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鈴本高嶺(2)

 生が死に変わる時。

 それはゆっくりと時間をかけて蝕むように。

 はたまた唐突に眼球を突き破り、瞬く間に明を暗に切り替えるように。

 江崎芙海えざきふみの生について言えば、その死は後者に当たる。


 一瞬の凶行。

 一瞬の死。

 通り魔の振りかざした無情な刃が親友の命を永遠に奪った。

 犯人は中学を卒業したばかりの青年になり切れない少年だった。

 通りすがりの若者の刃物が何故芙海の首を切り裂いたのか。

 そのはっきりとした理由は分からない。何故ならその犯人自身も直後にトラックに撥ねられ死んでしまったからだ。

 少年は家族や学校での交友関係が非常に希薄で、家ではずっと部屋にこもってゲームばかりしていたらしい。そういった環境が少年の心に歪みを生み、結果このような非行に及んだのでは、というのが警察の見解だった。


 彼女の死に、どれだけの涙が流れたか。

 こんな不幸が、こんな悲劇が、許されていいわけがない。

 犯人への憎悪の炎には絶え間なく油が注がれ、鎮火など未来永劫ないと思える程燃え盛り続けた。



 芙海との出会いは大学の英語の授業だった。

 必須だが授業内容は非常に緩いもので、英語の本をただ読むだけというものだった。

 読んだページ数がそのままポイントとなり、規定のポイント数を超えれば単位修得。そんな授業なものだから、教室での時間は生徒達の喧しい雑談で囲まれるのが常だった。

 だが、時より授業らしい授業を行う時もある。それは、自分が呼んできた本の紹介発表を行うというものだ。講師から発表は来週に行ってもらうので、前後で二人ペアを作ってそれぞれ読んだ本について話して下さいと言われその時にペアになったのが、江崎芙海だった。

 明るい茶色のショートボブに、子犬のような愛くるしさを感じさせるくりっとした瞳。よろしくねと向けられた笑顔が、それだけで初対面の私の心を一瞬でほぐした。


 初めて見た時の第一印象と仲良くなってからの印象に大きな誤差はなかった。芙海はいつでも明るく、なんでもない日常も芙海の口からはおもしろおかしく語られた。ころころ楽しそうに話す彼女は本当に可愛らしかった。ルックスの良さだけではない。内面から溢れてくる人間性の暖かさが、彼女を更に輝かせていた。

 色んな事を話した。いつでも芙海は笑顔を絶やさなかった。

 なのに。なのに……。

 

 串刺しにしてやりたい。火だるまにしてやりたい。思い付く限りの痛みを、苦しみを、犯人に与えてやりたい。本気でそう思った。

 でももうその存在はこの世にいない。

 復讐の機会すらない。

 奪うだけ奪って勝手にさよなら。

 

 ――ふざけるな。


 呪いの矛先すらない。浮いた刃は戸惑うばかりで、投げる事も捨てる事も出来ない。

 それでも内なる炎は煮えたぎって治まらない。

 

 ――芙海。会いたいよ……芙海。


 呪いと共に肥大する叶わぬ願い。


 芙海に、会いたい。


 目を閉じれば、芙海の笑顔はいつでも鮮明に思い出せた。でもそれは思い出の芙海の姿。実際にそこに芙海がいるわけではない。

 会いたい。こんなに会いたいのに。気持ちだけではどうする事もできない。

そう思っていた。


 夜。就寝前、洗面所でいつものように歯を磨いていた。口の中を濯ごうと泡を吐き出し顔をあげた瞬間、私は一瞬呼吸が止まりそうになった。


「芙海……!」


 振り返った時には、もうそこに彼女の姿はなかった。だがほんの一瞬、そこに映ったのは紛れもなく芙海だった。

 私はその場で泣き崩れた。幽霊など信じていなかったし、実際彼女が死んでから肉眼でその姿を見る事は一度としてなかった。幻すら見る事も叶わなかった。でも、今彼女は、そこにいた。鏡越しではあったが、はっきりと見た。

 あの優しい笑顔が、私を見てくれていた。

 

「芙海……芙海……」


 願いは通じた。

 私はその日、涙を流しながら喜びを噛み締めた。


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