3 いざ異世界
ともあれ、彼女の後ろをついていった僕がやがて辿り着いたのは上り階段の丁度裏側だった。
小さい物置だろうか。質素な扉がついていて、階段の段差分だけの収納スペースか何かの空間に見える。
……えっ、こんなに狭いところで大丈夫なの?
ワープの余波とかなんか全然わからないけど、吹っ飛んだりしないんだろうか。
そもそも本当にワープなんてありえるんだろうか。
先ほどは尻尾だったり影がなかったりという現実味の無い現象を目にしたせいで必死に理解しようとしていたけれど、そういう手法って手品とかの常套手段じゃなかったか?
僕、騙されているんじゃないだろうか。
そんな感想を抱きながら、扉の前に立っているとミリアは何か言いたげにこちらを見ていた。
「……なにかな?」
「扉、開けて下さいよ」
「僕が?」
「そうです、あなたが」
隠そうともせず僕は訝しげな表情をしているはずだった。
「なんですかその顔は」
「自分で開ければいいじゃないか」
「こちら側で物体に干渉できるまで思念体を強固にすると疲れるんですよう」
頬をふくらませる彼女は他意なく見れば可憐に見えただろうが、今の僕には美人局か何かにしか見えなかった。
扉を開けた瞬間色鮮やかな背中をした人がいきなり飛び出してくるんじゃないだろうな……。
はあ、と一息。観念して扉に手をかける。
キイ、と蝶番が錆びた音を鳴らしながら両開きの扉を一気に開放するとカビた匂いが散乱する。
極めていそうなお兄さんは出てこなかった。
しかし……。
「普通の……、物置じゃないか」
ほうきやちりとり、その他清掃用具や何に使うのかわからない紙袋なんかが入っているだけでおよそワープだったりとか異空間転移装置だったりとか、そういった雰囲気のものはなにもない。
やはり、担がれた?
物言いたげにミリアを見ると、彼女はそんなことは気にも止めず慣れた様子で物置の中に入っていった。
その物置の入り口は狭い。僕が中を覗いているだけでスペースはもうない……はずだが、彼女は文字通りすり抜けて行った。
僕の身体をすり抜けて。
「……っ!」
なんとも言いようのないざわめきが身体の端から全身に走った。
「ミチル、ここ、ここです」
ミリアは物置の中央の地面を指差しながら言った。
「ここって言ったって紙袋と掃除用具くらいしか……」
「それはのけて!」
彼女はそれはさておき、みたいなジェスチャをして言う。
「何があるって……」
言う通りに上に乗っているものをどけてやると、地面にこの物置と似たような両開きの扉があった。
「地下室の入り口ですよ。ここにあったの、忘れちゃいました? 昔一度入ろうとして止められたじゃないですか」
そう言われれば……。そうだったような気がするような。
ミリアとかくれんぼか何かをしている時だっただろうか…。
地面の扉の取っ手に手を掛け、思い切り引っ張るがこれがなかなか重い。
ようやく軋みながら開いた扉の下には、ものものしい石の階段が闇の中へ続いていた。
「私は平気ですけど、懐中電灯とか持ってきた方がいいですよ。ほらそこにあるでしょう?」
言われて見ると、確かに丁度よく懐中電灯がそこにあった。スイッチを上下するとまだ電池は持っているらしい。
「都合よく懐中電灯があるな」
「創平がここに出入りする時に良く使っていましたから」
そう言われると、なんとなく懐中電灯を握った手を通してそんな実感がしてくるから僕は騙されやすいのだろう。
「気をつけてくださいね。結構急ですから」
懐中電灯で石段の先を照らしながら慎重に降りていく。
弾数はさほどでもなく、数歩進めば間もなく一番下まで辿り着いた。
「これは……」
電灯で中をぐるりと照らすと、つい感嘆してしまった。
壁にはテレビでも見たことのないような異文化さを感じる物品。空気は埃っぽさとはまた違う煙たさを感じる。
「ここは魔素が濃いですからね。それを感じるってことは創平の見積もりは正しかったということです」
魔素。漫画やアニメでよく見るエーテル……魔法のようなものを行使するための素体、という認識でいいのだろうか。
「ここは日本でも有数の魔素濃度が高い場所だって、創平は言っていました。私はこの家から外に出られませんから他の場所のことはわかりませんけど……。濃度が高いからミチルが小さい時には入れられなかったそうです」
「魔力的なものに酔っちゃう……、とかそういうこと?」
確かに神秘的な何かを感じすぎて軽いめまいくらいはしそうだ。
「いえ、体内に入った瞬間即死です」
「ええ……」
物騒だった。
「今は大丈夫そうですね」
「大丈夫そうですねって……」
確実じゃないのに僕をここに入れたのかよ。
「さて、そちらとそちら。両端にある蝋燭をつけてくれますか? あ、チャッカマンがそこにありますから」
「現実味のない状況ですごく庶民的な単語を織り交ぜるな」
「何を言いますか、どちらも私にとっては日常ですよ。むしろチャッカマンの方が馴染みが薄いです」
「そういうもんか?」
「あちらの世界に持ち込んだとすればちょっとした魔術ですよ」
「ああ、やっぱりそういう感じなんだ……」
「まあ創平はそういうことして遊んでいたみたいですけどね」
「それって、文化破壊の概念とか大丈夫なのかよ」
「私にしか使えない魔法だ、とか言ってたみたいですけどね。実際あっちの人間には使い方がわからないわけですし」
そういうものなんだろうか。
チャッカマンで地下室の両端にある蝋燭に火をつけ終える。
「これでいいのか?」
「はい、大丈夫です」
光源が増えたことで、より多くのものが見えるようになった。
その中でもやはり目を奪うのは、地面を覆う謎の紋様。
よく見れば円状に螺旋状に渦状に中心に集まるように紋様が連ねられている。
そしてその中央に立つミリア。
「じゃあ、早速行きましょうか」
「あの」
「はい」
「準備も何も出来ていないんだけど。急だったし」
「まあ、大丈夫でしょう」
こいつの大丈夫でしょうは事後承諾並に信用ならない。
「僕一旦帰っていいかな? 用事思い出しちゃって。駅前のスーパーで卵が今日は安いんだ」
「あのスーパーは水曜が特売日のはずですよ」
何故知っている。この家から出られないはずじゃなかったのかよ。
「今日のところは顔合わせって感じですから」
「僕が知っている異世界に行っちゃう話って帰ってこれないとか結構あるんだけど、僕この世界と今生の別れになっちゃったりするのかな」
「いえ、普通に帰ってこれますよ。創平もそうして行き来していましたし」
「あ、そうなんだ……」
言い終わるかどうか、ミリアは両手を真上に掲げ何かを呟く。
魔素がホタルのように光だし、彼女と僕を包むように集まりだした。
そうして僕はミリアと共に、とんでもなくとぼけた顔をしながら一度目の世界移動を行ったのだった。