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青春リンチ  作者: えくぼ えみ
三章 『スカートの中』
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episode - 14 『失意の中』

 



 準備室から出た千尋は、図らずも十六女と共に教室へと戻っていた。


 気心知れた仲でもないし、これと言って共通の話題などもなく、互いに無言のまま歩く。


 ずきずき、と地を踏みしめる度に否応なしに痛む鳩尾を労わるように千尋は撫でた。


 階段と踊り場を繰り返し降りること、二度。


「………、」


 すると、十六女は降りていた足をはたと止め、立ち止まる。


 千尋は、すぐにそれに気づかず、二、三段降りたところで、徐ろに振り返った。


「なんだよ?」


 聞き返すと同時に、次の踊り場からだろう、階段を駆け上がるように誰かの話し声が聞こえる。


 声からして、男女のようだ。仲睦まじく、小さな笑い声が聞こえると、雰囲気からして恋人同士だろう。


 千尋にとっては、嫌なタイミングだ。


 同じクラスの生徒に、十六女と一緒にいるところを見られるわけにはいかない。妙な勘繰りは、十六女以外のクラスメイトへの心象が悪くなると、心のどこかで思った。


 少し思案して、その場で立ち止まり、腰を下ろす。十六女も似たような考えなのか、進む気配はなく、静かに佇んでいた。


 予鈴まであまり時間はなく、千尋は内心焦っていた。


 タイミング悪く足止めされていたが、周囲に人気はなく、耳を澄ませば、嫌でもこの先にいる恋人同士の会話が聞こえる。


「それじゃあ…、夏祭りにね。楽しみにしてるから」


 お淑やかな、女生徒の声だ。どうやら、夏休みに近所で開催される夏祭りの約束をしているようだった。


 背後にいる『狂人』も、こんな優しげな口調で愛想良くすればもう少しはクラスにも馴染めるだろうに、と思いながら千尋は鼻から溜息を漏らす。


「おう、俺も楽しみにしてる」


 恋人にそう返した声に、聞き覚えがあって、千尋の耳に届いた。


 それは、千尋が親友と認めている少年と酷似している。


 直後、聞こえたのは、軽いリップ音。


 鼓膜を直撃したそれに、千尋の心は、大きく揺さぶられる。


 微笑ましく、照れくさそうな男女の笑い声がして、階段を降りていく足音が谺響(こだま)した。


 十六女は、欄干から身を乗り出し、下を見る。

 ふ、と薄ら笑みを浮かべて、


「高崎君、彼女いたのね。森川くん、知っていたの?」


 顔の向きはそのままに、視線だけを千尋に向けて、そう尋ねた。


 疑惑は、真実へと色を変えて。先程の恋人の片割れが、健吾だとはっきりと告げられた。


 千尋は、それに何も答えず、膝の上に立てた両手を組んで、ただ顔を伏せた。


 無性に、鼓動が、早まる。


 聞きたくなかった、知りたくなかった。

 そう思えば思う程、なぜそう思ってしまうのかと頭に湧いてくる謎々。

 考え込むその背中は、とても弱弱しく、小さく見えた。


 十六女は、薄ら笑みをそのままに、彼の横を通って階段を降りて、小さく呟く。


「可哀想に」




 ※※※




 オレンジ色の夕陽と、嫌な生温かさのあるそよ風。それが肌を撫でる度に、また汗が滲み出た。


 全ての学業が終わって下校時間となり、生徒達は、部活に励む者と、仲の良いグループや一人で帰路につく者で分かれている。


 千尋もその後者に従して、普段と変わりなく健吾と共に下校していた。


 しかし、普段と変わらないのは、その光景だけ。


 健吾の話を聞いて相槌を打っているが、頭の中では、昼間に自問したあの謎々を解いている最中だ。


 親友に恋人ができた。


 それは、喜ばしいことだ。ずっと、恋人が欲しい、と嘆いていた親友に念願の相手が現れたのだ。それに、何の不満もない。黙っていたのは、きっと、冷やかされるのが嫌だったからだろう。千尋が知る中で、これが健吾にとって初めてできた恋人だ。


 元々顔も悪くないし、身長も高い。異性から好かれる要素があるにも関わらず、その天真爛漫な性格と物言いから、子供っぽい、と言われすぐにその対象外となる健吾。

 それを受け入れ、好いている女子と出会い、あんなに幸せそうに話しているのだ。


 なのに、なぜ。


 なんだ、この、森のずっと奥からゆっくりと這ってくるような心の靄は。


「…い、おーい、聞いてるかー?」


 は、として千尋は、いつの間にか落ちていた視線を水平に戻した。


 目の前には、車のワイパーのように振られた健吾の手の平だ。


「あ、ごめん。聞いてなかった」


「大丈夫か?お前。また熱中症か?」


 怪訝そうな顔で健吾は、そう聞いた。


 千尋は、そんな心中を悟られないように固まっていた表情をなるべく和らげて、愛想笑いをする。


「大丈夫だって、ほんと」


「そうか…?なら、良いけどさ」


 止めていた足を、二人して進める。


 妙な沈黙が訪れて、普段は平気なはずのその空気がいつもより苦痛に感じた。


 この雰囲気を一刻も早く取り払いたくて、千尋は、噤んでいた口を開く。


「あのさ、健吾」


「んー?なんだよ」


 一歩先を行く健吾の背中を、千尋は一瞬見やる。


「…昼間、見たんだけど。健吾、彼女でも出来た?」


 敢えて知らないフリをして、千尋は鎌をかける。


 実際、千尋は見たわけではない。あの踊り場にいた恋人の片割れが健吾だと言ったのは、十六女だ。

 どういう意図があって、十六女が、健吾の名を出したのかは知りたくもないが。


 その反面、千尋の中で、それが健吾ではない、と信じたい自身がいた。


 ぴた、と健吾は歩いていた足を止めた。


 そして、驚いたように目を見開いて、振り返ると、


「見たのか」


「ああ…うん。いや、でも健吾じゃないかもな~って思って…――」


 言いかけた時、がば、と健吾は千尋に覆い被さるように肩を組んだ。


「は…?え?」


 千尋は、思わず驚いて、声を上げる。


 健吾は、周囲に人がいないかを確認するように視線を泳がせた。


 そして、小声で、



「誰にも言うなよ、千尋だから言うけど…。俺さ、彼女、できたんだ」



 何気ないその一言に、千尋の息が詰まった。


 健吾は続けて、


「俺、本当に好きだなって思って付き合ってるんだ。だから、その子のことは、大切にしたい」


 念入りに、他言無用だと釘を刺すように、そう言われた。


 続けて、健吾は、


「お前が入院して、見舞いに行った時にさ。花火大会行けねぇって言ったの、覚えてるか?」


 そう聞き返され、千尋は停止していた思考を取り戻して我に返り、


「あ、ああ…うん、覚えてる」


「ごめんな。あれも彼女に、一緒に行こうって言われてさ」


 健吾は言いながら、千尋から離れて、また一歩先に行く。


「まだ日程も決まってなかったし、前もって行けねぇって言わないとな~って思って」


「そうだったんだ…」


 うまく、言葉を返せない千尋は、平静を取り戻そうと必死だ。


 何を、そこまで、動揺することがあるのか。謎が、また深まり、泥濘(ぬかる)んで、足を重くさせる。


 すると、健吾は、足を止めて、振り返る。


 満面の、太陽のような明るい笑顔で、


「今度、千尋にも紹介するわ。そん時は、よろしくな」


「…うん、楽しみにしてる」


 顔は、笑えていたのか分からない。


 それでも、ずきり、と痛む己の心が理解できずに苦しくて、謎に溺れた。






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