恋は迷惑でしかない
面倒な……。
「綺麗だった……」
うっとりしたその表情を見ながら、腕輪が静かに震えているのを感じていた。
呼び出されているが、さすがに目の前のこれを無視するわけにはいかないのだ。
ノストは気が遠くなりそうになりながらも、初めての恋に浮かれたニルヴァルの相手をしていた。
その恋のお相手はなんとフルルである。
心なしか彼のプラチナブロンドも輝いて見える。
目の前であんな凄惨なことがあったというのに、正気なのだろうかと思うほど彼は浮かれきっていて、ノストはそれを見て遠い目をしようとしたが、現実逃避することを細かく震える腕輪が許さなかった。
おそらくだが治療が済んだと言った故に無傷だとふんだのだろうが。
「……差し出がましいようですが、私になんの御用向きでしょう?」
「お、おお、そうだな。……ごほん。お前……フルル・バーチェとは、どういう関係なのだ!」
ここで友達以上恋人未満とか答えようものなら首が飛びそうだ。間違いなく。
「どう?と言われましても……ただ利害が一致するので協力しているとしか」
「利害?」
建前上の理由ではあるが、さらりと述べる。言い淀むとそれだけ疑わしい。
「ええ。俺は付与魔法が得意ですが、その代わりに攻撃魔法が苦手です。逆に彼女は付与魔法が苦手ですが、代わりに攻撃魔法が得意です。なので互いに教えあっている状況ですね」
「……なら俺が教えよう」
これはまずい、とノストは慌てて言葉を重ねる。
「第三深淵の略式詠唱ですけど」
「…………なら講師を呼べばいい」
「時間外の講師の授業は有料です。数分の授業の質問なら見逃されてはおりますが」
「ではどうしろというのだ!!」
キレられたところで一緒に居たくない筆頭のニルヴァルと魔術訓練など、血が凍りそうだ。
断固拒否したいノストは、今までにないほど頭を回転させて答えをひねり出した。
「……攻撃魔法を教えて欲しいと仰ればよろしいのでは?」
「なんだと!?貴様、よりにもよって、好いた女に教えを請えとそう言うのか!?」
めんどくせぇ。
ノストはわずかに微笑んだ顔のまま心の中でそう毒づいて、真面目な顔を取り繕う。
フルルは、見た目の可憐、繊細、儚げ、そういう印象を全て覆して余りあるほどに苛烈な誇り高い性格をしている。その彼女に一目惚れなど、愚の骨頂である。
中身を知ればいずれ幻滅するだろうと、とりあえず遠ざける案を出すことにした。
「……えーと、ですね。それでは彼女を守ってあげて、さりげなく好意を主張してみたらいかがでしょう?」
「守る?何からだ」
「彼女は見ての通り、別人種です。故に貴族の方達からは不興を買うでしょう、間違いなく。ですから、彼女に対する悪意をこれ以上増やさないために、殿下は余り彼女に近づかず、されど王族として、昨日のことを口実にいじめに対して反対をすればいいのではないでしょうか?」
「近づいてはダメなのか?」
「さりげなくアピールするんですよ。殿下だって、『私あなたのためにこれだけ頑張っているんですから結婚しましょう』と言われて嬉しいですか?」
結構失礼なことを口走っている気がするが、正直言ってノストは気が気ではないのだ。
腕輪の呼び出しが、止まらない。
嫌な予感はしないが、ある意味不穏な感じがして胸をざわつかせる。
「それは、……そうだな」
「ですから、まずは昨日の『暴力』に対して、非常に不愉快だったと言ってみるのはどうでしょうか?以後、ああいうことがないようにと」
「そ、そうだな……昨日の暴力事件、いや傷害事件か。わかった。そうしよう。また今度、頼む」
また今度ってなんなんだよおおおお次があんのかよおおおお、と絶叫したい気分を無理やり押し込めて、ノストは笑う。
「はい、いつでもお呼びください」
自分の部屋の中に入ると同時に、ノストはそこからサフラマへと飛んだ。そしてノストを見ると同時に近寄ってきたネームに怒鳴る。
「何かあったのか!!」
「キールが脱走しました!!」
「…………あ、そう」
ノスト思わず真顔になったのも仕方がないと言えるだろう。
おそらくは恋に狂った王子は気づかなかっただろうが、ノストが色々と失礼をやらかしたのは間違いない。
本当ならば言葉を交わすことすらおこがましいと言わざるを得ない、そんな相手にあの適当な対応だ。
正気に戻ったらきっと、という想像がよぎって、ノストはちょっと苦い顔になる。
「……ネーム、本当にまずい時に俺が軽視したらどうするんだ」
「ノストさんは戦いを逃すような真似は、絶対にしませんよ。妙なカンがありますので」
「俺に対するその信頼ってなんなんだよ……んー、でもなあ、今になって、なんか……嫌な予感するな」
うなじのあたりにじりじりした熱のようなものがする。これを予感と言っていいのかは不明だが、ノスト以外はわからない感覚だろうし、予感でいいというコトアの鶴の一声でそうなった。
そしてノストのその言葉を聞いた途端にネームは窓を開けて叫んだ。
「ノスト班長の嫌な予感が出たぞ!!」
「なにぃ!?」
「戦闘準備をしろぉ者共!!」
「……ネーム俺はいつも思うんだけどさ」
「何が言いたいかはわかります。ですがノストさんの悪い予感は、今に至るまで百発百中です」
「……あ、うん」
ネームはノストが頷いたのを確認して、部屋を飛び出して指示を飛ばし始める。多分あの調子だと、おこぼれは残らないだろう。
戦いてぇ、と黄昏ながら一応準備だけは始める。
「班長ぅ!!」
そこに駆け込んで来たのは、今更ながらキールである。今までどこに行っていたのか、彼の服はちょっと埃にまみれている。
「あ、キールお前さあどこいってたんだよ俺のいなかった間。まあ今は緊急時だから後で覚悟しとけよ」
「この戦闘が終わらないことを祈りまーす、っと」
キールはその細面を顰めつつも、笑って手をひらりと振った。
戦闘の際に着る服は様々で、たまに上半身を露出して戦うアホもいれば、頭から爪先まで固めた装備で戦う者もいる。
しかし、いずれも『己が最大限戦いやすい』格好だ。
「……よし」
キールは短衣をまとい、その上からいつも袖を通す制服の上を着る。腰の帯をしっかり締めて実家から持ち出した剣を一本佩く。
キール・キフ・デジバルテ、彼は恵まれた人間であった。
デジバルテ家の四男に生まれたが、家はかなり豊かな中級貴族であった。それ故何一つ不自由なく過ごした。
そして勉学においてそこそこ優秀であり、兄に疎まれないように動くことさえできた。
その最も才能があったのが、剣である。
メキメキと実力を伸ばしていくうちに、キールはなんだかおかしいと思うようになった。
世界が、ひどくつまらなく見える。
何をしても簡単すぎて、まるで自分の思い通りに動かないことがない。
ある日のこと、キールはネジが飛んだ。全てが思い通りになる現状に嫌気がさしたのだ。
破壊衝動にかられるまま、彼は計画とも呼べないそれを実行した。
兄の婚約者を寝取ったのだ。
兄は当然弟の突然の暴挙に怒り狂い、家から彼を除名した。
しかし、キールは彼女に仕掛けたのではない。気があるようなことを言って、彼女の前で眠りについただけだ。
襲った方は、兄の婚約者だった。
けれどキールはここで、『女もか』と思った。
彼女が常日頃兄と仲睦まじくしているのはよく知っていた——彼女ならば自分の思い通りには動かないのではないか、そう期待して。
結果は惨敗であった。
「責めるなら、俺じゃなくて兄上とその婚約者だろう?兄上は彼女をつなぎとめられなかったし、彼女は兄上を裏切ったんだ。俺は全く悪くないね」
キールのその言葉に、彼の肩を持っていた他の兄妹達も失望して去っていった。
兄に除名されるのも、ある意味動きやすくなっていいと思うようになった。
瞬く間に実力を発揮して、キールは討伐者という一攫千金の人間になることを決めた。魔獣ならば、今度はと期待して。
けれど、魔の森外域では、全く何も障害はなかった。
ソーロであっという間に名をあげると、グラヴになるまではすぐだった。
そして上からの命令を受けて、興味本位でサフラマ砦という場所に行った。何か自分をへし折ってくれるようなものを探していたのかも知れない。
そして、彼の上司になったという一人の少年を見て——驚愕した。
「ねえあれなんです?マジで?」
「……ああ、ノストさんか。ちっけえよなあ〜、あれでヤベェんだよ」
「やべぇって……」
どう見ても、ただの子供だ。ちょっと吊り目気味だがそこそこ整っている顔。それにしても埋没する、とキールは眉をしかめた。
「……あのな、変な考え起こすんじゃねぇぞ」
「変なって」
——今までやって来て行き着く先が子供の部下だと?ふざけている。
彼は煮えたぎった腹の中を押し隠して、静かに笑いを返した。
あんな子供がまさかこの自分を折れるわけがない——どこかで彼は、そう思い込んでいた。
その晩、キールはノストの後をつけた。ノストは修練場という名の更地にたどり着くと、キールに向けてくるりと振り返った。
「出てこい」
「……ああ、さすがに気づきました?」
「当然だろ。馬鹿どものお守りが得意なんだ、隠れっこくらいお手の物だ」
「そうですか。……で、あんたはその腰の武器を抜かないんですか?」
キールの手には、すでに剣が握られている。
「あー、まあ、ちょっと待て。もう少しで……ああ、大丈夫そうだな。よし」
突然真っ暗だったその場所に光が満ちて、キールが悲鳴を上げた。
場は完全に観客に取り囲まれたコロシアム。キールはこの段階であまりの段取りの良さに『いつものこと』なのだと気づく。
『さあっ、ということで始まったぜ野郎共ォ!!今宵の犠牲者はァ……新人っ、キィイイイル!!』
時たま死ぬなよ、という声が混じっている。本気のトーンなのを聞いて、彼はふと背筋が寒くなるのを感じた。
『相対するはッ!!鬼畜の名をほしいままにする班長、ノストォオオ!!』
はいはい、とでも言いたげに彼が手を振ると観客が湧いた。ここではこういうこともある種娯楽であるようだ。
「……まあおおごとになっちゃいるが、新人が入ってくるたびにこうなるんだよ。俺の見てくれがこれだと、どうも強さが信用できねぇんだとよ」
「へぇ、それだったら強いんだ?俺は今まで俺に一撃当てられたことすらないんだけどな」
「へえ、珍しい」
ノストはくっ、と顔を歪めて笑う。
「だったら尚更、負けられねぇや」
そして一瞬で、キールは敗北した。その顔面に正面から、拳を食らって。
それまでの自分を振り返って、彼はこう記録している。
『現実を突きつけられることのなかった英雄病患者だった』と。
そして現在彼はこう公言している。
「あの人のためなら、俺は死ねる」
——正確には英雄病は治らなかったのではなく、ベクトルが変更されたのみであった。
決して修正されてはいない。