イフの寺社施設群
並木道を抜けて低い石段を登るとそこはもう、別世界だった。
開けた大通りは、車は立ち入り禁止地区になっているらしく、車輪のついているのは乳母車か自転車といった程度だ。
正面には、小さな池かと思うようなどでかい噴水。その背後に、超高層ビルとまではいかないまでも相当に高い塔が建っている。
左右にも古めかしい石造りの寺院や神殿が並んでいる……けどこれって、宗教的にはどういう扱いになっているんだろうと、ちょっと気になった。
そんな僕を余所に、ケイは先に進む。その視線を追うと、噴水の周囲には屋台が並び……。
「見よ、ススム! 鳩の餌を売っておるぞ!」
「って学習能力ないのかお前は!?」
そう、ベンチに座る年寄りや、家族連れの子供が小さな袋から餌をバラ撒いているのだ。
「冗談じゃ。さすがに同じ轍は踏まぬ」
「……よかった。一応理性は残ってたんだな」
さすがに着替えももう、残っていない。
ただでさえ、新しく替えた白いポンチョコートは汚れが目立ちやすそうなのだ。自重してもらいたい。
「妾はいつでも理性を保っておる」
「戯言はさておいて」
「置いておかれたのじゃ!?」
「ん?」
サイレンと共に、車の排気音が聞こえてきた。
どうやら自動車禁止区域でも、例外は存在するらしく、その一つが救急車だった。白地に赤と青のラインが入ったバンが停止し、後部が開いたかと思うと救急隊員が飛び出してきた。
「見よ、救急車じゃ! きっと、妾と同じような被害者が出ておるのじゃ!!」
「……いやぁ、あの事故はかなりレアだと思うよ。大体、ここまでスークは入ってきてないし」
「奴らは乱暴狼藉を働く故、きっと不法侵入ぐらいも軽くこなすのじゃ」
「うん、迷い込むぐらいは、普通にありそうだな。あと、救急車で騒ぐなよ。怪我だか病気だか分からないけど、運ばれる人に悪い」
野次馬が多くて、結局何が起こっているのかは分からない。
かと言って、わざわざ首を突っ込みに行くのも、何だかみっともない。
そんな事を考えていると、救急車はあっという間に搬入を終え、再びサイレンを鳴らして去って行った。
「妾も先の戦いで、精神的外傷なら負ったのじゃ」
「アレを戦いと呼ぶのなら、君の惨敗だろ。ま、帰りは公園の外をグルッと回る事になりそうかな、これは。それにしても……」
野次馬達が散っていき、元の風景に戻っていく。
そして改めて、僕は思った。
「……結構な人の入りだよなぁ。さすが観光地」
多分、地元の人間も多いんだろうけど、明らかに異国の人や亜人も三割ぐらいはいる。カメラで建物を背景に記念撮影をしたり、噴水にコインを投げ入れたりしていた。
「遺跡の時とは、えらい差だなぁ」
「まったくじゃ」
あっちもそこそこに人はいたけど、すごく静かだった。
それに比べてこっちはいかにも賑やかだ。
……と、いつまでも突っ立って眺めている場合じゃない。
僕はケイに目的の場所を聞こう……として、つい目に付いた別の事を尋ねていた。
「あの、○×印は何か分かるか? あちこちにあるんだけど」
僕は、建物の傍らにある立て看板を指差した。
色んな宗教のシンボルが看板に描かれ、それが○と×で区分けされている。それも目につくあちこちの建物でも、見受けられた。
「異教徒お断りの印のようじゃの」
「思ったよりも排他的なんだな」
……それとも、太照が寛容すぎるのか。
「ま、シンボル持ち込み禁止とかそのようなレベルじゃ。さすがに人の心の中までは確認のしようがあるまいて。そもそも妾達は何教になるのかや」
「……無宗教って訳でもないんだけどなぁ」
「であろう」
うちは一応、精霊信仰になるんだろうけど、そんなの正月ぐらいにしか縁がないし、その数日前にはザナドゥ教のお祝いとかやっちゃう、節操のないお国柄だ。
むしろ、こういう国の方が、世界的には普通なのかもしれない。
「ま、この辺は妾達には関係がない。深く考える必要はあるまいて」
「僕としてはユフ一行絡みの場所に入れれば、いいだけなんだけど」
見た感じ、ここから見ただけでもザナドゥ教の寺院は、いくつかあるようだ。こんなに建ててどうするのかって気もするけど、もしかすると本家とか元祖とかがあるのかもしれない。
とにかく全部回っていては、とてもじゃないけど体力も時間も足りない。
選ぶ必要があるだろう。
「となると……フェアニクス大聖堂と、あとは魔力塔と呼ばれる建物じゃのう。特定の宗教のモノではなく、古い王族の展望台じゃ」
「塔って、あれ?」
僕は、正面、噴水の後ろにある高い塔を指差した。……十五階建てマンションぐらいの高さだろうか。
「じゃの。目と鼻の先じゃ」
「ならまずは、これから登るべきじゃのう」
あっさりと言い、歩みを進めるケイ。
「…………」
ただ、僕は悩んだ。
その様子に、ケイは怪訝そうな顔をしながら振り返ってきた。
「む、どうしたのじゃ。まさか、高い所が苦手とか、そんな弱点がここで明らかになるとかいう展開ではないであろうの」
「いや、そうじゃなくて。というかむしろ僕じゃなくて、問題は君の方だ」
僕は、ケイを指差した。まだ、よく分かっていないらしい。
「むむ? どういう事かや?」
「この古い塔に、エレベーターなんて期待出来ないよな」
「そりゃそうじゃ」
「天辺まで登る体力、君にあるのか? 僕も、大概と言えば大概だけどさ」
「……っ!?」
塔なので、当然登らなければ意味がない。
内部は中央に太い柱が有り、壁との間に螺旋状の階段が渦を巻いていた。
端の辺りがスロープになっていたのは、おそらく荷物を運ぶためのモノだったのだろうが、現在は主に車椅子の人用になっているようだ。……もっとも、荷物だろうが車椅子だろうが、ここを登りきるのは相当に根性が要りそうだったが。
ドーム状になった最上階に登りきると、僕はその場にへたり込んだ。
その背中に、ズッシリと体重が掛かる。ケイである。
「情けを……掛けるんじゃなかった……」
それでも、背負ってここまで来たのだ。多分、五階分ぐらい。すごく立派だと思う。
「口を開くでない……余計に疲れる……のじゃ……」
「売店とか……屋上じゃ、期待……出来ないよねぇ……」
ミネラルウォーターぐらい買っておけばよかったと、後悔する僕であった。
支えられた柱の向こうには手すりがあり、どうやらそこから町並みを一望出来るらしい。元気な観光客達は、そこから下界を見下ろしている。
「ちなみに……まだ、鐘楼もあるみたいだけど……どうする……」
最上階とは言ったが、外側から階段を登って鐘を鳴らす部屋までいく事も出来る造りなのだ。
「行く……が、少し、休んで、からなのじゃ……」
「まったく同……意見だね……」
この塔の設計は、あの深緑隠者ディーン・クロニクルであり、展望台としての役割以外に魔力を集める働きもしていたという。
……もっとも、そんな解説、へばりきっている僕の耳には入らず、そもそもケイが教えてくれたのも、この塔を下りてからの事だった。