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青春リンチ  作者: えくぼ えみ
二章 『花と栞と脅迫と』
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episode - 8 『高崎健吾の疑問』

 




 高崎健吾は、ここ最近埋まることがなかったとある空席を、ぼんやりと眺めていた。

 夏季休暇等の注意事項を手短に担任が教壇で怠そうに伝えている中、


「やっぱり今日は休みか」


 そう小さく呟いた独り言。


 親友が久しく登校すると聞いていたのだが、まだ席にいないのを見るとどうやら今日は来ないのかもしれない。


 退屈、寂しい、とまでは行かなくてもやはり長い付き合いだけあって、長い間見ないと変に心配してしまうものである。


 普通の欠席ならまだしも、通り魔に襲われて負傷し入院。


 それを親友の母から聞かされた時は、馴染みの中として心配を通り越して、嫌に心臓が高鳴ったものだ。

 しかしこの前見舞いに行った時には、取り越し苦労というやつなのだろう、彼の姿を見て大事ではなくほっとした。


 元気で何よりだと思いたいが、釈然としないのは、学校全体だ。


 千尋が金曜の夜に襲われ、休日明けの月曜日。

 担任からは、親友の欠席は『病欠』扱いにされていた。

 不祥事でも起こしたわけでもない、むしろ命の危機に晒された生徒がいるというのにそれを伝えなかったのだ。


 入院してることは言っていたが、深くは言わなかった。健吾以外の生徒からその後追及されていたが、適当にあしらうのみ。

 健吾はこの空気におかしいと気づき、担任にそれとなく、


『千尋は、怪我とかで入院したわけじゃないんですよね?』


 と尋ねたが、担任は気怠い表情を崩すことなく、


『……ちょっと重い病気になって入院しただけだ。その内戻ってくるさ』


 まるで『喋るな』と威圧されているようだった。

 真実を知っているはずの健吾が、その真実を語ることを良しとしていないようだった。


 そのせいで、結局健吾もクラスのパニックを変に恐れてしまい、誰にも話せずにいた。

 それを知っているのは、健吾だけではないことは分かっている。もちろん、教員たちも知っているのだろう。


 だが、もう一人、いるのだ。


 森川千尋が、通り魔に襲われたことを知っている人物が――。


「それじゃあ、一限目の数学担当の先生が来るまでお前らちゃんと待ってるんだぞ〜」


 担任のその言葉に、上辺だけの「はーい」という言葉が返ってくる。

 健吾は担任が教室を出て行ったを見計らって、立ち上がった。


 そして、とある席に歩み寄る。


 健吾の席より、斜め後ろにある空席の、前の席。


 そこで、静かに読書をする、女生徒。


「あの、」


 普段あまり喋りかけることがないせいで、他人行儀な呼びかけをする。

 ふ、と面をあげた丸眼鏡の奥にある切れ長な二重の瞳とかち合った。


「はい、」


 そう、短く返事をしたのは、十六女杏子だ。

 教室で、はぶられているわけでもなく、かと言って他のクラスメイトと仲がいいわけではない。


 この変哲もない教室で、『異質』な生徒。


 しかし、健吾は、少し虚ろげなその瞳を見て生唾を飲んだ。


(あ、あれ…? 十六女ってこんな……)


 綺麗、だったろうか――。

 普段から注視していなかったせいか、今面と向かって直感的にそう思ったのだ。


 よく見ると、すうっとした鼻梁、桃色の薄い唇、陶器のようなきめ細かな肌、漆塗りのような艶やかな黒髪、両サイドの髪を後ろで留めるための真紅のリボンが髪とともに窓からのそよ風で揺れている。


 それにしばらく見惚れていると、


「なにか、ついていますか。私の顔に」


「え!あ、ああ……いや何もついてない…です」


 淡々とした声で尋ねられ、思わず我に返った健吾は愛想笑いを交えてそう答えた。


 十六女は、静かに本に視線を落とす。続けて、


「それで、どういったご用件で」


 まるで、大企業の社長秘書か何かと対面しているのだろうか、と健吾は思った。

 人を寄せつけない冷淡な口ぶりだ。


 健吾は、どこか居心地の悪さを感じつつも、こちらに全く見向きしなくなった十六女を見下ろして、


「十六女さんって、ちひ…あー、森川のこと、知ってる…ますよね?なんで、入院したのか」


「病欠、て先生から前に聞いてますよ」


「そうじゃなくて、入院した本当の理由…です」


 健吾は、拙い敬語でもそう聞いた。

 十六女は、本の次のページをめくりつつ、


「知っていますよ」


「十六女さんが、発見したんですよね。森川のこと」


「はい」


「じゃあ、犯人とか見てたりしてない?…ですか?」


「見ていません」


「それらしき人を見たとかも?」


「……それらしき人は見た、と思います」


「どんな?」


 健吾の問いに、十六女はしばらく間を置いた。

 しかし、また次の本のページをめくった時、


「こんな季節に、コートを着ていた人です」


「コート?こんな季節にか……」


 彼女の供述を聞けば聞くほど、確かに奇怪な人物だと思わざるを得ない。

 健吾は、顎を軽くさすり、続けて、


「他には?」


「それくらいしかわかりません。でも……」


 十六女は、少し縮こまって更に面を俯かせる。


 それ以上何かを言う気配を感じ取れなかった健吾は、「でも?」と尋ねた。


 少し彼女の面がまた本に向いたところで、


「多分男性だと思います。髪は短くて、私より背が高かったので」


「そっか……、他に何か分かることある…りますか?」


「あの、」


 唐突にそう声をあげる十六女。

 健吾は、怪訝そうな顔を浮かべて「どうかした?」と聞くと、彼女は顔をあげた。


 そして、文庫本を広げている手を少しあげて、


「読書、させてもらえませんか?」


 そう一言。心なしか少しだけ口調も強めだ。

 健吾は、迷惑そうにしている十六女の圧に負け、宥めさせるようにぎこちなく笑いながら


「あ、ああ…どうぞ」


 そう返すしかなかった。


 十六女が、視線をまた文庫本に落とした頃、健吾は彼女に背を向けてほっと息を吐く。


 健吾の中では、犯人を知りたい気持ちが高まっていた。

 もちろん、親友が襲われたから、という理由だ。情報提供し、犯人が捕まるのであればすぐに警察にでも駆け込みたい。


 しかし事情を知ってる十六女は、すでに親友が運ばれた時には事情聴取を受けただろう。


 無意味なことをしていると、頭では分かっている。

 しかし、止められないのだ。


 もしかしたら、と何度頭を過っただろうか。


 自分の背後にいる者が、もしかしたら、と。


 気づかれないように後ろを見た。



 だが、



「そこにいられると、気が散ります。高崎君」


 思わず、健吾は固まってしまった。全身が毛羽立ったようにざわっと肌が粟立つ。


 いつから、こちらを見つめていたのか分からないほどに視線を感じさせなかった。いや、そもそもその視線は、相変わらず文庫本に向けられているのだ。


 しかし、何か、飲み込まれて…いや、引きずり込まれそうな『何か』が瞳の奥にいた。


 怖い、稚拙で簡潔、加えて純粋な気持ちだ。


 健吾は、言葉を発すことができず、ただ固唾を飲み込んだ。


 ゆっくりと景色が離れていく。いや、違う。足が、一歩後退していたのだ。


(後ろに目でもついてんのかよ……)


 気味の悪さを感じたが、健吾はこちらを向かず静かに読書する十六女に精一杯の会釈をする。


 そして、今だ姿を現さない親友の安否を気遣い、一抹の不安を胸に席についた――。







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