「焼きそばは美味しいですよっ!」
俺はきっと若すぎたのかもしれない。
いや、たいして歳をとっていないしむしろまだ二十五歳だ。
昔は現実を知らなかっただけなんだ。
成人して、小さいながらも探偵という職業を始めた。
正直、最初だから知名度も何も無くバイトをしながらの仕事だった。
それでも、誰かのために働ける事が唯一の幸せだった。
初めてのお客さんが来てからは、それなりに知名度があがり、結構依頼がくるようになった。
「ちょっといいかな?」
「ん?……わぉ」
警察服をまとった若そうな男が笑顔のまま言う。
「で、今何してたの?」
「すいません。
仕事が探偵なんで、ちょっと浮気調査してました。
はい」
緑の毛色で、つり目気味の男は苦笑いをした。
「やれやれ。
探偵ねぇ。
ま、職務質問されない程度にやってくれると助かるんじゃネーノ?」
「すいません」
ペコペコと俺は頭を下げて言う。
警察は肩をすくめると、まぁ頑張れ、と言って俺の前から去った。
俺はデジカメの写真を確認すると、バッチリ二人の証拠写真を収められていた。
ホッと一安心して、俺は携帯を取り出した。
『……も、もしもし』
「もしもし、ヴィップ探偵の浦山です。今から事務所に来れますか?」
『は……はいっ』
オドオドとした口調で依頼主の女性が言う。
事務所につくと、俺よりも早く女性が入り口の前で立っていた。
「……まぁ、ここで話すのもあれですから、とりあえず中へ」
女性は、耳を垂らし心配そうな表情を浮かべてしどろもどろに事務所に入る。
女性をソファーに勧め、俺は向かい側の椅子に座った。
「あの……結果は」
「あぁ、予定よりも早く出てしまいました。
こちらが証拠になります」
手前のテーブルにコンビニにで焼きましした、写真を四、五枚おく。
女性は、おそるおそると写真を手に持ち写真を見てすぐに顔色を青くした。
「大丈夫ですか?」
「……は…い…。
予想は、していたので心の準備はしていたつもりでしたが……」
女性の瞳からは、ポロポロと少しずつ涙が零れた。
しかし、女性はすぐに袖で目元を拭うとキッと睨むような視線を俺にむけた。
「ありがとうございました。
確か料金は、二万でしたよね」
ゴソゴソとバックを漁り、財布を取り出す。
「映像も撮ってありますが、どうしますか?」
彼らの浮気映像が入ったDVDを右手に持ち、女性の目に入るようにする。
「それもいただけますか?」
「えぇ、もちろん」
ニコリと俺は笑うと、テーブルに置いた。
女性は、写真とDVDを取ると同時に二万円をテーブルに置く。
「確かにお預かりしました」
「ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をすると、コツコツとヒールを鳴らす音を立てて事務所を出て行った。
二万円を財布の中にしまうと、ため息をついた。
正直俺は浮気調査をして、依頼主の落ち込む顔を見たいわけじゃない。
依頼主の笑顔を見たかっただけなんだ。
「はぁ……」
背もたれに体重をかけるとギシッと言う音が部屋に響く。
コンコンと言うノックがなる。
「どうぞ」
顔を軽くつねって笑顔をつくる。
愛想笑いというやつか。
事務所に入って来たのは、一人の男だった。
つり上がった眉毛が特徴的で白の毛色をした背の低めの男だった。
「頼みがあるんだ」
「浦山です」
名刺を渡すと、男は口の端をあげて名刺を受けとり俺に名刺を差し出す。
名刺には、志賀京介
と書かれている。
「なるべく今日から、ある男の尾行をして欲しいんだが」
「今日……ですか。
何を調査すれば良いですか?」
「男は黒い大きめのトランクを持ってるはずだ、紺色のスーツを着ているはずだから、見つけやすい」
とりあえず、手帳にメモをするがこちらの質問に答えてくれない。
何か急いでいるのか、とても早口だ。
「もし、その男が廃棄になったラウンジビルに入ったなら連絡をくれ。
おそらく今は、近くのコンビニにいると思われる」
「了解しました。
料金は、後払いになります。
一応こちらにサインとハンコを」
依頼主は、サラサラとボールペンで書きはじめ印鑑をおした。
調査内容から考えて、料金は約一万程度になるだろう。
「では、お願いします。
番号は、名刺に書いてあるので」
依頼主は、一礼をするとそそくさと事務所を出て行く。
俺は渡された名刺と手帳を交互に睨むようにみた。
椅子から立ち上がると俺はバックを持って事務所を出た。
向かう先は、近くのコンビニだ。
この近くのコンビニといえば一つしかない。
依頼主がなぜあそこまで情報を知っているかは謎だが、せかせかと喋り暑くもないのに彼の額からは汗が少しだけ流れていた。
コンビニに入ろうとすると、すれ違いざまに紺色のスーツを着て、大きめのトランクを持ったヒゲの生えた男が隣を通り過ぎた。
顔はよく見えなかったが、おそらく依頼主が言っていた人物だろう。
俺はばれないように尾行を始めた。
尾行を続けているうちに、どんどん暗く細い道に入っていった。
そもそもなんで、依頼主はこんな男の尾行を?
犯罪に巻き込まれなきゃいいんだが。
そこまで考えたところで俺は頭の痛みを感じる前に意識を失った。
薄っすらと目を開けると、目の前には先ほどの紺色のスーツを着ている男が立っている。
気絶していたから気づかなかったのか、後頭部に鈍い痛みが走る。
血が出ているのだろうか、額に何かがこびりつくような感じがする。
暗くてあまり顔が見えない。
誰かが俺の上にのり両手を背中の上で抑えている奴がいる。
顔を少し引いて横目で見ようとするが、暗いせいもあり何も見えない。
「おはよう」
つい先ほど……感覚的には一時間前に聞いた男の声がする。
後ろの奴を見ようとする努力をやめて、声がする目の前に顔をむけた。
そこには、依頼主である志賀が満足げな表情でスーツの男の隣に立っていた。
「実を言うと、我々も探偵会社の一部の人でね。
君みたいな自営業なんかに客を取られちゃあたまんないのさ」
「個人的な恨みか?」
これから起こることを予想したからか、声が震えそうになるがなんとか持ちこたえた。
頬の筋に冷や汗が流れるのがわかった。
「それもあるが、本社から頼まれたもんでね」
どうやら、志賀のいる探偵会社はなかなかに大きな会社なのだろう。
志賀は、俺の顔の目の前でしゃがみ俺の左耳を右手で掴む。
「これが最期だ。
探偵をやめるつもりは?」
左耳を強く握られる。
少し顔を歪めた。
もしかしたら、死ぬかもしれないし死ななくともそれなりに痛めつけられるのだろうに俺はなぜか、笑いがこみあげるのを抑えられなかった。
「やめるつもり?
はははっ、さらっさらねぇな」
志賀の顔が怒りを含んだような笑みになる。
俺は頬が上にあがるのを抑えることなく、挑発をするように志賀を見た。
志賀は、右手を離し俺の頬を殴る。
「くそっ!!」
「っ!」
痛かったのだが、俺のどこかに余裕があった。
志賀は、スーツの男からナイフを受け取ると俺に向ける。
「なに、殺しはしないさ。
ちょっと探偵になる気も、警察に言う気も失せるほど痛めつけるだけさ」
ゆっくりと志賀は俺に近づいてくる。
俺は深呼吸を一つすると、表情を変えぬまま志賀を見る。
「社員が社長一人の探偵会社を舐めるなよ」
「ーーなっ」
俺の上に乗っていた奴は完全に油断していたのか、体制をずらすと男はバランスを崩した。
その隙を見て俺は立ち上がり、近くにあったコンクリートの破片を握りしめ、男を殴ると男はフラリと頭から血を流しながら倒れた。
「……稲垣」
「は……はいっ」
稲垣と呼ばれたスーツの男は、焦ったような口調で返事をする。
「あいつ……殺しても問題ない」
「……了解…しました」
稲垣は、俺を睨みつける。
志賀は、手に持っているナイフで俺を斬りつけて来るが、こちらだってだてに探偵をしているわけじゃない。
体を後ろにそらし、よけたが後ろにそらしただけではよけきれずワイシャツのちょうどお腹の部分にナイフを掠め、ワイシャツが少しだけ切れた。
血のついたコンクリートの破片を俺は投げる突然の事で志賀はよけ切れず顔面に直撃する。
フラリと体制を崩し志賀は顔を両手で押さえる。
そのさいに、持っていたナイフを地面に落とした。
コンクリートの破片を思いっきり投げたのだから相当痛いだろう。
稲垣が俺に殴りかかってくる、志賀に意識を取られすぎて、存在を忘れていた。
「っ!!」
かなり強く顔を殴られる。
さっき志賀に殴られたのより何倍も痛い。
一瞬よろけたが、すぐに体制を持ち直し俺はもう一度殴りかかってくる稲垣に向かい合う。
稲垣の拳をよけて、顔を殴りつける。
よろけた稲垣に今度は蹴りを入れた。
うまくみぞおちに入ったので、稲垣はその場にうずくまり、咳き込んでいた。
稲垣を放置して、まだ呻いている志賀を眺める。
俺は志賀の足元に落ちているコンクリートの破片を拾い上げると、志賀の後頭部に思いっきり打ち付ける。
「がっ!!」
後頭部から血を垂れ流して、志賀は地面に倒れる。
俺は咳き込んでいる稲垣の目の前に立つと、コンクリートの破片を振り上げた。
「まっ……ゴホッゴホッ!
俺は上司に命令されてっゲホッ!
しかた…ゴホッ!…がなく」
「あぁ、分かってるさ。
仕方がなく、俺を殺しに来たんだろ?」
「ちがっ!!」
返答を聞く前に、手に持っている破片を振り下ろした。
流石に、死んではいないはずだ。
後頭部の怪我もだいぶよくなり、俺は探偵業を再び始めた。
ノックの音がする。
俺は、タバコを灰皿に擦り付けた。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、まだまだ若そうな女性だった。
仕事のついでで来たのか、スーツ姿だ。
「………というわけで。
お願いしたいのですが」
「ふぅん。
つまり、旦那さんの浮気調査ですね。
それならば、後払いになりますが料金は十五万になりますね」
「十五万っ!?
そんなにですか!?」
「十五万なんて、まだまだ安い方ですよ。
ま、こちらの契約書にサインしてくださいね」
驚く女性を無視して、俺は机の上に契約書を乗せる。
女性は、悩みながらも俺が出したボールペンを握りしめて、契約書にサインし始めた。
俺は頬がつり上がって行くのを気づかれないように、下を向いた隠した。
「依頼主もバカだよなぁ」
分厚くなった茶封筒をバックの中に放り投げて俺は街を歩いた。
簡単に金が増えていくのは本当に楽しい。
人っつーのは、エゴスティックの塊だからな。
依頼主の利益になりそうな事少しいえばすぐに契約してもらえる。
なんて楽な仕事なんだろうか。
「君」
肩をポンと叩かれて俺は振り向く。
振り向くと、半袖のワイシャツにだらしないズボンを履いた三十代後半の男がいた。
「んだよ、ジジィ」
「新しいアパートを作ったんだ。
人の、クズが集まるアパートさ。
まだ作ったばかりだから人がいないが君に来て欲しい」
「はぁ?
初対面でいきなり人の事をクズとか。
頭どうかしてんじゃねぇのか?」
俺は自分のこめかみ部分を人差し指で指す。
しかし、目の前男は表情を変える事なく話を続ける。
「君は、“死にたい”のだろう?」
「……は?」
死にたい?
俺が?
金も名誉も手に入れた俺が?
「クズの自分に嫌気でもさしたのか知らないが、死にたいならぜひ来るといい」
男は、踵を返すと元来た道をのんびりと戻り始める。
俺の、思考回路は混乱していたがどうやら体は何をすればいいのか分かっていたようだ。
走って男に追いつき、男の肩を掴んだ。
「案内しろよ。
そのクズの集まりとやらにな」
「……こっちだ」
男は、振り向かなかったが微かに微笑んだ気がした。
「何ボーッとしてるんですか?」
「んぁ?」
タカラの声で俺は我に返った。
随分懐かしい事を思い出したもんだ。
「だーかーらー、焼きそば美味しいですか?」
「あぁ、これ。
沢野の方が料理うまい」
「んなぁっ!!」
タカラは、ショックを受けたような顔になった。
俺は焼きそばを口にふくむが、ソースの味が濃すぎる。
(いや、でも僕は意外といけるよ)
「流石シーンさんっ!
分かってくれますねぇっ!」
「いんや、マズイ」
コタツに三人で入って、ぎゃあぎゃあ騒ぐのも悪くないな。
二人のやりとりを少しだけ聞きながら、シンクにおいてある包丁を眺めた。
俺はいつ死ぬんだろうか。
いつ、死ぬ勇気が出るのだろうか。