大切だから伝わらない
傾国。
これは夢だ。
そうわかっていて、見ることはやめられない。
「ごめんね」
「ごめんね」
ごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんね。
ありとあらゆる人が血にまみれながら、血を吐きながらつぶやき、叫び、そして瞳だけで訴え続ける情景が続く。血にまみれた情景に体は喜び心は恐れで震えが止まらない。そしてその最後に青年の体から頭が吹っ飛んで手の中にすぽりと収まった。
ごめんね、と。
そう言った頭は、彼の——。
「っはぁっ……げほっ」
手の中に血液がないかを、見る。
ノストの手のひらは、白くて綺麗なままだ。
「……イーシェー」
数え切れないほど見たその夢を再度ベッドに倒れこみながら反芻する。今日は休日で、サフラマでは仕事がある。
イーシェーは、ノストの初めての友であり、そして目の前で失った人間の一人目だった。
果てしない自戒を立てたのは、この時。
ともに戦える者だけが共に居られるのだ。
彼と友になったことは、正解で不正解だ。
「……なり得るのは、フルルだけ」
あとは『保護対象者』という括りのみだ。
寮の中でフルルは針のむしろに座らされているのだろうが、あの矜持が高い彼女は早々に折れるはずもない。加えてあの戦闘力だ。放っておいても問題ない、そう結論づけてご飯だけを食べて即座にサフラマに戻る。
「班長って、結構こっちに戻ってきますけど、友達とかいないんですか?」
「あ?ああ、そうだな、候補が一人。あとは全員ダメだ」
「なんですかそれ。候補って」
鶸色の髪を揺らめかせて、同じ班のミゼ・クェストールが笑う。
「ああ、まあこういうとこに住んでるとなぁ」
「ああ、そうでしたね。……班長今度クェストールに行くんですよね?そしたら手紙持ってってくれませんか?私の知り合いに」
「神速鳥便の料金ごときケチってんじゃねぇぞ」
「いやいや、女の子はお金かかるんですよ」
月に数日はまともに戦えないし、戦場に出す時はそれを気遣わねばならない。ちなみに種族ごとに周期は異なり、勤務日を決める上ではかなり面倒なものだ。
「それにしてもよくクェストールに行くって知ってたな」
「ああ、魔術学院は私も行ってたし地元にも学生さんが来るんです、この時期。懐かしいなぁ、ついでにアリリンってお店の焼き菓子を買ってきてくださいね」
「……図々しいなお前。まあ土産レベルなら構わんが」
楽しみにしていますね、と鶸色が遠ざかろうとして——ノストに掴まれる。
「おいお前報告の途中だったろうが」
「あれ?あ、そうでしたね!」
「なんで自分の欲求に忠実なことしか有能じゃねぇんだよ……」
「ジルべの港町で魔獣が出現しました。それには件の組織が関連しており、いずれも貴族の息がかかっていると見て間違いありません。管理も愛玩動物として存在しているために甘く、さらに大量であることから最低位の魔獣であっても軽視ができない状況です」
「……上がどう動いているかわからない以上、迂闊に手荒な措置は取れねぇが……やっぱジジイに聞いてもらうか?」
ブツブツ呟くノストに一礼をして、ミゼは去って行く。
彼は一枚紙を取り出して、そこに今回の顛末を書き記した後、それに魔法陣を刻んでコトアの机へと直接送付する。すると間も無く一枚の走り書きのメモが返ってきた。
『現在上に情報をもらっているわかったらまた連絡する』
句読点もないあたり、忙殺されているのだろう。
ふと寮の自室に何かを感じて、ノストは転移をすると髪と目の色を変えて部屋の扉を開けようとし——服装のまずさに気づいた。
即刻脱いで棚に放り込み、一枚の普段着を取り出したところで、扉が開けられる。
「開いてるじゃないで……」
上半身裸のノストと、フルル。
「いや勝手に開けるなよ」
「失礼しました」
混浴もざらな場所育ちゆえに今更着替えを見られて騒ぐほどでもないので、放置するとノストは魔術教本の二番を取り出して一枚のページを見せる。
「体全体に魔力を纏わせるのは、ある程度持続できるようになったんだろ?」
「はい。鐘二つぶんほどでしょうか?」
「やっぱ不得意、か。いいか、体全体に纏わせるだけってことは、いつも出てる余剰魔力をとどめるだけで良いんだ、普通何日だってできる。なのにそれが難しい……お前馬鹿以下か」
「また言いましたか……」
睨むような視線を感じるが目をちょっとそらして話を続ける。
「言った。んで、絶望的に向いてないその魔力を変換すると、だいたいもって半鐘ぶんもあるかどうか、だ」
魔術教本の二番のページを差し出す。
「このページに書かれている外界遮断の呪文、これは間違っている」
「え?」
『属性・火、効果範囲・三、継続時間・十、魔術式・外界遮断』
その文字のどこをたどっても間違いはないように見えたようで、ノストのニヤニヤ笑う顔をフルルが忌々しそうに見返した。
「どこがです?」
「……まず、効果範囲はいらないし、継続時間もいらない。その代わりこの一文を挟む——術式固定だ。これは魔力が供給され続ける限り、術式を付与し続ける」
「え、ちょっ……ちょっと待ってください。それって」
「まあ実際に魔力を纏う練習は必要なかったってことだ」
フルルは一瞬あっけにとられて、それからノストの襟首を鷲掴みにした。
「ちょっとそういうことは早く言ってください!!」
「これは放出系の魔法の利用と並行して行うのは難しいんだよ。日常生活を送る上では問題ないけど、戦闘するときは役に立たない」
「あ、そういうことですか」
常時ある程度の魔術回路の容量が食われてしまうため、あまり使い勝手がいいわけではない。今のフルルでは第二深淵、詠唱ありでおそらく打ち止めになるほど、逼迫してしまうだろう。
放出型の攻撃魔法と留める付与魔法では、そのあたりが異なる。
ノストが見せた第一深淵の並行発動は、なかなかできるものではない。
「そして最後にもう一つ。属性は火でもあり——氷でもある」
「へん?」
「そして無であるとも言える」
さらにわけがわからないという顔をしたフルルに、ノストが説明をする。
「フルル、例えば火が水を温めるとき、それは熱を与えられたとか、温度変化に関するものだと思うよな」
「え?あ、はい」
「だいたいの『人種』は、寒いところでは火を求めて、暑いところでは火を避ける——つまり、外界遮断の属性は火だと考えた方が、やりやすい」
しかし、フルルは氷人。
「お前の場合は、寒いところはほとんどない。要するに氷を求める方が、よほど楽なわけだ」
「なるほどなるほど……ええと、では最後の」
「無に関しては、俺もいけるとは思ってなかったんだけどな。試してみたら、いけた。考え方は、こう。——魔力で全身をくまなくコーティングして温度変化をなくす」
「おぉー……ん?要するに、各個人が得意な属性で行うことができるってことですか?」
「熱に関係してればな。氷と火、あるいは無、それら全部が不得意ってやつはそうそういないし」
フルルはこくりと頷いて、それから詠唱を始めた。
「属性・氷、術式固定、魔術式・外界遮断」
そして、おずおずとそのフードを外す。
「…………できた……」
「まあもう一方もしっかり練習さえしておけばってがふ!?」
喜びのあまり抱きついたフルルが、ノストに絞め技が効くと気づくまで数秒。
そしてノストは翌日、ユナリーアに呼び出しを食らっていた。
「……由々しき事態です。フルルさんを守ろうとする派閥と、目の敵にする派閥ができてしまっています」
「一日で?」
「一日でそうせざるを得ないほど、あの姿形はまずいのです!」
一言で言えば、国を傾けかねないらしい。不幸中の幸いなのは、フルル自身周りに興味がなく、どうでもいいと思っているかららしい。権勢への無欲がこうもいい方向に繋がってくれるとは思いもしなかったとユナリーアは語るが、その表情は渋いままだ。
「講義で外界遮断を教えたことはないですから、あなたが教えたのは間違いないとわかっていますよ」
「確かに教えました」
「あれは予想できなかったのですか!」
「え、いやぁ……うーん、知り合いに氷人は一人いましたけどそんな風にはならなかったし……」
がっくりとユナリーアがうなだれた。珍しいことに、かなり感情が表に出るほど驚いているようだ。
「前回は一瞬でしたから騒ぎになるのは彼女の種族だけですみましたが、今はあなたのせいで大変な騒ぎになっているのです!」
「でも俺が止められることはもうありませんよ」
「知っています!!」
こんな性格だったかと彼は首をひねり、そして目をそらした。
睨まれている。
「……なんとかしたいところですが……こうなっては致し方ありませんね。ノストさん、フルルさんを略奪しましょう」
「は……はい!?」
「いえ略奪ではないですね、堕としてきてください。貞操を奪えば問題ないですもの」
何言ってるんだこの女、とノストは頭を抱えた。斜め前の護衛の人が同情するような顔になっているのがさらに心を抉った。
「……お嬢様」
「……取り乱しましたね」
ふう、と彼女は息を吐いて、ノストを見た。
「とにかく彼女を他の男に近づけないように」
その指示は、ある意味でノストを殺すような指示であると気づいている護衛は、可愛そうなものを見るような目をしていた。ノストとしてはそれを受けざるを得なかった。
進めばニルヴァルに睨まれ、退けばユナリーアが笑みを浮かべて待っている。
身分というものは実に忌々しいことだと、ノストは小さく嘆息した。
ユナリーアがふっとこちらを振り返った。
「今ため息が聞こえたような……」
「なんでもないです」
クェストールでは、三日三晩森の中で野宿を行う。無論講師や護衛などを完備して、各々の子供の親から許諾を取って行われる。
ニルヴァルは参加していたがユナリーアは参加していなかった——それが答えである。
そして彼らはそこで、制服を着た同じような人々に遭遇する。
「なっ……ありゃあ第四の連中じゃねぇか!!」
その言葉遣いの悪さに、魔術学院の生徒が眉をひそめる。そして相対する彼らは、そのいかにも上品ぶった対応に、馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「第二の野犬どもが」
「あぁ?なんだって?聞こえねぇなあ、声までヒョロヒョロしやがって」
フルルはそれを聞いて、彼らをじっとりとした視線で睨め付けていたが、口汚く罵ってくる相手には慣れていたらしく、やがて一瞥すらしなくなった。
そしてその行動は全体へ伝播していく。
女子生徒はその対応を見て見苦しく喚くのは得策ではないと考え、男子生徒は彼女への崇敬から。
ノストはといえば、面倒だっただけであるが。
「……なんとか言えよ!!」
ふと、ノストは肩を叩かれているのを感じてそちらを見る。
金色の髪と虹色の角の少年が、にこっと笑いながら立っていた。
「ひ、久しぶり……」
「お久しぶりです」
あれからしばらく見ていなかったが、イリンは元気だったようだ。
「しばらくいなかったけど、えと、大変なことになってるね。あの美人な人って、だあれ?」
「フルル・バーチェです。それにしても学院の授業が単位制とはいえ、早い時期からいないなんて珍しいですね」
「ああ、えっとね。ちょっと趣味の方に……それよりノストくん、あの人たちってなんでこんなに悪口を言ってくるの?こっちには曲がりなりにも王族も貴族もいるのに」
そんなこと知るかと言いたいが、ノストは肩をすくめるにとどめた。ふと、第二学院の人混みの群れから、若菜色の髪が見えてノストはどきりとした。
——まさか?
その隙間から、押し出されるように人混みをかき分けて、一人の人間が出て来た。
「やっぱりそうだっ!」
「う、うわ、姫!?」
垂れた目に内巻きの若菜色の髪。幼げな容貌とその身長の低さ。
彼女はノストにぎゅっと抱きついた。
「……久しぶりですね、レキ」
「あれ、なんでそんな他人行儀なの?」
その子猫のような目が細められて、それからつまらなそうにノストを見た。
「後ろの人は?すごい美人さんな氷人」
「彼女は……」
ノストはニコリと笑った。
「ただのクラスメートですよ」
「……ふうん?」
その手から何かが放たれたのを、ノストはそのまま見やった。
フルルの手に握られたナイフは、二本の指で受け止められた後に緩やかに広がった袖の中に消えていき、普通の人には何もなかったように隠蔽した。
「——何、クラスメート?そんなの嘘じゃないの。彼女は友人でしょ?私のイーシェーを奪っておいてよくもそんな真似ができるわね恥知らず」
囁かれたその言葉にノストは困ったと言わんばかりに眉を下げた。しかしその顔はどこか泣く子供を見るような優しい目だ。
「ちょっとノストさん、その人なんなんです」
「ああ、悪い悪い。友人の、フルルだ。そしてこちらはレキ……知り合いだ」
にこやかに放たれたその言葉に、レキは「初めまして」とどこか毒を含んだ笑みを周りに向けた。