白戸の受難と出会い
グレイツロープにある、賀集技術ガストノーセン支部。
その応接室に、白戸サブローはイフから戻って来た。
コートはヨレヨレになり、顔はやつれ、髪の毛も綻んでいる。
時計を確かめると、時刻は18時を少し回った所だ。大きな窓から見える街並みは、既に夜景になっている。
「……今、戻った」
「よく戻ったな」
出迎えたのは、ソファに座る賀集セックウだ。
こちらを見もしない、というか見る余裕もなさそうだ。
彼の前のテーブルには、分厚い資料が積まれており、彼自身はノートパソコンを操作している。こんな時でも仕事をしなければならないのが、経営者の悲しさというか、いやそれでも娘の捜索と並行しているだけ、大したモノなのか。
彼の後ろには、昨日と同じように秘書である早乙女ツバメが控えている。
「ああ、まったく……えらい目に遭った。……そちらが件の?」
ボヤき、白戸は手前のソファに視線を移した。
柔和な笑みを浮かべた、小柄な白髪の老紳士が立ち上がる。
「そうだ、相馬トドマル。相馬ススムの祖父だ」
「この度は孫がご迷惑をお掛けして、申し訳ないですの」
ペコリ、と老紳士、相馬老人が頭を下げた。
白戸も、同じように頭を下げる。
「いえ……こちらこそ、到らない点ばかりですみません。お孫さんは、きっと見つけ出しますので」
「うむ、そりゃ当然ですな。という訳で明日の指針を決めたいのじゃが、その前にあれですな。飯は済ませましたかな?」
頭を上げた相馬老人は、やはりニコニコとしていた……というか、どうやらこれが地の顔であるらしい。不思議と、相手の緊張を削ぐ表情と声音である。
「……は?」
「腹が減っては軍は出来ぬというでしょう。弱った頭では考えもまとまりませんしの。夕食がてら、今日の成果も聞きましょう」
そう言って、相馬老人は自分の隣の席へ、白戸を促した。
「あの……」
そのまま相馬老人は冊子を開いた。
……近くにある料理店のメニューだ。どうやらデリバリーを頼むつもりらしい。
「……深く考えるな。この爺さん、何気に独特のペースだ」
ノートパソコンの画面から目を離さないまま、賀集が言う。
「そ、そうみたいだが」
「それに、扉の向こうの女性も出にくい様子。さっさと入ってもらうとええじゃろう」
「……っ!?」
ふぅむ、とメニューに悩みながら相馬老人が呟いたのに、白戸は驚いた。
「連絡にあった、園咲女史か?」
「あ、ああ……」
賀集の問いに、白戸は頷く。
「それじゃま、その子を交えて話を聞かせてもらおうかのう」
「はぁ……園咲入れ」
「は、はい!!」
後ろの扉が開き、緊張した声音と共に女性が入ってきた。
ボサボサ髪に瓶底眼鏡、さすがに出会った時の白衣は脱いでいるが、モコモコのセーターはところどころ綻んでいるし、ややだらしない印象を受ける。
下はジーンズだし、社会人っぽくはあまり見えない。
「そ、園咲リオンで……うひゃあ!?」
部屋に入ったリオンは早速カーペットにつまずいた……が、何となく予想していた白戸が支えることで、転倒は免れた。
「……しっかりしろ。足下に引っ掛かるモノは、何もない」
「す、すすす、すみませんすみません私、慌てちゃうとすぐ転んじゃって実験でもよくこれでせっかくの試作品を台無しにする事がありまして」
ペコペコペコペコとお辞儀を繰り返す。
「落ち着け」
「落ち着きたまえ」
「落ち着くのじゃ」
「落ち着いて下さい」
「は、ひゃいっ!!」
部屋にいる4人全員に言われ、リオンはビシッと固まった。
「早乙女、飲み物は4つだ」
「いや、5つですな」
ツバメに向けた賀集の命令を、相馬老人が訂正する。
ようやく、賀集が顔を上げた。
「彼女は秘書だ」
「その通りですがの。1人だけ立たせて儂らだけ飯を食うというのも、どうにも落ち着かん。儂はともかくこちらの嬢ちゃんは、どうかのう」
「あ、その、ええと」
戸惑うリオンをソファに座らせ、白戸は台詞の先を促した。
「言いたい事は、ちゃんと口にしろ」
「じゃ、じゃあ、その、お願い出来ますか……」
賀集は小さく、鼻息を漏らした。
「許可する」
「かしこまりました」
注文したデリバリーを待ちながら、白戸は話し始めた。
なお、席は向かいに賀集とツバメ、こちら側は左から順番に白戸、リオン、相馬老人である。
テーブルにはティーポットと、香茶を注がれたカップが人数分置かれている。
「朝方になって、ようやく私は彼らの目的に気づきました。ヒルマウント、グレイツロープ。あの2人は、修学旅行を行っているようです」
白戸は2つ砂糖を入れた香茶を飲み干した。
糖分が、頭と身体に染み込むようだった。
「そのようですのう。となると、次はイフじゃった、と」
相馬老人の推測に、白戸は頷いた。
「はい。ただ、一歩遅かったようです」
「まあ、今日は空振ったようですがの……」
ふむ、と相馬老人は顎を撫で、首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「……いや、その理屈なら、あと2日待っていれば、向こうから連絡をしてきそうな気もしそうじゃなあと思いましてのぅ」
そこで激昂したのが、賀集である。
「あ、あと2日も2人旅などさせられん! 仮にも男と女だぞ!?」
「しかし、事があるならもう3日も経っておる。手遅れではないかのう」
逆に言えば、何事もないなら今日も多分無事かもしれない。
白戸は考える。
相馬は……あくまで印象だが、奥手そうだ。そういう事には、ならないような気がする。
あくまで、気がする、というレベルだが。
一方、保護者はそんな、無責任な推測で納得するはずがない。しかも子は娘である。
「そ、そそそ、それは駄目だ! そんな事になったら、俺は耐えられん」
「ううむ、結婚式を挙げるとして、薄情な倅共は正直呼びたくないのう」
……明らかに、相馬老人は楽しんでいる風だった。
ただ、表情が普通に笑顔なので、笑っているのか違うのか、大変分かりづらい。
横槍を入れたのは、秘書のツバメであった。
「お爺様、社長の血圧が上がりますので、その辺にしておいてもらえますか」
「おお、それはすまんの。で、先生はイフに飛んだと」
「はい。ただ、どういう訳か、今日はとことんまで運が悪かったようで……いや、全部運のせいにするつもりはありませんが……」
「じゃが、途中の報告を聞いた感じ、不可抗力が多かったのは事実のようじゃの」
「ええ……本当に、一体何がどうなっているのだか」
「それに悪い事ばかりでもなかったでしょう。そんな若い嫁さんまで連れてきて」
老人のからかいに反応したのは、ぶっと香茶を噴き出したリオンである。
一方白戸は落ち着いたモノだ。
「嫁ではありません」
「まだの」
「そんな話は、全然出ていません。というか、男女の組み合わせを全部、そっち方面に結びつけないで下さい」
「……ふむ」
相馬老人の視線が動き、正面にロックオンされる。
「私と社長は男女の仲ではありません」
間髪入れず、ツバメが釘を刺した。
「それはちと残念じゃのう。しかし先生は、縁結びの御守りは買ったのじゃろう?」
「どちらかといえば、お孫さん達と縁を結ぶための、縁起担ぎだったのですが……」
別に、女性運のためではなかったのだ。
白戸が張ったのは、寺社施設群のある辺りだった。相馬達ならきっと、あの辺りは通ると踏んだのだ。
もっとも……色々あって、今日捕まえることは適わなかったが。
「……代わりに意外な人物が引っ掛かった、と」
「ええ。しかし、保護しない訳にも、いきませんでしたし。社会的にも重要人物ですからね」
「す、すみません。ご迷惑、お掛けしてます」
引っ掛かった人物、すなわちリオンがまたしても、頭を下げる。
「お前に非はないだろう」
「そ、そうかもしれませんけど……」
「改めまして、よろしくですじゃ。相馬トドマル。今、ちぃとばかり世間を騒がせておる傍迷惑な生徒の祖父です」
「そ、園咲リオン。その、学者をやっています……物理学の……」
「で、つい先日まで、青羽教に誘拐されていた」
「は、はい……」
園咲リオン。
昨年のネーブル物理学賞受賞者であり、世間を騒がせていた科学者失踪事件の当事者でもあった。