魔導学院研究施設
副神殿に入ると、急にケイが鼻を嗅いだ。
「わずかに薬品の臭いが残っておるの」
「マジか」
「マジで!?」
僕どころかジョン・タイターも驚いていた。
「うむ。悠久の時を経てなお消えぬとは、相当に染み込んでおるのじゃのぅ……」
「犬かお前は……」
呆れるのは、もう何度目になるだろうか。
「麻薬捜査犬とかになれるかの」
「なりたいの、それ? そういう職業に就きたいの?」
「選択肢が多いに越したことはないではないか」
すると、ジョン・タイターは黒髪をボリボリと掻いた。
「あー……それじゃま、案内しようか。順路はあるけど、例によって全部詳しく説明してたら日が暮れちまう。重要ポイントとして、どれがいい?」
「無論、ニワ・カイチ関連」
ケイは即答、僕も異論はなかった。
「……となると、ディーンの研究室かな。あと副保健室」
「副保健室とは何じゃ? 普通のとは違うのかや」
「保健室は本殿の方にあって、それは病気や怪我した生徒のためのモノだ。こっちにある副保健室は、主に身体や魔力の測定用」
「ああ、データの蓄積に用いる部屋なのじゃな」
「そういう事だ」
頭の回転が速い奴がいると楽だなあ、と思う僕だった。
そして案内されたのは、白い石で構成された部屋だった。
石で作られた机やベッドなどが残されている。
ジョン・タイターは部屋の一面の手前にある、三つの石碑を指差した。
そのすぐ後ろ、壁には額縁が飾られている。
「で、ここにはニワ・カイチの師である深緑隠者ディーン・クロニクル、玄牛魔神ハイドラやニワ・カイチのデータが展示されている。最後の測定の時のモノだな」
「……よ、読めない」
額縁に入っているのは、古い紙だった。
横書きの文面は、現代の蒸語ですらなかった。
箇条書きで少し間を置いて記されているのは、おそらく数字なんだろうけど、それも分からない。
「展示されてるってだけで、現代人が読めるとは言ってねえもんなぁ」
ジョン・タイターが笑う横で、ふむふむと頷いているのはケイである。
「まあ、数字の書き込み具合で大体分かるぞ。言語学的に、数字というのは大体桁が大きいほど、形が複雑になるモノじゃ」
ピシッと、ジョン・タイターの笑顔が固まった。
「ほほう、これは大したモノじゃのう。ハイドラとやら、ニワ・カイチの数倍は魔力が上じゃ」
ジョン・タイターは引きつった表情を、僕に向けてきた。
「……何気にスゴクね、アイツ?」
「今更ですか、それ」
一方、ケイの呟きは続いていた。
「それでもニワ・カイチが基本数値では平均を保っている点も、興味深いの。なまじ劣っていないだけに、追い出しも出来なかったという訳じゃ」
その指摘に、ジョン・タイターも同意する。
「うん、そうなんだよな。例がゼロという訳じゃないけど、魔力の数値ってのは人間の身長や体重と同じで、上がることはあっても下がることはほとんどない。そして、一旦魔導学院には入れる数値を得れば、基本数値面で落とされることはない」
「成績は別、と」
「まーな。それじゃディーンの研究室に行ってみるか」
三つの石碑に手を合わせ、僕達は次の部屋に移動することにした。
案内された深緑隠者ディーン・クロニクルの研究室に、僕とケイは絶句した。
「すんごい植物まみれ……」
「……何が何やら分からぬの」
部屋は茶色い根と緑の蔦に包まれていた。植物園かここは。しかし、見るべき植物も特になさそうだけれど。
部屋全体がそんななので、多分大抵の人はすぐに通り過ぎてしまうと思う。だって面白くないんだもの。
「ま、資料的な価値としては、この異常生長した植物なんだが、それに関しちゃ植物学の分野だし、何百年も前から進められている。他の、歴史的な価値は古いって以外、正直ないな」
だろうなあ、と僕も思う。
「残された、研究資料なども残っては……おらぬわなあ」
特に期待してもいなかったのか、ケイの嘆息も短い。
「立場的には、魔導学院からオーガストラ神聖帝国に寝返った人間だからな。その辺はそつなくやったって事だろう」
そう言うと、ジョン・タイターはそのまま廊下を進み始めた。
「あれ、どこ行くんです?」
いや、進む事は進むんだけど、何やら目的地がある確信に満ちた歩みっぽい。
「ニワ・カイチと言えばもう一つあってな」
そこはさっきのディーン・クロニクルの部屋とは打って変わって、整理された部屋だった。
壁の一面には本棚があり、巻物が積まれている。
また、別の壁には様々な道具類が吊られていた。
中央には複数人が使うための長いテーブル。
別の一角には炉が設置されている。
まるで、秘密基地だ。
そして余裕のあるスペースに、真新しいテーブルとガラスのケース、現代の蒸語で説明があった。
「展示室?」
「――に改造した、元技術開発部だな」
僕の言葉を、ジョン・タイターが修正した。
「道具類の製作工房。ああ、なるほどそういう事かや」
何だか一人でケイは納得していた。
「え、何どういう事」
「ニワ・カイチは魔力は、ここでの人並みにあったのじゃ。ただ、使う術がなかった。故にそれを補助するための道具を用意したのじゃな」
僕も考えてみて、納得した。
それなら魔術師でなくても、魔術が使える。つまりマジックアイテムで自分の力を補助していたという事か。
「そういう事。魔導学院の目的は基本学問であり、知識の習得だ。後年、オーガストラ神聖帝国との戦いのため、その力は戦闘用のモノが主だったが、それにしたって道具類の技術開発とは畑が違う。そういう意味では最初、異分野同士の交流という事になったんだが、これが予想外の好感触だった。ニワ・カイチには異界の知識があったからな。それも、技術分野では、当時のこの世界のそれを大きく凌駕していた」
「ああ、異世界ファンタジーの世界に携帯電話やテレビを持ち込むようなモノか」
「どっちも、電話局や放送局が必要じゃのう……」
ケイの指摘に、普通に凹む僕だった。何でこう、たとえて気にもっと役に立つモノを挙げられないんだ。
「ま、オーディオ端末や腕時計だけでも、説明すればその時代の人間には驚天動地じゃろうのう」
呟き、ケイは展示品を眺めていく。
しばらくして、その足が止まった。
「…………」
その様子がおかしい。
ヒクッと口元が、引きつっている。
「どうした?」
僕はケイに追いつき、聞いてみた。
「いや。この展示品が……その……ジョン・タイターや?」
「うん?」
ジョン・タイターは、何だかニヤニヤしていた。
「説明によると、ニワ・カイチとの共同開発とあるが、本当かの?」
「書いてある通りじゃないのか?」
「む、う……」
そして、僕もそれらを見た。
ケイが翻訳してくれたが、説明を読むまでもなかった。
僕は、いや、僕達太照人はこれを知っている……!!
「これは……」
地を揺るがすという札。
銀の弾丸を放つ原始的な銃。
同じく聖水を放つ銃。こちらは空気圧式で、銀の弾を放つそれよりもいくらか簡易的な物だ。
不特定形の使い魔。いわゆるスライム。
指でつまめるほど超小型の水晶球。
地面に叩き付けることで様々な獣の声を出す炸裂式の玉の数々。
憑依に用いるという、鬼や古代神オモティノスの仮面……。
「駄菓子屋さん?」
僕の問いに、ジョン・タイターは肩を竦めた。
「実家が、そうだったのかもな」
「……これは、当時どころか現代のガストノーセンの人間でも、ちと理解出来ん代物じゃのう。太照の人間ならば一発じゃが」