西江由紀(1)
すずの気持ちは痛い程に分かってるつもりだ。自分だってあの時はもう立ち上がれないんじゃないかと思った。こんなに残酷な事が起こり得る事に心底絶望した。 そして心底犯人を憎んだ。それは、多分すずも同じだったと思う。
辛い。悲しい。当然の感情だ。でも認識しないといけない。
芙海は死に、私は生きてる。
言葉に出すと、その事実は胸を抉るようにどこまでも現実だった。
でもそうなんだ。それが現実なんだ。だからこそ、生きてる自分が死んでるように生きちゃいけないと思った。
芙海をあんな目に合わせた犯人は許せなかったが、その犯人はもうこの世にいない。そこに力を注いでも、もうどうにもならない。無駄な事なのだ。
憎んでも憎みきれない。でもそこに向けるエネルギーがあるなら、前を向く為のエネルギーに使うしかないのだ。それが生きている者の使命だ。
でも、でもすずは、そうはなってくれなかった。
何度も声を掛け、何度も前を向かせようと働きかけた。部屋から出てきてくれた時、どれだけ嬉しかったか。やっと一歩を踏み出してくれた。
大丈夫だ。これでもうすずは大丈夫になれる。
そう思ったのに……。
すずは大学にまた来るようになってくれた。まだまだ十分ではなかったが、少しずつ言葉が多くなっていった。
もう少し。もう少し。
しかししばらくして、すずの様子がまたおかしくなり始めた。
心そこにあらずといった様子で、声を掛けても上の空。返事を返してくれる事もあったが、そこにはまるで生気がなかった。
何故だ。頑張ろうと思ってくれたんじゃなかったのか。
それからすずが良くなる兆しは一向に見えなかった。それどころか悪くなる一方に見えた。
何があったのか、どうして戻ってしまったのか。
私は久しぶりにすずの部屋を訪れた。
芙海が死んですぐの頃は固く閉ざされ何者をも拒絶していた。すずは何も言わず部屋の中に私を招き入れた。少し安心したが、相変わらず表情は死んだように無だった。
すずが腰を下ろしたので、その横に自分も腰を下ろす。
「すず、最近どう?」
「……」
すずは黙ったままだった。視線は何も映っていないテレビに向いていた。
自分の言葉は、もうすずに届かないのだろうか。
その時、すずの口が僅かに開いた。
「芙海」
「え?」
視線は相変わらずテレビに向けられているが、それは虚空を見つめるものではなく、はっきりとそこに映る何かを捉えているようだった。
しばらくそのまま動かなったが、やがてすずの首が私とは逆方向へと向いた。
「芙海」
そして再び、すずは芙海の名を口にした。まるでそこに芙海がいるように。
すずの横には、もちろん誰もいない。
――そんな……まさか……。
いるんだ。すずには見えているのだ。
芙海の姿が。
一瞬、すずが羨ましく思えた。すずの目には見えて、私には見えていない。私だって、会えるのならば会いたい。だがすぐにそれは違うと心で否定した。
芙海は大事な友達だった。大好きだった。芙海が笑うとそれだけで心がほぐれ、ぽかぽかした。こんなにも簡単に、笑顔一つで人の心を癒せる人がいるのかと感心した。だがそれもこれも、想い出なのだ。どう足掻いたって過去なのだ。それを大切に、忘れずに持ち続ける事は大事だ。だがすずはその一線を越えている。
過去も現在も無視して、芙海という亡霊に囚われている。
すずをおかしくしているのは、皮肉にも芙海の存在だった。




