召喚の環状列石群
石室からさらに自転車を進めると、やがて幾つもの柱で支えられた大きな建物に近付きつつあった。
あれが、魔導学院なのだろう。
「で、ここが召喚用の祭壇」
ジョン・タイターに次に案内されたのは、魔導学院の手前にあった列石環状群だった。
石で作られた大きく平たい円形の祭壇を中心に、大きさも太さもまちまちな円柱がそそり立っている。
「ほほう、ここがニワ・カイチが召喚された舞台という事か」
「少年誌のバトル漫画の舞台になりそうな場所だなぁ」
実際、格闘技の試合が出来そうなレベルの広さだ。
ケイが興味深げに歩き回っているケイを眺めながら、ジョン・タイターも笑った。
「そりゃ言い得て妙だな」
「千五百年も前に造られたというのに、頑丈じゃのう」
ケイが、足下の石畳を軽く踏む。
「というか、立ち入り禁止にさせない辺り、懐大きいよなあ」
時間はまだ十時を過ぎたところで、他に観光客は見当たらない。
……普通に入って、大丈夫だったんだろうか。いやでも、ジョン・タイターは何も言わなかったし、特に柵もなかったから問題はないんだろう。ないと思いたい。
ケイはなおも祭壇を調べ回っている。……あれか、インスピレーションという奴を求めているのか。
「ふむ、あれが燭台用の石柱……ここに文字を描いていくのかや。さすがに線は残っておらぬの」
「その、召喚の儀式のために、わざわざこの環状列石群……環境を整えたんですかね」
僕が周りの石柱を眺め回しながら問うと、ジョン・タイターは首を振った。違うのか?
「いや、魔導学院は魔術師の養成機関だった。使い魔や魔神との契約に使っていたんだ。そして、ディーンは王家からの要請で、異界からの召喚を試みたって話らしい」
なるほど、元々あった環境を利用したのか。
「やれば、出来るもんなんですねえ」
「もちろん、さっきの石室の魔力も大量に使ったんだろうな。ま、とにかく召喚は成功した。もっとも、呼び出されたのは多少魔力がある程度の、ごく普通の人間だった訳だが」
それが、ニワ・カイチ。
「異界には、強い魔力の人間がいなかったって事ですか」
「ニワ・カイチの回想録には呼び出される直前の場所で、最も魔力の強かった人間が自分だったのではないかって推測が書き記されている。今の問いはある意味正しいけど、呼び出す座標次第では他のもっと魔力のある人間が呼び出されたかもしれないって事になるな」
そこで、ジョン・タイターは一旦言葉を句切った。
「ま、呼び出された本人には何の慰めにもなりゃしない推論だが」
そりゃ、そうだ。
僕も心の中で同意していると、ケイは違う方面に興味を持ったようだった。
「言葉とか、大変じゃったろうのう」
「そりゃ今でも僕、苦労してるしね」
言われてみれば、その辺どうしたのだろう。
ジョン・タイターの方を見ると、まるで見計らったように教えてくれた。
「召喚の方陣にはその辺も組み込まれていたという話だぞ。基本的な文化、言語、風土の知識等、プリインストール済みみたいな代物だった……らしい」
「何それ欲しい」
そのシステム、何で現代にないの、と本気で思う僕である。
「興味深いのう」
「というかディーンは、単純に相手に一から仕込むよりは、先に脳に叩き込んどいた方が楽って考えたんだろうな。合理的とも言う。とにかくこれが、ニワ・カイチ受難の始まりだったという訳だ」
そんな、そっちの方が楽だからってだけで、簡単に頭に言語を叩き込めるとか、魔導学院ってのはどれだけ優秀だったんだよと思う。
「ニワ・カイチは帰りも、ここを使ったのかや」
帰り……ああ、異界から召喚されたんだから、当然帰りもある訳だ。
普通に考えれば、呼び出された場所を使うのが妥当だろう。
「不明だ。記録に残っていない。公式には旅に出たとあるが、具体的にどういう手段で、どこに向かったかも分からない」
「ふむ、未来に向かったとかもありえるかや」
「時間は基本的に過去から現在、現在から未来に流れてるんだぜ? 九割九分九厘の人間は未来に向かって旅をしていると言えるんじゃないかね」
「……それは、道理じゃの」
ジョン・タイターとケイの間に、妙な空気が生じる。
色っぽさとは無縁なそれは何というか、ぐにゃあと空間が捻れるような雰囲気だった。あれだ、格闘漫画の戦う直前みたいな歪みである。
ジョン・タイターもケイも、腹に一物あるような笑みを浮かべている。
「だからなんで、そんな探りの入れ合いみたいな会話になってるのさ……」
が、それも長くは持たなかった。
くぅ、とケイのお腹が鳴ったのだ。
「む、お腹が空いたのじゃ……」
「ってまだ、昼飯には早いぞ」
食べても良いけど、そうなると今度は晩飯のタイミングがややこしいことになる。
「多分、運動したからじゃな」
「いやだから、ほとんど自転車漕いでたのは僕だよね?」
「漕ぐだけならば、妾もしておった」
タンデムタイプの自転車なので、そりゃ一応ケイも足を動かしたことは動かした。それは間違いない。けど、やっぱり主に動かしてたのは僕だと思う。
が、それを言っていてもしょうがない。
ケイの腹が鳴ったのは、事実だ。
「……オーケー。昼食は別として、何か軽いモノを買うのはよしとしよう」
僕は、環状列石群のすぐ近くにそびえ立つ、魔導学院を見上げた。
「ジョン・タイターさん、中に売店、あるって話ですよね?」
「まあ、定休日とかじゃなければ、開いてるだろ」
「……その可能性は考慮してなかった」
有り得ない話ではない。
「あ、開いていることを、祈るのじゃ」
魔導学院は、正面に柵のように太い柱が並び、さらにその奥にも柱が建っている。
その奥がようやく、建物の入り口という構造だ。
石造りだけあって、中はひんやりとしている。
そして幸いなことに、売店は開いていた。安っぽいプレハブ造りの売店なのは意外だったけど、多分建物を傷つけないように配慮した結果なのだろう。
後ろには冷蔵庫や簡易キッチン、ドリンクバーなどがあり、僕達客との間はディスプレイタイプの冷蔵庫が隔てていた。
一応、木製のテーブルと椅子も用意されている。
そして、ケイの目は真剣だった。
その視線は、冷蔵庫に貼られている張り紙に釘付けだった。
「ススムよ」
「駄目」
「鍋じゃぞ?」
そう、信じがたいことに、鍋である。
何て書いてあるか知らないけど、イラストは間違えようがない太照ではどの家庭でもやった事があるだろうお馴染み、寄せ鍋だのもつ鍋だのの、あの鍋である。
「だから駄目だっつってんだろが。ついさっき、軽いモノって言ったばかりだろ」
鍋は、絶対軽くない。物理的にも。
「しかし、鍋じゃぞ!? しかも味噌鍋とか、ここは本当にガストノーセンかと思うようなモノが、目の前に存在しておるのじゃ。この香ばしい匂いにお主は食欲を刺激されぬのか!?」
言われてみれば、この食欲をやたらそそる匂いは味噌で間違いなかった。
どういう事なのかは、ジョン・タイターが教えてくれた。
「うん、グレイツロープではドルトンボルが食を広めたが、ここ魔導学院ではいくつかの調味料が生まれたんだ。というか、異界の知識で作ったのが、ニワ・カイチだったんだけどな。特に発酵させた調味料ってのは、それまでガストノーセンにはほとんどなかった」
が、ここで鍋はちょっと困る。
普通にこれでは昼飯である。まだ午前の十時過ぎなのに。
「ま、猪鍋は夜に街ででも食べればいいんじゃないかね。ひとまず軽いモノってのなら、干し柿がオススメだ。あとは柿の葉寿司」
寿司の具は、近くの川や山で採れるらしい。
……それにしてもまさか、ここに来て米の飯を食えるとは思わなかった、僕とケイであった。