プロローグ
プロローグ
昼間から降っていた雨は、あたりが薄暗くなって来た頃に霧の様になっていた。
車のヘッドライトの光が霧雨によって、奇妙な輪郭を描いては消えていく中、黒く濡れている
石畳の歩道をしばらく歩いていた、吉村喬一は、一軒の店の前で足を止めた。
細かい水滴に濡れている 真鍮のプレート。
「ネスト」――巣と彫り込まれている、くすんだそれが付けられたドアを開いた。
途端に、有線放送から流れているジャズと、埃っぽい空気に混じった酒の匂いが喬一を包み込んだ。
短くカットされた、黒い髪と同じ色の瞳を少し細めた喬一は、空の椅子が並んでいるテーブルの列の中を奥に向かう。
紺色に近いブルーのブルゾンとライト・ブラウンのズボンに包まれた猫科の動物を連想させるしなやかな身体は、足音を殆ど発てない。
街の酒場。
適度に薄暗い照明の中、カウンターに近付くと、カラフルなラベルが貼られた酒ビンを背にしてグラスを磨いていた、赤毛の女が顔を上げた。
「いらっしゃい」
「よう」
「なんだ。喬一か」
「なんだとはご挨拶だな」
赤い綿のシャツに黒いデニムのパンツという、ラフな服装の女に苦笑いで応える喬一。
カウンターの丸椅子に腰を降ろした。
「終わったの?」
喬一と同じ東洋系を思わせる黒い瞳と、肩まである赤い髪を頭の後ろで束ねている、年齢不明の彼女が、小型のグラスを差し出しながら訊いて来た。
中には無色透明の液体が入っている。
「ああ、終わったって言えるかもな」
「そう」
と、頷いた彼女にグラスを軽く持ち上げてみせてから、ただの水の様に見えるそれを咽に流し込んだ。
途端に、喉が灼けそうになった。
「おい、何だこれ」
あまりのアルコールのきつさに、咽せそうになりながら辛うじて声を出した喬一に、
「ウオッカよ。 フィンランド産。 今のあんたには丁度いいでしょ」
「……」
「どう? 当たってる?」
女がニコリとして訊いてきた。
どうやら、喬一の顏を観てグラスに注ぐ酒の種類を決めたらしい彼女に、小さく肩を竦めた喬一は、
「姐さんにも分かる様になったんじゃ、俺も長くは無いな」
「はん、云ってなさい」
「言っておくが、ヘマはやってないぞ」
「それにしちゃあ、うまく行ったって顏じゃないわよ」
「ああ」
手にしたグラスを口に運んだ喬一は、ポツリと呟いた。
「……そうだな」