青い羽根にまつわる収録されなかった短文(3)
切り分けられた果実を囓った瞬間、風が吹いた。
懐がわずかに熱を持ち、ジャンパーをめくると内ポケットから微かな青い光が漏れていた。
「どうした?」
そんな僕の様子に、アヌビスが怪訝な顔をした。
「いや、その……」
どう説明したものか困っていると、風が強くなりやがて景色が滲んできた。
どこか色が淡いのは、前の幻視と変わらない。
周囲には、ケイやアヌビスらも見当たらない……が、単に見えないだけで、近くにはいるんだろう……と思う。
それよりも、気になったのは目の前の風景だ。
木々があるという点ではほとんどさっきと変わってないが、微妙に風景が違うのは多分、生え方が違うのだろう。どこがどう、と言われると困るんだけど。
そして最も大きな差異は、あの大樹がない。
その位置には、一組の男女がいた。
腹を少し大きくした犬耳の少女と、青いフードを目深に被り棍を持った、おそらくは男の魔術師、それも少年だ。
犬耳、いや狼耳の少女はアヌビスにとてもよく似ていた。
「何でそんな目深にフードを被っている、加一。それでは、お前の素敵な顔が見れないではないか」
「素敵かどうかはさておいてだ」
「素敵だぞ?」
「そこは流せよケーナ!? 大人の事情っつーか用心っつーか……ほら、何だ。視線を感じたりとかしないか?」
「ああ、鳥達が私達の仲に嫉妬しているのだな」
「そろそろ本気で帰りたくなってきたが、そういう訳にもいかねえんだな。本っ気で面倒臭いんだが」
加一と呼ばれた少年……いや、もうニワ・カイチでいいだろう。そしてケーナというのはつまり、二代目狼頭将軍、ケーナ・クルーガーだろう。
加一は、唸っていた。何というかこの女性に振り回されてる感、とても他人のような気がしない。
「それで話というのは何だ。愛の告白か?」
「お前から胸焼けするほどされてるよ!?」
「私は一回しかされていないぞ。不満だ」
ぷぅ、とケーナが頬を膨らませる。
こうしていると、とても強そうには見えない。年相応な……いや、年相応ならちょっと妊娠するには早すぎる気がするけど。
「本来、そういうのは二度も三度もするもんじゃないんだよ!! ……ええと、あれだ。種に関しての話をしておく」
「種ならもうもらったぞ」
ポン、とケーナは自分の腹を軽く叩いた。
「そういう話じゃなくてだな……いや、関係あるからややこしいんだ……」
「さっきから何を呻いているのだ? 風邪か? 看病するぞ? 一ヶ月ぐらいつきっきりで」
「どれだけ悪化するんだよ俺の風邪! ってそうじゃなくて、これだ」
言って、加一は懐から革袋を取り出した。
その口を開き、小さな種を手に落とす。
「食えと」
「食うな! ここに植えるんだよ! ほら、城にあっただろ。改造工房。あそこで作った種だ。お前にも協力してもらっただろ?」
地面を指差しながら、加一は怒鳴った。
……何というか、うん、大変そうだ。
「ああ、あの血だの髪の毛だのを採取されたアレか」
「そうだ。いずれ、この種はここで大きな木になる。その種には、お前の力の鍵が宿っている」
「鍵?」
「単体では役に立たねーんだ。鍵はそれを開ける扉や錠があって初めて成立する」
「では、その扉はどこにあるのだ?」
「お前の中だ」
ピッと、加一がケーナを指差した。
「中」
ケーナは腹を見た。
「胎の子じゃなくてだな! いや、一応あってるんだが、より正確には遺伝子に組み込んだというか……遺伝子って分からないよなあ?」
ガシガシと髪を掻きむしり、加一が唸る。
「加一は時々難しい事を言う。分からないから説明しろ」
……そりゃ、千五百年前の人間に、遺伝子なんて言っても分からないだろう。
というかそもそも、この人、本当にこの時代の人間か? 実はタイムスリップしてきたとか、そんなんじゃないのか?
しばらく加一は悩んでいたが、やがて頭の中でまとまったらしい。
「んー、まあ、親から子、子から孫に引き継がれる力みたいなもんだ。お前は親父であるハドゥンに似てる部分があっただろ?」
「そうだな。目元とかよく言われていた」
「そして、お前の胎の中の子は、お前と俺の特徴を引き継いでいる。その『力』が遺伝子だ」
「なるほど」
大変大ざっぱな説明だが、ケーナは理解したらしい。
「その引き継がれる『力』に、宝箱みたいなモノを潜ませてある。宝箱の中には、お前のこれまでの戦闘経験やら埋め込まれた能力――加速装置やら飛行能力やら――が入っていると考えていい」
「私が、父から継承したような形か?」
「まあ、そんなもんだ。これはずっと開かないまま、遺伝子と共に子々孫々引き継がれていく。記憶は考えたが、今の時点で入れてしまうと、これから先のお前の人生は継承出来ない。だから……お前が死んだ時は、必ずあそこに入れ」
加一が指差したのは、森の向こうに見える……墓だった。
「一族の墓か。元からそのつもりだぞ?」
「絶対だ。でないと色々困る。あっちでまだ生きてるチルミー守ってる青羽教が厄介そうでなぁ、俺とレパートだけじゃ手が回らないだろうし、何より俺が元の世界に帰る時、置き去りにされたくないっつっただろ?」
「その通りだ」
この話が本当なら、ニワ・カイチは異世界の人間と言う事になる。
……元の時間、と言わない辺り、時間を移動している訳じゃないのか。
この辺は後で、ケイに聞いてみよう。
そして、その世界に帰る時、ケーナは一緒に行くと約束している。ただ、それが何故か、この時代では無理だという事なのだろう。
ええい、本当に訳が分からない。何で今じゃ駄目なんだよ。
「ユフに関しちゃ一時期宝玉を俺が預かり、墓ん中で仮死状態にするって簡単な手で何とかなったんだが、お前の場合こういう回りくどい方法になっちまった」
ユフ王の墓。
何だか、気になるフレーズが出て来た。
確か、詣でようとしたら、警察に止められたんだっけ。
え、ちょっと待って。
墓の中で永眠していた王様が甦ったら、墓が中から荒らされて大騒ぎになるんじゃないか? 例えば警察が来るような。
「そうすれば、私は今の記憶や力を継承したまま、いずれ未来でお前と会えるのだな?」
「まあ、そういう事だ。一種の転生術だな。正確には、お前だけじゃないんだが」
「ん?」
「いずれ、覚醒めた時に分かる」
「よく分からんが、承った。必ず、お前の言葉を守ろう。これから続くお前のいない人生も耐えてみせる」
「ん。それじゃいずれ来世でな」
「うむ。だが、出発は明日にしてもらおうか」
こちらに向かってくる加一を、ケーナの手が引き留めた。
「あ? 何で」
「今生の別れだぞ。私とてそれは惜しみたい」
「……まあ、そりゃ分かるが」
何だろう、妙に加一の力が入っているというか、それをケーナが普通に押しとどめているというか、そんな見えない力のやり取りがあるように見える。
「あと医師に聞いた話では、安定期に入ったらしい。ギリギリ間に合ったな」
「何がギリギリなんだよ!?」
やがて景色が再び滲み始めた。
景色が元に戻ると、風も弱まっていた。
そして。
「コントかよ!?」
思わず突っ込んでいた。
周りを見ると、皆不思議そうな顔をしていた……ということはやはり、皆で見ていたと言う事なのだろう、多分。
「……何というかこれまでとは少々毛色が違うというか、それともこれが普通なのか、よく分からんのじゃ」
「い、い、い、今のは一体……?」
ケイはさすがに僕と同じ体験をしているだけに慌てふためかず、一方神父さんはオロオロと狼狽えていた。
「何でしょうね」
……多分、僕の持っている青い羽根が原因なんだろうけど、とぼけておく事にした。
そして、その僕の肩をポンと後ろからアヌビスが叩いた。
「礼を言うぞ、ススム」
直後、彼女の姿が消えた。
次の瞬間、何枚か降ってきていた落ち葉が一気に弾き飛ばされ、大樹の傍にいつの間にかアヌビスが立っていた。
そして、彼女の服はボロボロになっていた。
「うん、なるほど。加一の言っていた通りだな。性能に問題はない。ただ、着替えは必要か」
「え、何。今、何が起こった? 瞬間移動?」
戸惑う僕に、ケイが説明してくれた。
「……加速じゃ。服がボロボロになったのは、空気の摩擦が負担になったのじゃな。しかしあの程度で済んでおるとは、まだ加減しておるという証拠じゃ」
「マジか」
「マジじゃ。今視たモノが真ならば……つまり、そういう事じゃ」
えっと、うん、種から育った大樹の果実をケーナが食べ、その結果、鍵と錠が揃った。
彼女の中に眠っていた宝箱が開き……。
「えー……?」
「妾達、どうやらこの旅を絶対に全うせねばならぬようじゃぞ。想像するに前のセキエンとプリニースの戦い。共にいたペンドラゴンはおそらく……」
「言うな。プレッシャーに押しつぶされるし、荒唐無稽すぎる。誰にも信じてもらえないよ、こんなの」
だとすれば僕らは、すごい人に案内してもらっていたという事になる。
そりゃ、詳しい訳だよ当たり前じゃん。
「うむ。まあ、誰かに頼まれた訳でも無し、妾達は妾達なりの旅を続ければよいであろ」
「さっきと言ってること違うじゃないか」
「中途半端に済ませるのはよくない、と言うておるのじゃ。どうせ最後まで行くつもりであろ?」
「そりゃま、そうだけど」
何か別の意思が働いているみたいだけど、そんなの僕の知ったことじゃないし、巻き込まれるのも迷惑だ。
「ならば、こちらの都合が最優先じゃ」
「でもさ、アヌビスが記憶の継承とかそういうのしちゃったら、両親はすごく困るんじゃないか? ラノベとかだとそういうの大抵無視されてるけど」
「ふむ」
ケイの視線に釣られて、僕もそちらに視線をやった。
アヌビスの両親は、特に動転もしていないようだった。
「事情はよく分からないが、どうやら加一の奴が気を遣ってくれたようだ」
「どなたですか?」
「後で話すよ」
アヌビス父が、奥さんの頭を軽く撫でていた。
もしかして、ニワ・カイチは初代狼頭将軍とその奥さんの記憶を……?
「……問題ないようじゃな」
「……そ、そう来たか」
絶対これ、掲載出来ないよなあ……。
あまりに非現実的なので、旅の最中もなるべく忘れるようにしてるんだけど。
あくまで本の方は純粋な紀行文だが、こういう事があった以上、心情的に実は相当複雑な気分になった部分もかなりあるのだ。
例えばこれまでのニュースだと、棍を使った襲撃者による青羽教の幹部逮捕の一件とか、この時思い出していた。
そして、六禍選の一人チルミーはまだ、生きているのか、とか。
……なお三度目の羽根の力が発揮されるのは三日目、イフの遺跡トモロカでの事になる。
週末ですし、キリの良い所までちょっと頑張ってみました。