「慈悲ナド存在シナイ」
キラキラと輝く太陽の光はステンドグラスを通り、礼拝堂を明るく照らす。
祈りを捧げ終え、今は礼拝堂の中を掃除していた。
ホコリもほとんど無くなり、爽やかな空気を吸い込む。
十字架に背を向け、掃き掃除をしていると、礼拝堂の中に声が響いた。
もともと響きやすい構造になっているが、声の発生源がわからないほど響くことはない。
私はキョロキョロと辺りを見渡すが、誰も、何もいない。
不意に後ろから気配を感じて振り向くと、そこにはいるはずの無い人物が立っていた。
「……っ人…間!?」
茶色の髪の毛、ややつり上がった赤い瞳。
我々が持っている耳が無い事や、顔つきから絶滅したはずの〈人間〉が、何食わぬ顔で立っている。
驚きのあまり、落としてしまったほうきを拾いあげると、私は〈人間〉を物珍しい目つきで眺めた。
「……房田竜二、だね?」
「え……あ、はぁ…そうですが」
私の解答に満足したのか、頬を緩める。
目の前にいる〈人間〉は、昔歴史の教科書で見た、かつての支配者とそっくりの顔立ちだった。
いや、もしかしたら、彼は支配者なのかもしれない。
「君は、人間信仰者…かね?」
「えっと……神の姿が〈人間〉のため、そうと言えますが……。
何か問題でも……?」
「君は本当に信仰深い人だ。
使いになるつもりはないかい?」
彼は右手を私に差し伸べる。
私は彼の右手をとることはなく、ただその手を見ていた。
「……使い?」
「そうさ、あぁ、もしかしてよくわかっていないのか。
簡単に言えば、天使見たいなものさ」
「?」
彼は何を言っているんだ?
「天使になれば、寿命に怯えることもない。
事故死や、他殺に怯えることもなくなる。
なぜかというと……天使は、神に殺されない限り死なないからさ」
彼の口ぶりから、嘘を言っているようには聞こえず、むしろ信じてしまうような物の言い方だ。
彼は右手を下ろし、背中の後ろで腕を組んだ。
「貴方は……その仕事を私にさせるのですか」
「そうさ。
最初のうちは、驚く事もあるさ。
でも、君なら大丈夫だ」
「それなら!
それなら……私以外にも、もっと適役がいるじゃないですか!」
私が叫ぶと、彼は笑顔を消した。
そして、十字架にもたれかかる。
「君は約四百年前の話を知っているか?」
「……え?」
「そのころは、〈人間〉が少量ながらも国を支配していて、人はとても身分の低い位置にいた」
学校に通っていたころに、なんども、なんども聞かされた英雄の話。
忘れてはいけないと言われた、あの話。
〈人間〉を殺した彼らは、この国を良い方向に築き上げてきた。
一人は大統領になり、一人は裏社会から国を守り、一人は政治をまとめ、一人は一般市民に戻り、一人は……細かくは載っていなかったが、おそらく一般市民に戻ったのだろう。
「そう、そして俺はその時の支配者であり神である」
「支配者は、死んだはずです!」
神が存在する?
そんな馬鹿な。
神を、信じている身でこんなことを思うのはアレだが、神は人に姿を現す事はないと……そう思っていた。
「神は、死なないのだよ。
ただ、不死身でもない。
年はとらないし、肉体的変化も訪れない。
しかし、神は誰にでも殺すことができる。
神は、どんなにバラバラにぐちゃぐちゃに殺されても、長い年月をかけてまた生き返る。
だから、支配者はこうやって生き返った。
約四百年という年月を経て」
彼は……いや、神は愉快そうにくっくっくっと喉を鳴らして笑った。
私はほうきを強く握りしめた。
そのためか、ミシッという音がほうきから聞こえてきたが、気にすることも無く、神を見つめた。
「どうだい?
君は、俺に使える気はないかい?」
「……申し訳ありませんが…私は」
頭を軽く下げると、私は断りの言葉をはなつ。
神の表情は見えないが、なんとなく不満そうな雰囲気が感じとられる。
「あの……質問なのですが…。
神は……〈人間〉は、なぜ人を支配下においたのですか?」
顔を上げると、神はニヤリと不吉な笑いを浮かべた。
その表情に背筋にゾクリと冷たい何かが走る。
「なぜかと聞くのか…。
簡単さ、人は〈人間〉に感謝すべきなのだよ。
〈人間〉が人をつくり、知能も全て与えたのに、何を思ったのか我々〈人間〉に不満を持ち始めた。
だから、時間をかけて人を我々の支配下に置いた。
ただ、それだけさ」
神は、肩を軽くすくめると、再び私に目を向けた。
「もう一度だけ、質問をしよう。
私の使いになるつもりは?」
質問をする、神の目から逃げられないような気がした。
頬から伝う冷や汗が、神の恐ろしさを痛感させられる。
「私は……」
「……」
「私は……申し訳ありませんが使いの者になるつもりはありません」
神は、眉をピクリと動かせ体の動きを止めた。
そこから、数秒ほどが経つと神は笑い始めた。
「……はははっ…ふふ…あっははははははは!!
……はは…いや、申し訳ない。
残念だけど、君には楽しい楽しい体験をしてもらおう」
「楽しい…体験?」
神は右手をパチンと鳴らすと頭の中に何か映像のようなものが流れ込んでくる。
思わず頭を抱えて、うずくまり目をつぶると、頭の中にある映像がくっきりと見えた。
そこには、私の妻と娘がどこかわからない暗い部屋の隅でうずくまっていた。
目を開けて、神を見ると神はニヤニヤと意地悪い顔で笑っていた。
「どうだい?
二人が大事だろう?」
「な……翼と風香は関係ないですよ!!
巻き込まないで欲しい!」
「ふぅん……。
じゃあさ、天使の初仕事をしてもらおうか」
神はもう一度指を鳴らして頭の中に流れていた映像を消した。
「まずは……あの二人のどちらかを殺せ」
「ーーーは?」
その場に立ったまま、ポカンと口を開けた。
その顔はどこぞのバカのような顔かもしれない。
「どちらかを殺せと言った」
「な、なんでですか!?
神は人を助けるための者なので」
「はぁ?
何勘違いしてんの?
神が人を助ける?
バカじゃねーの?」
神は十字架から離れると私の方に近づいた。
離れようとしても、体は固まったように動かずただ、神から目線を離さずに怯えていた。
「神がさ、戦争を止めたことある?
神が、連続殺人鬼を殺した事ある?
神が、〈人間〉と人のハーフを無くしたことある?
ぜぇんぶねぇだろ?」
「……」
「俺ら神は、人が怯えて悲しんで憎しむのを見てるだけ。
それ以外はしない。
助けてもつまらないしな」
今ようやく理解できた。
神とは、私たち人には理解出来る者ではなかった、と。
「目を閉じろ」
従いたくもないのに、目がかってに閉じる。
「どちらかを思い浮かべろ」
頭の中に二人の映像が流れる。
その考えを振り切るため、他の事に思考をよせる。
すると、私の右手に冷たいものを握らされた。
何なのかわからないまま、神の冷たい手が私の手にあてがれ、前に突き出された。
その瞬間、まるで豆腐を包丁で切るような柔らかい感触に包まれる。
右手からは、お湯のようなものが流れていく。
目を開けると、そこには目を大きく開いて泣きそうな顔の翼がいた。
「…っ!な、んで…」
「つ……ばさ!!?
なんで……」
神に手をひかれ、右手が翼の体から離れると私の方に翼は倒れこんだ。
私は翼の体を支えると、涙がこぼれてきた。
「なぁ……フサ……」
「ツー…ちゃん?」
「悪かったな……女らしく…できなくて。
それでも……ありが…とな」
「ツー………ちゃ…ん。
……ごめん…ごめん…ほんとに…」
先ほどまで、体温の残っていた翼の体は少しづつ、温かみを消して今では冷たくなっていた。
「……うひゃ…ひゃはっはっはっはははっ!あっははははははははふひっはははは!」
神はお腹を抱えて一人で楽しそうに笑っていた。
「ふふっ…ふ…どうだい?
よくわかっただろう。
神には慈悲など、存在しない。
誰がどこで野垂れ死しようかと関係ないのさ!
だって、関係ないから。
そうやって、お前ら人が嘆き、怒り、憎しみを抱くことだけが面白いのさ。
ハッピーエンドなんて、もう見飽きたのさ」
理解出来ない。
何もかも、だ。
あぁ、もう嫌だ。
翼がなぜ慈悲などない死ななければいけなかった神とは所詮そのような者あぁフーごめ戦争をとめた事があるか私は頭からはな野垂れ死しようともフーごめんさなければお父さなければみた神など殺せつばさつばさつばさつばさ殺せ殺せ殺せ殺せつば全てをふーご何もかもおとう神とはは人を救うためにこの世の中の教会に存在し悪い者には処罰を与え良い者には良き人生を与える神を信じ祈る者だけにその幸福を与え悪い者でも改心し神を信じれば処罰を与える事無く許される存在人々にたくさんのきせきあたえそのたびにひとびとにしんらいされしんこうしゃがふえていったかみはしゅうきょうによりいろいろなじんぶつがいるがそのほとんどはひとをたすけるためにいるといわれいやだいやだいやだいやダ
イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイッ
「あぁ、壊れたか。
もろいな、人は」
目の前にいる男は、先ほどまで大事そうに抱えていた物を自身の手によって潰している。
言葉にならない笑い声を出しながら。
人はやはりダメだな。
もう少し、人離れした考えの持ち主でないと。
俺は教会を離れた。
男と、原型のとどめて無い物とナイフを置いて。