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鈴本高嶺(3)

 講義が終了し、教室から生徒達がぞろぞろと退出していく。しかし私は席についたまま動かない。いつもであれば私もさっさと席を後にするのだが、今日は事情が違っていた。


『明日、ちょっと時間あるかな。会わせたい人がいる』


 ラインの通知に表示されたメッセージ。送ってきたのは西江由紀にしえゆき、大学で出来た友達の一人だった。

 人との会話が極端に減った中で、唯一まだそれなりにコミュニケーションを取れるのが由紀だった。その理由には、芙海の存在があった。

 

 私と芙海が出会う前に、由紀は既に芙海との親交があった。共通の友人という接点でやがて三人で会う機会が増えた。ショートの金髪に涼しげな目元、ロック好きという趣味をファッションにも反映させた姿は少し厳つさもあったが、喋ってみれば意外にもそういった外見から連想する性格や言動の激しさはなく、どちらかといえば大人しいぐらいだった。

 ただステージに立てば彼女はその印象をイメージ通り、いやそれ以上のものに変えた。軽音サークルに所属している彼女は、いつも背中にギターケースを背負っていた。ライブになると真っ黒なそのギターを会場一杯に響かせた。がむしゃらに頭を振り乱しながらギターをかき鳴らす姿は普段の大人しさを知る私からすれば衝撃的だったが、ステージ上で見せる彼女の笑顔は誰よりも眩しくて、音楽の神へ溢れんばかりの喜びを伝えているようだった。しかし、ライブが終わってお疲れ様と声を掛けると、はにかみながら照れくさそうに「ありがとう」とすっかり普段の彼女だった。


 芙海が死んだ時、由紀は静かに涙を流していた。唇を強く噛み締めるその表情は、感情が爆発するのを必死で抑え込んでいるようだった。内で荒れ狂う巨大な怒りが外に出て無作為に暴れ出さないように。


 しかし、由紀の復帰は早かった。後で聞いた話だが、二週間も経った頃にはいつも通りの振る舞いに戻っていたという。私には信じられなかった。芙海を失った悲しみを、もう乗り越えたのか。それとも振り切ってしまったのか。

 由紀は私の部屋に何度も訪れてくれた。だが、今よりひどい有様だった私は部屋にこもり、ただただ悲しみを垂れ流し続けていた。どんな言葉も受け入れられる状態ではなかった。それでも辛抱強く来てくれた由紀のおかげで、ようやく扉を開く事が出来るようになった。扉を開けた私に開口一番、彼女は言った。


「芙海が悲しんでるよ」


 そんな風に考える余裕すらなかった自分に腹が立ち、私はまた泣いた。

 自分の死が、他の人間まで浸蝕していく。自分が逆の立場になった時、芙海のその姿を見て私はどう思うだろうか。そう思うと、胸が苦しかった。

 私の泣き声に、由紀のすすり泣きが重なった。彼女だって辛いのだ。乗り越えたわけでも吹っ切れたわけでもない。それでも前を向かなければと思ったのだ。

 そして、次の日から私は外に出る事を決意した。


 由紀には本当に感謝している。こうやって外に出る事が出来るようになったのも、彼女の働きがあったおかげだ。それでもまだ私は完全ではない。大学を訪れる度に強く芙海との思い出が蘇り、辛く悲しくなる。

 

 そんな時に、芙海が唐突に現れた。

 信じられなかったが、一度ならず二度三度、彼女は私の視界に前触れもなく入り込んだ。

 芙海は、いるんだ。

 今でも私の横にいてくれるんだ。

 立ち直りかけた現実の前で、芙海の存在が夢幻と現世の境界を曖昧にさせた。私の心はその二つに挟まれ、そして結果芙海の存在を全てとする世界に自分の身を横たえた。芙海はいる。芙海がいてくれる。芙海がそばにいる。芙海という安心。芙海という安らぎ。

 私はそうして自分の世界に安心した。

 芙海がいてくれる。それだけでもう十分だった。

 

 十分になってしまったのだ。


 広がりかけた世界は、芙海を中心に収縮していった。

 世界が私と芙海という小さな点に集約されていく。

 それ以外のものは排除されていく。

 何も言わないし、照れくさがっているのかちゃんと姿を見せないけどそれでもいい。

 見守ってくれているんだ。

 強く求めた想いを、死んでもなお芙海は受け取ってくれたのだ。

 私には、芙海がいれば、それでいい。


「お待たせ」


 声がして顔を上げると、由紀が目の前に立っていた。


「知ってるよね、彼の事」


 そう言いながら由紀は隣にいる男性をちらりと見る。

 彼女の右側に立つ男性。線の細い体格とさらっとした長めの黒髪。見覚えがあるなと思ったら、授業で何度か一緒になった事がある事を思い出した。


「秦康成君。彼ね、死んだ人が見えるの」


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