列車にて
目覚まし時計のスイッチを切る。
時計は午前の五時十三分。
……どうやら、鳴る数分前に、目が覚めたようだ。
カーテンを開くが、外はまだ暗いままだった。
着替え、部屋を出て、共同の洗面台で顔を洗う。うん、途中で新しい下着は買っておいた方がいいな。今はまだ耐えられるけど。
そして、ケイが起きてくる様子はない。
部屋をノックし、返事を待つ……が、うん、これは寝てるな。
しょうがないので扉を開き、ベッドに近付いた。膨らんでいるシーツが規則正しく上下を繰り返している。
「起きろー」
シーツを剥ぎ取る。
「むにゃ……もう食べられないのじゃ……」
「何てベタな夢を見てるんだ……」
何とか起こして、旅の準備を整えさせた。
いやもちろん、着替えなんかは自分でやらせたのは言う迄も無い。
ベッドのシーツも整えたし、飛ぶ鳥跡を濁さずという言葉は守れたと思う。
朝靄が漂う中、僕達は神父に頭を下げた。
「お世話になりました」
「なりましたのじゃ……」
まだ寝ぼけているのか、ケイのテンションはおそろしく低かった。
が、それでも通訳を果たしてくれたのは、立派だと思う。
「いえいえ。よい旅をお祈りしていますよ」
そう笑ってくれた神父に見送られ、僕達は駅に向かった。
教会から駅までは近い。歩いて五分もかからない。
……考えてみれば、すごくいい立地条件だったんだよな、教会。
ただ、商店街なんかは見当たらなかったから、生活の場としてはどうなんだろうなーと思わないでもない。まあ、余計なお世話なんだろうけど。
ブックメーカーセンターの前を通りながら、横を歩くケイを見た。
「……まだ眠たそうだな」
「ZZZ……」
コックリコックリと船を漕いでいた。
「歩きながら寝てるだと……!?」
「はっ!?」
と声を上げて、ケイが覚醒したのはそれから三十分後の事だった。
「ど、どこじゃここは!?」
慌てて、車内を見回す。
既に僕達は、鈍行列車に乗っていた。
二人掛け用の座席が向かい合わせになっている。
外はうっすらと朝日で明るい田舎の風景が流れていた。
空気は冷たくも、車内の暖房のお陰か心地いい。寒くなってきたら閉めよう。
車内には、僕達以外にはまだ、乗客はいなかった。
「おはよう。電車の中だよ。はい、駅弁」
僕はヒルマウント駅で買った、手作りサンドウィッチとジュースを渡した。
「ぬ、寝起きで飯は……」
その途端、ぐぅ、とケイのお腹は正直な音を鳴らした。
「……むむむ?」
「寝起きっていうか、結構な時間が経ってるけどな。食べないんなら僕がもらうぞ」
サンドウィッチは二つあり、一つはローストビーフを挟んだ白パン、もう一つはポテトサラダを挟んだ黒パンだ。それがロール型に巻かれケースに収まっている。
ジュースはリンゴ味。ちなみに僕はホットの缶コーヒーである。
「た、食べるのじゃ! 妾の分なのじゃ!」
ケイは、自分の分のサンドウィッチを死守する。
まあ実際、取るつもりはないんだけどさ。
「本当なら快速で、もっとゆっくり起きられるんだけどなあ……」
正直、僕も少々眠かった。自然、アクビが出てしまう。
「金銭面の不自由は仕方なかろ……むにゅ、まだねむい」
「あ、まあ別にまだ寝ててもいいんだけどね。ネオン・グレイツロープまでまだ相当時間あるし」
数十分といっても、貴重な睡眠時間だ。どちらかが起きていれば、寝過ごす事はないだろう。
「うむ、眠くなったら寝るのじゃ」
「ネオン・グレイツロープに着いたら次はグレイツロープに乗り換え、さらにそこから円環線でフォレストスライン? ああもう、ややこしいなあ」
一応、グレイツロープ駅でルートはメモっておいたが、蒸語だったし、何度も確かめる羽目になったのは誤算だった。
頼りの翻訳係は、その時、僕の背中で眠っていたし。
「そうかの? こう書けばシンプルであろ」
僕の手帳を覗き込んだケイは、サラサラサラと手帳に書き込んだ。
ヒルマウント→ネオン・グレイツロープ→グレイツロープ→フォレストスライン
「……確かに、その通りだ」
いや、間に何々線、とかいうのがあって、それがゴチャゴチャしてた原因なんだけど。
その辺は、ケイを頼りにさせてもらおう。
「まずは、巨大要塞グレイツロープ城じゃの」
「うん。そしてユフ・フィッツロンが最初に仲間にする人物、狼頭将軍クルーガーの故郷でもある」
知っている範囲で、整理する。
故郷を発ったユフ・フィッツロンは宝玉の導きで、僕達の目指しているグレイツロープに向かった。
狼頭将軍というのはそのままの意味で、頭が狼の頭をしていたという。
獣人達とは違うというか……人間でいえば、頭が猿みたいなもんだ。
元々は、その地域――つまりグレイツロープ――を治める王に仕えていた将軍だったが、オーガストラ帝国の侵攻によって虜囚の身となり、魔法使いによって獣面人身の怪物に仕立て上げられた。
その戦闘力は凄まじく、また神速の動きは他の追随を許さなかったという。
そのまま本来なら、洗脳されてオーガストラに仕えるはずだったが、実験室から脱走し、放浪の身となった。
何だか、まんま仮面ナイターの世界観だなあという感想である。
確か、抵抗軍と連携を取っていたんだったか。
グレイツロープ城の近くにあった森に潜み、虎視眈々と牙と爪を研いでいたが、ユフ・フィッツロンに敗れ仕えるようになり、国を滅ぼした当時の支配者を討ち倒した。
「……んー」
つまり、要約するとすごく速い狼頭の将軍だ。
我ながら頭の悪い整理を終えると、いつの間にかネオン・グレイツロープ駅が近付きつつあった。
予定通り、ネオン・グレイツロープ駅からグレイツロープ駅に乗り継ぎ……そこで、僕達は唖然とした。
「でかっ! ひろっ!」
天井が恐ろしく高い。
屋根の梁まで、何階分あるのだろう。
そして壁には幾つものテナント、どうやら商業スペースと一体化された駅らしい。
視点をやや下げると、空中回廊もあった。
下へ降りる階段もあるという事は、つまり上下から連絡が取れるという事か、この駅。
そして、プラットフォームは一体幾つあるんだ? 六つ? 七つ? いやいやいや、何だこの馬鹿でかい駅。
「おおおおお、人工の迷宮だのうすごいのう」
一方、ケイは駅の見取り図に興奮していた。
立体図になっているそれは、ケイの言う通りまさしく迷宮だった。
……地下鉄との連絡口にもなっているプラムフィルド地下街は、何だか訳の分からない事になっているし、正直にいおう。僕は、地図を見ながら歩いても、これは迷う自信がある。
「って呑気に言ってる場合か! 円環線の場所を探してくれ! 乗り継ぎしなきゃ!」
列車のアナウンスと出発のベルの音で我に返った。
「のう、進む。このプラムフィルド地下大迷宮、歩いてみぬか? 何とまだ改装中で、さらに広がるらしいのじゃ!」
「興味はあるけど却下だ! まずは南だ南! 行くぞ、フォレストスライン!」
僕はごねるケイを抱え、円環線に向かうのだった。