってるが、無理に見知らぬ野草とかきのこを食べる必要はないんじゃないか?」
息の上がりかけた下位貴族を尻目に、ノストは鼻歌交じりに採集を済ませて行く。
「臭い消しくらいにはなるだろうし、この匂いがあるところには野生の獣が寄ってきにくいんだ」
「へぇ……」
ちなみにそれを知ったのは森でコトアに無理やり叩き込まれたことだ。生死がかかっている状況では、さすがに臭い消しとか火が通ってないとか言っている場合でもなかったりする。
蛞蝓肉を凍らせて食べられるフルルは、案外その見た目に反して野生児まっしぐらなのかもしれないとノストは若干遠い目になった。
「いっぱい採れたな、っと」
「大丈夫か?」
一人がよろめき、背負子がわりの即席のカゴから、一つ何かがこぼれ落ちる。
卵だ。
「……灰色の斑点」
「え?」
「地面に置いてあったか?」
「い、石に紛れるようにこっそりと?」
「捨ててこい!!そいつは嵐蜥蜴の卵だぞ!?急げ!!」
魔獣ではないものの卵に対して執着し、異様にしつこい。なおかつ小さい生き物ではあるのだが——その血は魔獣を呼ぶ、臭い匂いを放つ。
「わ、わかった……」
すると、割と近くで大きな悲鳴がいくつか聞こえた。ノストの横を、悪臭を放つ誰かが通り抜けて行く。その一団には、見覚えのある小さい影も含まれていた。その背を追うようにして、魔獣がやって来る。
魔闘鶏だ。
「なすりつけかよ!」
ノストはその逃げ行く集団に水を放ち、それから硬化を行なって魔獣の体を大きく蹴り飛ばす。
力の乗った蹴りに、魔獣が少したたらを踏んで、そこを狙ってノストは腰紐をしゅっと抜き放ち、その首に巻きつかせた。
くんと引っ張られた紐はギリギリと締め付けを強くして、そして魔獣の骨ごとその喉を締め砕くと、絶命してどうと地面に体を落とした。
「……全く」
「い、一撃で……?」
「すごいな!!今のなんだ!?鞭か!?」
「にしても今のは第二の連中じゃないか」
ノストはその体を解体し始める。血は抜いた方が美味しくいただけるという考えゆえだ。
足を紐でくくって近くの木に吊るして、硬化で固めたその辺の木の枝を使って頚動脈を掻き切り、放血を済ませると皆が凝視していた。地面には穴で血のたまる場所を作る。
「なれてるんだな」
「ああ、まあ幾度となくやった作業だし」
「ああいうのはサフラマでは日常なのか?」
「一般市民もそこそこ程度には。怖気付いて動けなくなる者はいないくらいか?」
ふと、後ろから水を身体中から滴らせた少年たちが歩いて来た。
「おい!一体何しやがった!!」
——それはこっちの言葉だとそこにいた第四学院の全員が思った瞬間だった。