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青春リンチ  作者: えくぼ えみ
二章 『花と栞と脅迫と』
13/21

episode - 12 『約束と秘め事』

 


「変ね。いつもなら嫌々な態度をあからさまに取って、私となんて一緒に歩くすら考えられないって言いそうなのに」


「勘違いするな、あれは建前だよ。本音は、僕はお前と並んで歩くのだってめちゃくちゃ嫌だし、屋上のことも今にもぶん殴りたいくらい怒ってる」


「だから、私の一歩先を早足で歩いているの?並んで歩くのは嫌だから?」


「嫌味ったらしく言うな。どうせお前のことだから、『一緒に歩くのね〜』とか揚げ足を取るんだろ?」


「私ってそんなに嫌な女?」


「最低最悪の女だ、僕の目の前から消えて欲しいよ」


「……でも、私は森川くんに興味があるわ」


「それは、お前にとって、僕が『おもちゃにしやすい人間』だからだろ」


「違う、」


 教室へと続く渡り廊下で、十六女は、静かに立ち止まった。


 二、三歩進んだところで、千尋も足を止め、振り返る。


 今まで人を小馬鹿にしたようなに愉快そうに話していた十六女の、その一言に、何か異変を感じた。


 はっきりとした意志ような、真剣さ。


 それはあの薄ら笑みすらも息を潜め、視線は千尋を真っ直ぐ捉えている。


「な、なんだよ。何が違うんだ」


 豹変とも受け取れるような十六女の真摯な態度に、少し動揺して千尋は聞き返した。


 すると、十六女は、目を伏せて、


「私、しばらく人を殴れそうにないの」


「……え?」


「少し時間が経てば、また人を殴るけれど」


「……最低だな、目の前で再犯宣言か」


 驚く程に、千尋の声は抑揚がない。

 やり切れない思いと、呆れと、煮え繰り返るような怒りが、ごちゃごちゃに混ぜ合わさり、出たものだ。


 十六女は更に目を伏せる。

 目蓋に掛かる前髪と伊達眼鏡に反射した光で、その表情は不気味な程に無に見えた。


「考えてもいいわ、森川くんの提案」


「僕の提案、て……自首のことか?」


 十六女は、頷きはしなかったが、止まっていた歩を進める。


 千尋の隣を通り過ぎた頃、


「……けれど、条件がある」


 十六女は、続けるようにそう言った。


 条件、というその言葉を反芻していた千尋。

 少し遅れて、前向きな肯定と受け取ることが出来た。


 は、として我に返り、すぐさまその華奢な背中を追いかけ、聞き返す。


「じ、条件って?」


 予想外の返答に、思わず前のめりになってしまう。


 まさかこの狂人に自らの言葉が届くなんて――、と先急いだ嬉々が心に広がった。

 そのためならどんな要求も飲もうと、この時まで千尋は、とてもとても軽い気持ちでいた。


 だが、そんな易しい人間であるはずがないと再認識したのは、その直後だ。


「……私が人を殴らないように、森川くんが『その人達』の代わりになることよ」


 言いながら、咄嗟に彼女は、振り返った。


 まるで獲物を見つけた狼のような鋭い視線、凡そ十代の女子が出せるような代物ではない色香を放つ妖艶な微笑み――。


 ぞく、と恐怖からくる寒気が千尋の背中を撫でた。

 蛇に体を締め上げられたのかと思う程、血の気が引いていくのが、実感出来る。


「それって……、」


「森川くんが、さっき言ったことよ」


 ゆっくり、ゆっくりと、その距離を詰められていく中で、そうだった、と千尋は思う。


 一歩、また一歩、後退して、


 十六女杏子(ししめ きょうこ)という人間は、やはり、どこまでも『策士』なのだと嫌になるほど思い出したのだ――。


「おもちゃにしやすい人間だ、て自覚があるから言ったのよね。なら、」


 十六女は、その細長い手を伸ばし、千尋の項に手を掛けた。


 この真夏日で、まるで氷を当てられたかのような冷たさだ。


 千尋の心から溢れ出た『恐怖』。


 あの日、目の前の『狂人』によって植えつけられたそれは、体の自由を容易く奪ってしまう。


 滲み出た冷や汗が、つー、と額からこめかみへと下りると、


「私の『おもちゃ』になって」


 耳元で可愛げに囁かれた彼女の言葉。


 左手首が、震えた。


 防衛反応だ、と千尋は直感する。それも、過剰なほどまでの、生命危機を感じていた。


 何をされたのか、何をされるのか。つい一週間前ほどの出来事が鮮明な映像で脳内を駆けずり回り、並行してこれからのことを考え始める。


 蟀谷が、疼くように酷く痛くて、


(怖い……)


 それだけに尽きた。


 しかし、千尋は堪えるように、ぐっと目を瞑る。


 そして、無けなしの反抗心で、十六女の肩を持ち、弱々しく密着していた体を離した。


「それは……、今ここで、即答しなきゃいけないのか」


「すぐじゃなくて良いわ。でも、なるべく早くしないと、また殴ってしまうかも、人を」


 十六女は、千尋の項に掛けた手を離しながら、最後の言葉を強調するように言った。……いや、千尋には、そう聞こえたのだ。


 距離が離れたことで、千尋の体の強張りがゆっくりと解れていく。


 途端、嫌な脱力感に襲われた。緊張感からの解放だろう。


 あまりのことに千尋は、自らの足元に視線を落とす。

 ただ怖くて、十六女を見れなかったからだ。


 千尋は頭痛と左手首の小刻みな震えが残るの中、気力を振り絞り、


「……じゃあ、僕がお前の『おもちゃ』になったら、十六女は、自首するのか?」


「……さぁ?森川くんが『それ』になったとしても、自首するかは私にも分からない」


「なんだ、それ。なったとしても、自首するかは十六女の判断で、僕には損しかない、てことか」


 理不尽な条件に、ふ、と思わず呆れた笑いが漏れる。


 十六女は、面を落としたっきりの千尋から視線を逸らし、背を向けた。

 そして、ゆっくりと歩きながら、


「自首する可能性に捨て身で賭けるかは、森川くんが決めることだから……私からはこれ以上は何も言わないわ」


 毅然としたようで愛想のない態度で、そう言った。


 十六女が普段の調子に戻ったことで、恐怖が和らぎ、千尋の左手首の震え、蟀谷の激しい頭痛が徐々に収まっていく。


 千尋は、心に余裕を取り戻し、少しずつ遠ざかっていく彼女の背中を見つめ、


「十六女、」


 引き止める。


 呼応するように十六女は、足を止めた。

「なぁに?」と踵を返し、聞き返す。


 そして、


「なんでそんなに、人を殴りたいんだ?」


 今の今まで聞こうとすら思わなかった疑問を千尋は、恐る恐る投げかけた。

 十六女は、特に表情を変えることなく、続けて、


「欲求不満よ」


「!?」


 度肝を抜かれるような衝撃で、かー、と千尋の頬が一気に熱を持った。


 多感な時期の少年には、過敏に反応せざるを得ないような、あまりにも予想外な返答に、頭が混乱する。


 千尋は、矢継ぎ早に、


「なっ、何言ってんだよ!こっ、答えになってないだろ、それ!」


「本当のことよ、欲求不満なの」


「…は、はぁ?よっ、欲求…不満だからって、人を殴るのか」


「ええ、そうよ」


 十六女は、表情どころか眉一つ微動だにせず、変わりのない自信ありげな態度だ。


 本当のことを言ってるのだ、と素人目だが、千尋は確信した。


 だからこそなのだろう。


 気まずい空気が漂い、思わず黙り込む。

 頬が朱に染まり、体もなぜか火照るような感覚に見舞われた。


 千尋は、それを誤魔化すように、口を開く。


「…そ、そういうのは、解消すればいいだけの話だろ」


「…………、」


「せ、正当な手段があるんだし…、そういう相手を見つける、とか……」


「………………、」


「別に容姿が悪いわけじゃないし、十六女は……。その気になれば、おっ、男の一人や二人、出来るだろ」


「………………………、」


「な、なんだよ。そんなロボットみたいな無感情の顔で見るな」


「……私とっては『正当な手段』で、そうしているだけよ」


 十六女は、そう小さく呟いた。

 しかし、それは、千尋の耳に微かに届いていた。


 浮かされていた熱が引き、思考が停止する。


 不思議と反射神経のように、その『謎』への疑問が、口をついて出た。



「どういう――、」


 意味だ、と言い切る前に、十六女は、足早に廊下の曲がり角へと消えていった。


 校舎と校舎の、斜角に窓ガラス越し覗く、遠のいていく彼女の姿が、千尋の目には、どこか寂しげに映った。


 どうしてだか、無理に引き止めようとも、追いかけようとも……。


 いや、それどころか。


 放心した千尋は、ただ立ち尽くしかなかった――。








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