イフの寺社施設での出来事
注文していた料理が届いた。
蟹鍋である。
ツバメが携帯用コンロを持ち込み、空調が効いているはずの応接室に熱気が充満する。
「ある所には、あるもんじゃのう」
相馬老人も、まさか鍋を注文出来るとは思っていなかったらしい。
そして彼以上に渋い顔をしているのは、ビルの所有者、つまり賀集セックウである。
「……応接室は、鍋を食う所ではないのだがな」
「ほう、食わぬのか。それは残念」
「食べないとは言っていない! 第一、金を出しているのは俺だ!」
「正確には、会社の経費です」
律儀に、ツバメが訂正しながら蟹を鍋に足していく。
「ではま、食べながら、白戸先生の話の続きを聞きましょうかな」
相馬老人に促され、白戸は話し始めた。
「あー、はい。私がイフに到着したのが大体十時過ぎ。そして寺社施設群は駅のすぐ傍でした」
「フェアニクス大聖堂とかやらが確かあった場所じゃのう」
「ええ、一応見て回りましたが、発見は出来ませんでした。そして、施設の中を歩き回っていたんですが……あそこは裏通りは極端に静かでして、ちょっとした騒ぎでも勘付きやすかったのです」
「お、お世話になりました」
ペコリ、とリオンが頭を下げた。
湯気で眼鏡が曇り、何も見えなくなったのか慌ててそれを外した。
その素顔は、年齢よりもかなり若い童顔に見える。
「お嬢さんは、その、教団から逃れてずっと逃亡生活を送っていたのですかな?」
相馬老人の問いに、リオンはコクコクと頷いた。
「え、ええっと、そうです。私は、その……逃げたのはいいんですけど、警察を頼ったら、その警察の人が信者でして……」
「ラヴィットの教団本部に捕まっていた所を、何者かが侵入、その騒ぎに乗じて逃走したという話です」
白戸は話を補足した。
ふーむ、と相馬老人は納得していないようだった。……その間も、蟹をほじくる手は休む様子がないのがさすがと言うべきか。
「ラヴィットからイフなら、ずいぶんと距離があるのう。それに電車ならばこのグレイツロープを目指し、飛行機で逃げるべきではなかったのかな?」
「私もそう思ったんですけど、その、助けてくれた子が言うんです」
「子? 教団を襲撃したのは、子供というのかね」
さすがに相馬老人も、予想外だったようだ。白戸も、本人から聞いた時にはちょっと意外だった。
「……そうですね、多分十代後半ぐらい。1人は金髪の剣士、1人は狼獣人の、両方女の子でした」
「ふぅむ、魔術師と有翼人はおらなんだのかね」
「お爺さん、ユフ王の伝説ではないんですが」
白戸も、それは知っていた。というか、おそらく彼の孫が歩んでいるのは、その英雄の軌跡である。
「残念ながら、いませんでした。あと、こちらではレパートは有翼人ではなく龍ですよ?」
「お前も、真面目に答えなくていい」
白戸は、リオンの頭を叩いた。
「ずいぶんと親しそうじゃが、2人の関係はどういうモノなのかのう」
「元教え子です」
「も、元生徒です」
「ほほほ……やはり縁結びの御守りの効果は、大したモノじゃのう」
相馬老人は、愉しそうに笑った。
「あの……それなんですけど」
おずおずと、リオンが手を挙げる。
「何かな?」
「その、助けてくれた子が言ったんです。グレイツロープに行けば空港でまた、捕まる。イフに行けば私の知り合いがいるから頼ればいいって」
「…………」
そうして、リオンは白戸と出会った。
相馬老人が、まじまじと白戸の顔を見つめる。
「先生、自分の予定を他の人に話したりは……」
「してません」
もちろん、今蟹をやけ食いしているセックウも、言っていない。静かなのは、鍋に集中しているからである。
「未来を予知出来る超能力者でもいるのかのう。とにかく、そこで先生は彼女を助ける事が出来たと」
「警察を頼るのは危険だというので、賀集技研のスタッフを頼りました。私は今の教え子の捜索があったので、イフに残留しましたが」
「そこからが受難の始まりと」
「基本、人助けでしたから、受難と呼ぶのもどうかと思いますがね……」
ただ、受難と呼ぶのもあながち間違っていない。
観光客が増えてきた辺りで、写真撮影を頼まれた。少しだけなら、とそれを受けたのが運の尽き。次から次へと団体がやって来て、五組ほど相手をする羽目になった。
やれやれと一息つくと悲鳴が聞こえ、視線をそちらに向けると引ったくり犯がこちらに駆けてくる所だった。
得意の一本背負いで投げ飛ばすと、バッグを奪われた夫人に感謝された……が、警察から事情聴取を受ける羽目になった。
ヘトヘトになりながらそれを終えると、今度は子供が1人で泣いていたので、親を探す羽目になった。
はぐれていた親を見つけ、これまた感謝されると裾を引っ張られた。
振り返ると、そこには産気づいた女性がうずくまっていた。
「呼んだ救急車が到着した時、娘さんを見かけたような気もしたんだが」
「見たのか!?」
ようやく、賀集が反応した。
「だが、確かじゃなかった。男女2人組だったが、服が違っていたしな。……それもあるが、妊婦さんが俺の手を離してくれなかったのが、一番辛かった」
救急隊員も白戸を旦那さんと勘違いし、そのまま病院まで連れて行かれてしまったのだ。
……そして、再び現地に戻ったが、今度は重たそうな荷物を背負う老婆がいたので、近くにあった家まで運んだりもした。
相馬老人が注目したのは、服の違うという2人組の事だった。実際に見た白戸としても、確かに似てはいたのだ。
「気になりますのう。そも、カードは使っておらぬのですな?」
「はい。持っていたカードは使用した時点で、居場所を補足出来るようになっています」
その点はツバメが保証した。
「しかし、古物商で私物を売った資金があるのでは?」
「交通費と食費を考えれば、これ以上の替えの服などという無駄、出来んじゃろうという話ですじゃ。どこかで稼いだか、服をもらったか……あるいは本当に他人の空似じゃったか」
白戸の疑問に答え、ふむ、と相馬老人は考える。
「ま、金を稼いだと考えておくのが、よさそうですのう」
「何故ですか?」
「儂らの都合じゃよ。そうせんと、捜索範囲を勝手に狭めてしまう。明日の行動指針も決めねばならんですしな」
「そうだ、明日どうするか決めなければならん」
賀集の指示で、ツバメがモニターを運んできた。
表示されたのは、修学旅行のしおりの写し、四日目のスケジュール表である。
その表を、白戸が説明する。
「修学旅行のスケジュールでは四日目は、グループ行動で各地にバラけます。娘……ケイさんはどこにも属してませんでしたが、息子さんはラヴィットに向かう予定でした。午後から演劇鑑賞があるんです」
「つまり、先生はラヴィットを目指す訳ですな」
「チケット自体がキャンセルされて、もはや観られるとは思えませんが、駄目元で一応は……」
「妥当な所ですの。そも、息子の私物を見せてもらった限り、旅のしおりも持っておらぬ様子。ラヴィットで張るのならば、そこしかなさそうですな」
「はい」
ならば、と相馬老人は頷いた。
「儂はシティムで張っておきましょうかの。無事に過ごせているなら、明後日には会えるはずですじゃ」
「でも、それなら明日は外れじゃないのか?」
「シティムという土地も、見所が多そうです。どこで張っていれば確実に会えるか、観光がてら下見させてもらいますよ」
そういう話になった。
晩飯を終え、ひとまず解散の運びとなった。
宿は昨日と同じ、社員寮を使わせてもらう事になり、白戸の後ろにはリオンがついてきている。
鍋を食べ終えたので、眼鏡はちゃんと付け直していた。
「で、お前はどうする。どうも青羽教は誰かが動いて、潰して回っているみたいだが、もうしばらく大人しくしていた方がよさそうだが?」
「あ、わ、私は、その、先生について行こうかと思いまして……」
「……一応、お前も追われる身だという自覚ぐらい、持ってくれないか?」
寮で待機しているのが一番安全だという事ぐらい、分かると思うのだが。
しかし、リオンは珍しく反発した。
「で、でも、助けてくれた人が言っていたんです! 白戸先生の傍にいるようにって」
いつもの白戸なら、それでも寮に残るように言っただろう。
だが、彼女を白戸の元に導いたのは、その、教団を襲った人物だ。となると、一緒にいる方がいいのだろう。
「……分かった。ただし変装は必須だぞ」
「は、はい!」