「サワーが飲めるようになっただけでも、立派な成長だろ!?」
揺さぶられるような鈍い痛みに目を覚ます。
時計を見ると、長針は午前六時半を示していた。
この頭の痛みは、きっと二日酔いだろう。
「はぁ……最悪」
隣を見ると、規則正しい寝息を立てているウララーが物凄い寝相で寝ていた。
薄汚れた壁も今では、当たり前の風景に変わった。
カーテンの隙間からは、ほんの少しだけ日が差し込んでいて、朝を告げている。
「……」
『……迎えに…来るからね。
ここで、新しいお友達と待っててね』
両手を握りしめると、僕は頭を振る。
「……嘘つき」
僕はドサリと布団に寝そべると、右腕で目を覆った。
時計を見ると、時間は既に八時を過ぎていた。
タカラは、何か寝言を言いながら寝ている。
このまま、放置しようと考えたがインターホンが鳴ったため、念のためタカラを蹴る。
「……ゔぇっ」
腹部めがけて蹴ったからか、うめき声を漏らした。
軽く蹴ったはずなんだけどな……。
タカラは腹部をさすりながら、起き上がった。
「な……何するんですか…」
「蹴った」
「いや、まぁ、そうなんですけどね!?」
タカラは布団を剥がすと、その場に正座をした。
俺は、軽く着替えると玄関にむかい扉を開けると、そこにはニラが居た。
「よう。ニラ」
「本当にもう……みんなその名前使うんだから……じゃなくて、今日は頼み事があるんだよ」
ニラは頭のアホ毛を弄りながら、目をそらした。
少し迷ったような仕草をしてから、ニラは後ろに居た茶色でフサフサの毛をした神父のような服装をした、男を投げて、俺の目の前に落とす。
神父は、倒れた姿勢からピクリとも動かない。
「……どうすればいいんだよ」
「預かってて欲しいんだよ。
なんか、俺ら警察じゃあ話を聞くことも出来なくてな……」
「……一般人にそれを任せるってお前はどんだけアホなんだよ」
「まぁ、とりあえずよろしくな。
先輩待ってるから、もう行くよ。
そうそう…そいつ殺人犯だから」
「それこそ、一般人に任せんなよ」
「まぁまぁ…お礼はさ……」
ニラはクイッとお酒を飲む仕草をした。
お礼は酒か……。
悪くねぇな。
玄関を飛び出すと、ニラは走って何処かに向かった。
「おーい。タカラ。
聞こえてただろ?」
「え?あ、はい。
もちろんですけど…。
この人生きてますよね?」
タカラは人差し指で神父の頭をつつく。
タカラをどかせると、俺はしゃがみ込み神父のフサフサの頭を掴んで顔をあげさせた。
神父の目はかつては澄んだ色だったのか知らない濁ったオレンジ色で焦点の定まらない目だった。
「おい。ジジイ」
俺の言葉に反応する様子も無く、ただ俺じゃない何かを見つめているようだった。
「ダメだこりゃ」
「これじゃ何にも出来ないですよ」
「うーん……。
しょうがねぇな。アイツに頼むか」
「……アイツ?」
「で、僕をわざわざ呼んだわけね」
緑の毛色で、細身の体型をした山崎が呆れた様子で言う。
山崎の癪に障る喋り方は、本当に気に入らないし、むしろこいつは嫌いな方だ。
まぁ、こいつよりも嫌な奴はいるが……。
「ところで、そちらの水色の方はどちらで?」
「あぁ、こいつはタカラだ。
本名は……ま、まぁ、知らなくても平気だろ」
「忘れたんですね」
タカラが、俺の斜め後ろから言う。
「いや、忘れたわけじ」
「忘れたんですね」
「……」
珍しく怒っているような、声色で俺は返事が出来なくなった。
山崎は、ふぅんと鼻で返事をしてから神父に近づいた。
神父の目の前にしゃがみ込むと、声をかける。
「こんにちは、人殺し」
人殺し、という言葉に反応するように神父の耳がピクリと動く。
山崎はそれを見て、笑った。
神父が顔を上げると、山崎と目があったのかお互い目線を変える事なく、見ている。
神父の口が、真横に伸びるとその口からは笑い声が漏れる。
「うひっ……ひひひひっははっ、ひゃひゃ……。
ほらっほらっ!いるよいるいる!うひひひふひ!」
目は大きく開かれ、興奮からか充血をしている。
長い事、意味のわからないような言葉を叫んでいたが、山崎が床を大きく叩くと笑いを止めて、山崎の叩いた床を見た。
「浦山、タカラ。こいつは、ダメだ。話が通じないし、会話も成り立たない」
「そうか。
こいつには、何が見えてるんだろうな」
「……さぁね。
でも、僕らには理解することが出来ない者がコレを見ているから、コレは耐えられなかったんじゃない?」
「……コレって…」
山崎は、神父をコレ扱いするとため息をついた。
そして、自分の後ろに顔を向けるが、山崎の後ろには何かがいるわけでも無くただの廊下だ。
「うひゃひゃひゃひゃはっははぁ!」
笑い声をあげると、体をモゾモゾと動かした。
何かに近づくように。
「ふふはっはははは!
うひぁはははっははっはぁ!」
神父は、笑い続けるだけで何か言葉を出すわけでも無く、ただ笑うだけだった。
「ウララーさん。
何か……いるんですかね?」
「それが、わかんねぇから困ってんだよな」
神父は、うつ伏せの体制から起用に立ち上がる。
山崎は、それを見て立ち上がり、神父から距離をとる。
「……けひゃ、くきゃきゃきゃきゃ」
「は?」
神父は、俺の方に顔を向けると飛びかかってきた。
そして、俺の右腕に噛み付いて来た。
俺は右腕を思いっきり振るうと、神父は、ボトリと地面に落ちる。
「……なんなんだよ」
右腕からは、赤黒い血が流れ落ちる。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ?まぁな。
……あいつ…」
あいつ、俺の喉を狙ってきたような。
俺はそんな考えを降りきるように首を横に振る。
気のせいだろ。
獣じゃあるまいし。
「あー…いてぇ。
タカラ。なんか、巻いてくれ」
右腕は、どんどん熱を持って空気に触れるとジンジンと痛む。
痛みに顔を少しだけしかめた。
「うひゃあはっふひひふはぁ…。
……さなきゃ」
「え?」
「殺さ……なきゃひゃはっうへっふへっははっぁ!」
俺は辺りを見回したが、目当ての物は見つからない。
「おい、山崎!
今何時だ!?」
「は?
っと……十一時だ」
「……そうか。
なら、もうすぐ来るだろ……」
玄関の扉が開くと、ニラが飛び込むように入ってきた。
ニラは興奮状態の神父を抑えた。
「なんでわかったの?」
「なんでって……あいつ、昼間にいつも帰ってくんだよ。
あと、勘」
「……あぁそうだったね、君はそんな奴だったね、一瞬でも尊敬しかけた僕が馬鹿だったよ」
「?」
タカラが持ってきた、ガーゼの包帯を右腕に巻く。
たいして、深い傷で無かったため血はすでに止まっていた。
「いやー。ウララーおつか」
「てめぇ、しまいには殴るぞ?」
「え、ちょ、俺なんかした!?」
振り上げた左腕をタカラに降ろされる。
軽く舌打ちをして、俺はニラに対する怒りを抑えた。
「後で、お前ん家行くから」
「お、六時ぐらいにこいよー」
ニラは神父を連れて、俺の部屋を出て行く。
取り残された俺らは、顔を見合わせた。
「はぁ……この脱力感は……嫌になるね」
「山崎さんも一緒にお酒飲みますか?」
「いいの?
じゃあ、後でニラさんの部屋に行くから」
山崎は、表情を変える事なく言うと部屋から出て行った。
俺とタカラは目を合わせると、苦笑いをした。
部屋には、むせ返るような血の匂いが少しだけ広がっていた。
グビグビと、冷たいビールが喉を通る。
冬だけれど、部屋の中はストーブや人などで十分に暑い。
タカラとニラは酔わないようにするためか、サワーをチビチビと飲んでいるが、他の奴らは別だ。
「つか、ニラぁ。
お前ん家始めて来るけど、まさかこんなに人が居るとはなぁ」
「ちょっ、アヒャさんやめて下さい」
赤色の毛で、左目に傷跡のついた中年男性がニラの背中をバシバシと叩く。
恐らく、ニラの上司だろう。
「つかニラ、こいつら誰だ?」
アヒャと呼ばれた男は、にやけた顔のまま尋ねる。
背中をさすられたまま、ニラは俯いていた顔をあげた。
「えっと、耳に赤色の線が入ってるのが、ウララーでその隣の水色がタカラ、緑が山崎。
で、俺の奥さんの艿菜でーす」
「んもう、まだ結婚してないでしょ!」
どうやらニラは出来上がっているようだ。
アヒャは、ニラから離れ俺の隣に来るとニヤリと笑った。
「お前ら悪かったな、面倒事に巻き込ませちまって」
「……いや、別に問題はねぇよ」
ただの、アホかと思ったがちゃんと大人の常識は持っているようだ。
「この地域に住んでうん十年も経ったが、こんなアパートあったんだな。知らなかった」
アヒャが感心そうに言う。
俺はビールに目を向けたまま、鼻で軽く笑う。
「何十年住んでも知らねぇものは知らねぇよ」
「……だよなぁ」
一瞬、アヒャの目が揺らいだがすぐに目を軽く閉じてしまったため、考えている事を予想する暇も無かった。
「ウララー。
今日はお疲れー」
「お前なぁ…」
アヒャが山崎とタカラの元に行った時、すぐにニラが飛び込んできた。
一人で飲ませろ。
「あのよぉ、ニラ。
お前……」
「ん?」
酔ったからか、顔がほんの少しだけ紅潮している。
なんでココにアヒャを呼んだんだ?
「え?今、何て言った?」
「だーっ!
ほんっと、酒によえぇな!」
「最近やっと、サワー飲めるようになったんだから!」
ブンブンと空のコップを振り回す。
艿菜は、端の方でタカラ達と楽しそうに会話をしている。
頭のどこかに抱えた不安は、タカラが来た日から膨らんでいるように思える。