賀集技術の対応
賀集ケイの実家が、彼女の不在に気づいたのは太照時間でその日の夕食時だった。
返事がないのに不信を抱いた家政婦が、実父である賀集セックウに連絡をし、家は大騒ぎになった。
ケイの書き置きには『インスピレーションを得るため、旅に出る』とあったが、どことは残されていなかったのだ。
誘拐の可能性も考慮に入れ、賀集技術の保安部の調査でようやく私塾の修学旅行を利用してガストノーセンに向かったのだと判明したのは明け方になっての事だった。
賀集はその足で空港に向かい、秘書である早乙女ツバメと共にそのままガストノーセン行きの飛行機に乗った。
そして今、賀集はイライラと低い音を立てる個室内を歩き回っていた。それなりに広いとは言え、賀集自体が太照人離れしたスラリとした長身なので、やや手狭に見えてしまう。
「……それにしても、よりにもよってガストノーセンだと……!?」
癖である顎鬚を撫でながら、イライラと髪を掻きむしった。
「お察しいたします」
タブレットを操作して、早乙女ツバメは仕事の調整を行っていた。
髪を短く刈った、パンツスーツの麗人だ。
元々、西方への出張もスケジュールにはあったので、BUINでの研究機材入荷と設置、打ち合わせなどを優先させる事にする。
「知ったような事を言うな。君は当時、俺の秘書ではなかった」
「というと、私の就任以前に何かあったという事ですか」
賀集の非難にも、ツバメは表情一つ変えない。
元々、そこが賀集の買った部分でもある。
「ああ。知っての通り、俺は別に天才でも何でもない」
「存じております」
世間での評価では、賀集技術の代表、賀集セックウは素晴らしい発明家であると言われている。
が、一部の人間はそれが間違いであるという事を知っていた。その少ない人物の一人が、この秘書であるツバメだった。
では、賀集技術の優れた開発力の原動力はどこにあるのかというと……。
「そうだ。ウチの開発の殆どは、ケイの発案や設計にある」
「そもそもお嬢様が、今回警備厳重な実家から誰にも気づかれずに抜け出せたのも、ガラクタから生み出した解錠装置だったと聞いています」
「そうだ。私は道化に過ぎない。あの子が十八歳になった時、全てを公表するつもりでいる。私は世間から非難されるだろうが、知った事か。そして、その原因があの土地だ」
「ガストノーセン」
「そうだ」
「何があったのですか?」
「誘拐事件だ」
「過去三度ありました。記録では全て国内ですが」
ツバメがタブレットを指先で操作する。間違いはない。
そして、賀集が道化を演じている理由が、それだ。
彼女が賀集技術の真の宝だと知られれば、その重要性から危険度は格段に上がる。身代金狙いの営利誘拐だけではなく、下手をすれば他国の工作員が掠う可能性だって充分にあるのだ。
実際、『影』である賀集がその手の危険にあったのも、一度や二度ではない。
「実は四度なんだ。十二年前に仕事で彼の国を訪れていた時に一度。記録には残っていない」
「それは確かに、社長も神経質になるのは当然ですね」
ツバメは、娘を案じる賀集に理解を示してくれたようだ。
「しかもさっきのニュースを見たか」
「見ました。青羽教とかいうカルト教団の幹部が逮捕されたとか」
「娘を誘拐したのは、その青羽教だ」
ピタリ、とタブレットを操作するツバメの指が止る。
そして彼女は顔を上げた。
「タイミングが、出来過ぎな気がしますが」
「事実だ」
「しかし、それなら会社には身代金分の使途不明金が出来ていたのではないですか。社員である私が言うのもなんですが、賀集技術の経理はクリーンです」
「身代金は、払っていないんだ」
「脅迫に屈しなかったと」
「そうじゃない。後で判明した事だが、連中の目的は娘そのモノにあったらしい」
そして、これこそ賀集が『影』を演じようと決意した事件でもあった。
「当時あの子はとあるアニメにはまっていた」
「いきなり、何の話ですか」
「まあ聞け。子供なら、アニメに夢中になるなんて別に珍しい事じゃない」
「もっともです。私に子供はいませんが、子供だった時期はあります」
「そのアニメには、タイムマシンが登場した」
「幾つかのアニメが連想出来ますが、とにかく青羽教の教義に抵触しますね」
ツバメの指が、タブレットを滑る。
おそらくは、青羽教についての情報を読んでいるのだろう。
「娘はタイムマシンを造ると言い出した。他愛のない子供の空想だ、と当時の俺は思った。だからいつものようにクレヨンと画用紙を与えた」
賀集技術発展の礎であり、ケイの頭から沸きだした奔放なイメージは理論と設計図のそれは、彼女が父に見せるための報告書でもあった。
「後で分かったが、誘拐された原因はそれだ」
青羽教の目的は、神のお迎えと、その力の再現だ。誘拐の理由は青羽教の教義と合致する。
フラットな表情のまま、ツバメの顔が再び上がる。
「造っちゃったのですか、タイムマシン」
「いや、分からん。ただ、あの子は設計しただけだ。卵形のタイムマシンと内部の設計、それに俺には理解出来なかったやたら長い数式。隠れ家からはその画用紙だけが消えていた。主犯は、雇っていた家政婦が信者だった」
「ガストノーセンの警察は、相当優秀なようですね」
「警察が捕まえたんじゃない。誰かが先に無人の邸宅に踏み込み、青羽教徒達を倒したんだ。死者は出なかった。警察の話では、おそらく武器は棍か何か棒術だったらしいが。全員誰がやったのか、いまだに不明だ。ちなみにケイは誘拐されたという意識もなく、単に俺の留守でその邸宅に預けられていたという認識だったようだ」
そして、ケイがレポートと称していた画用紙は、消えた。
青羽教徒がどこかへ持っていったのか、正体不明の襲撃者が持っていったのかはいまだに不明のままだ。
「なるほど。しかしよろしいのでしょうか」
「何がだ」
「私が、今の話をすべて公表するという可能性は」
極めて機密性の高い話の内容であったのは確かだ。
ケイの身柄もそうだが、社長のイメージの失墜は、企業そのモノのダメージへと繋がる。そしてそうした情報は大抵、マスコミやライバル企業に売る事で金に換える事が出来る。
また企業内の人間ならば、賀集技術の崩壊を恐れて幹部の誰かに報告すると言う事も考えられる。
が、賀集は首を振った。
「意味がない。重要なのは俺じゃなくて娘の方だ。暴露した時、多少の痛手はあるだろうが、娘がいる限り、賀集技術は安泰だろうよ。ペテン師の俺は責任を取って辞任する気でいるし、その後は全部娘に譲るつもりでいる。気に入らないなら娘も辞めさせればいいが、その時は一番人気であるセックウブランド、実際はケイブランドの作品が失われるわけだから、今ほどの勢いは確実になくなるだろうな。何より君はうちの親戚筋、即ち身内だし、例えば『絶対開けてはいけない箱』のようなモノがあった場合、普通にそれを物置にしまってそのまま一生涯を終えるような性格だと思っている」
「期待に応えようと思います」
慇懃に、ツバメは頭を下げた。
それで話は終わりだった。
賀集も疲労があり、いい加減倒れてしまいそうだ。近くにソファがあるのでそのまま寝てしまいたいが、この旅客機にはしっかりとベッドまである。
明日の事を考えると、そこまで我慢するべきだろう。
「飛行機は、向こうに何時に着く」
「現地時刻で午前十一時頃になるそうです」
「分かった。君も適当に休むといい。明日は休む暇もないぞ」
「かしこまりました。それはそれとして社長」
「……何だ?」
「私塾の教師の話では、もう一人の男子と行動を共にしているのでは、という事ですがそちらの心配はしていないのでしょうか」
「それもあった!! あああああ、あの子の貞操は無事なんだろうな!! もし何かあったら、タダでは済まさんぞその小僧!!」
「就寝には蒸留酒が必要になりそうですね」
ツバメはタブレットのスリープボタンを押すと、酒とグラスの準備の為、酒棚に向かった。
これにて一日目終了となります。
次からは二日目となります。……いや、三日目に飛んだら作者がビックリですがな。
という訳で引き続きよろしくお願いします。