聖女が数字を霞ませる
「まず、そもそもこの戦の状況からしておかしいであろ。万物が数字に見え、それを操る事が出来るというのならば、戦自体しなくてもよいではないか」
「だから、そりゃ皇妃が戦が好きだからじゃないのか?」
僕の反論に、意外な事に頷いた。
「うむ、まずはそこよ。強い魔術を使えようが、使い手の嗜好というのはどうにもならぬ。つまり、皇妃の性格を調べ上げ、罠に嵌めるという手は有効であろう」
「心理戦か」
何となく地味な気がする。
……というか、そもそもそんなのが通用する状況じゃない。
僕達の話は巨大絵画、マホト川の戦いにある。細かな心理戦が通じる余地はない……というか、敵は川の向こうなのだ。
それは、ケイも承知しているようだった。
「ま、やってもおらぬ事を論じてもしょうがないので、今のは机上の空論じゃの。とにかく戦は起こっておる。ここを起点として、その中で如何にして勝ちを拾うかじゃの」
「盤の上に駒は並べられていて、勝負自体はもう引き返しようがないってトコだよな」
「うむ」
「歴史上では、実際勝ってるんだよな、ザナドゥ聖騎士団側」
オーガストラ軍が寡兵だったという事はまずないだろう。
普通、よほどのアホでない限り、攻め込む側の戦力の方が大きいに決まっている。
「左様じゃ。でまあ、魔女の術があったとしての話で最初に戻るがの、この状況じゃ。川を挟んで相対しておる。おかしいと思わぬか」
「……別の場所で戦えば良いのにって事?」
川、即ち水上だ。
戦いにくい場所ではある。
「近いの。じゃが、そうではないのじゃ。皇妃の数値魔術が真ならば、川の水を奪う事ぐらい容易いであろ。妾なら、敵に船団を進軍させて、半ばまで来た所で水を奪う。大半が川の底に転落死し、残りも上流からの流れで溺死するのじゃ」
「……おっそろしい事考えるなあ」
「しかし、それもせぬ。何故か。……実はしないのではなく、出来ないとすればどうじゃ?」
これには僕もなるほど、と思った。
制約というか、何らかの対価が必要となるチートというのなら、納得がいく。
「その線は、あるな。使用回数とかいわゆる魔力とか」
「うむうむ。魔力というのはいい線よの。使用量に限りがあって、そうした天変地異には負担が掛かる、ならば筋が通るのじゃ。力の行使には、何らかの反動や代償が必要となる。等価交換の法則じゃ。後は社会的地位の問題かの。皇妃が魔女である、などという話は妾達は今、ここにある資料で読んでおるが、当時それを皆が知っていたとは思えぬ。それなら、軍の応援、などという表現にならず彼女自身が戦力だったと資料として残るはずなのじゃ」
「表だって活躍しない、暗躍タイプか。皇妃ってのは皇帝と違って、責任を伴わないな。そういう自分の立場は守る為に、大規模魔術は使わなかった?」
使えなかった、使わなかったと言い換える事も出来る。
「という考え方も成り立つ。そもそも数字が見えるという事は、目を防げばよいのじゃよ。人の形で有る限り、限界はあると思うが如何かの」
「め、目眩ましとか、それも透明にするとかで、通じないんじゃないのか?」
ケイ自身、壁すら透明に出来ると言っていたではないか。
「処理する時間が必要になるのじゃ。世界一の数学の天才であろうと、数字を見て頭の中で処理をする時間は絶対に要るのじゃ。それがコンマ数秒であろうと、その一手間が、致命的な隙になる事もあるのじゃぞ?」
「……でも、このマホト川の戦いでは、目眩ましとかやったのかね」
「ふーむ……」
僕達は部屋を見渡し、戦場の詳細の資料などを探してみる。
そういう記述があるのなら、まあ今の話は通る。
幸い、手掛かりはここには山のようにあるのだ。……問題は僕はそれっぽいモノを見つける事が出来ても、最終的にケイの翻訳に頼る事になるのだが。
「……ああ、なるほどこれじゃの」
先に見つけたのは、ケイだった。
それは、小さなディスプレイに映し出される戦場絵巻(?)だった。
マホト川の戦いは何枚もの絵画のモチーフになったらしく、絵が数秒映し出されてその説明がナレーションで流れる。おそらく、戦の流れに沿って絵は切り替わっているのだろう。最後まで流れると、再び最初に戻るというループ形式のようだ。
要するに、戦いの流れはこのナレーションで理解出来るのだ。うん、もちろん僕にはサッパリなんですけどね!
「本当に、あるの!? 煙幕とか炊いたのか!?」
「違うのじゃ。そういうモノではなく、これはある意味相殺ではないかの」
そう言って、ケイは再び部屋を見回した。
何を探しているのだろう。
キョロキョロしながら、ケイの説明は止まらない。
「そもそも、妾達は歴史を知っておる。これほど強い者ならば、おそらく寿命だって操れたじゃろう。じゃが、オーガストラ神聖帝国は滅んだ。皇妃も皇帝も死に、ガストノーセンに名を変えユフ王が国を治めたのじゃ。すなわち、この皇妃は負ける。負けた理由が存在する」
「……本人にやる気がなくなった時とか?」
「いや」
ケイは再び足を進め、皇妃の絵に戻った。
正確には白い皇妃の絵の隣、彼女とは対照的に黒いローブを羽織り祈りを捧げる乙女の絵画の前だ。
「……つまり、同じレベルの者がいたならば、話は違うという事じゃ。名前は知っておるはずじゃ。救世の娘ユトーバンじゃの」
そりゃあ知っている。
何せ初日には、彼女の教えを守る教会にお世話になったのだ。
「同じレベルって、つまりユトーバンも魔女だって言うのか?」
……ザナドゥ教団の人に聞かれたら、僕達メチャクチャ怒られるんじゃないだろうか。
「逆じゃの。先にこの地に現れたのはユトーバンなのじゃ。皇妃ノインティルの方が後じゃぞ。この2人の女性は、どちらも不思議な力を有していたという。ぶっ飛んだ発想じゃがの、異界から訪れ、異界に帰ったというユトーバン。これとノインティルが同じ世界から訪れた……と考えてはどうじゃろう」
「発想が飛びすぎだ!?」
……と、僕はこの時点では突っ込んだのだが、実はこの指摘は的外れじゃなく、真面目に学者さんがその相似性について調べているというのを、後で知る事になるのだった。
ケイもこの部屋の資料からそれを推測したのだが、僕が読めないし時間が掛かりすぎるので省いたのだという。
ただ、それを今、僕がここで知る由はない。
出て来たのは、別の疑問だった。
「いやでも彼女、ユトーバンは、確か当時から数えても五百年ぐらい前に死んだんじゃなかったっけ?」
「うむ、死んでおるがの。じゃが彼女の教えは死ななんだ。受け継いだのがザナドゥ教じゃ」
「奇しくも、皇妃にとっての今回の敵になるな」
「奇しくも、ではなく必然ならばどうかの」
「うん?」
何を言い出すんだ、とこの時僕は思った。
「確かにザナドゥ教団は巨大じゃ。オーガストラ神聖帝国も手を焼いておった。じゃがの、別の見方をする事も出来る。誰か、オーガストラ神聖帝国の個人的な誰かにとって、この教団の存在が不都合だとすれば、どうじゃ? 例えば、ザナドゥの祖である聖女と皇妃の力も実は同質だとすれば? そして信仰によって皇妃の数字を見、弄る力が相殺、ボヤけてしまうとすれば?」
もちろんこの場合、その個人的な誰かが誰を指すかは言うまでもない。
「それは……攻める理由としては、充分すぎるな。しかも信者はさらに増えるかもしれない。でもそれでもまだ、オーガストラ軍には最強の戦力があるだろ。後ろに皇妃の加護を得ている、連戦連勝の軍だ。例の数値操作があろうがなかろうが、それでもこの軍は強いぞ」
「そうじゃのう。そして戦は始まったのじゃが……」
ケイは、ユトーバンの絵画のさらに隣に移動した。
今まで気づかなかったのだが、どうやら三枚の絵が揃って一つの作品らしかった。
絵には、モッズコートに似たカーキ色のローブを羽織った青年が描かれていた。頭からフードを被っており、表情は見えない。手には長い棍を持っている。
「こちらの伝承によれば、ここで魔法使いじゃ」