私塾側の対応
白戸がアウトンホテルに戻ると、エントランスホールに残っていた保坂女史が駆け寄ってきた。
手には、またリュックを抱えている……が、相馬のモノではない。タグにはA立の名が記されていた。K原の取り巻きの一人だ。
中身はほとんど空っぽだが、薄い手帳のようなモノが入っていた。
「主任の言ってたのって、この事だったんですか?」
「出て来たか」
白戸はリュックの中にあったそれを取り出した。
「はい。パスポートとビザ、両方リュックの奥に突っ込まれてました」
青いパスポートを開くと、間にビザのチケットが挟まれている。
「もちろん、入っていたのはこれです。相馬君のリュックではありません。A立君のです。……でも、どうして分かったんですか?」
「分かった訳じゃない。モノはパスポートだからな。生徒の中には内ポケットに入れておく奴だって、少なくない。ただまあ、可能性としてはアイツのリュックにあってもおかしくないと思っただけだ」
パスポートは肌身離さず、といった所でリュックに入れておく塾生はいる。
そして、相馬もそんな塾生の一人だったというだけの話だ。
「そして、K原達の言い分と逆だった場合、これはリュックの中にあってはまずいモノだ。いくら相馬が単独で動いたと言っても、常識的に考えてパスポートとビザを手放したりはしないだろう? 絶対持っていく。だったらリュックの中にあったパスポートをどうするか。隠すしかない。しかしホテルの中で隠すような場所なんて限られている」
せめてそれが教室などの、自分達の領域なら、まだやりようはあったかもしれない。
が、ここは外国のホテルだ。妙な場所に隠す事は出来ない。
自然、自分達の手が届く場所、例えば所持品のリュックの奥などになってしまうという訳だ。
「はぁ……すごいですね」
「だから、そんな大層なモノじゃない。連中は何と言っている?」
「預かったリュックに入っていたそうです。で、K原が言うには、そこ、つまり主任の推理を突っ込まれるとややこしい事になりそうだから、皆でつい隠したと」
「苦しい言い訳だな」
「そしてA立君が言うには『知らない。いつの間にか紛れていた』と。印象ですが、嘘をついているようには見えませんでした」
「……連携が取れてないな、まったく」
口裏合わせぐらい、完璧にするべきだ。
……もっとも、それをされては、個別に再事情聴取をさせた意味もないのだが。
「警察の方は、どうでしたか」
「さすがにこの短時間じゃ、成果を出すのは難しいだろう。今日中に相馬を見つけ出すのは正直無理だろうな」
「そんな」
保坂女史が、目に見えて落ち込んだ。
「今更ショックを受けるな。ここは異国だし、すでに夜になっている。治安を考えても、相馬も外を出歩いているとは考えにくい。こんな状況で、相馬を見つけられると思うか?」
「確かに……」
「その代わり、別件でいくつか目撃情報があったようだ」
「別件?」
……さすがに、ブックメーカーに情報を提供したとは、白戸も言い辛かった。保坂女史は、とても真面目だし。
という訳で、言葉を濁した。
「ちょっとな。それで、相馬達の制服だけ見つかったようだ。現物を手には入れていないが、これをどう思う」
白戸はスマートフォンの画像を表示させ、保坂女史に見せた。ブックメーカーセンターに送られた、写真だ。
薄緑のブレザーが二着、老人の座るカウンターの後ろに飾られていた。
「……確かにウチの制服、だと思います」
「とある古物商で売りに出されていたらしい。目立つ色だからな。誰が売ったのかまではまだ不明だ。老人曰く、客の情報はそう易々とは教えられないとか」
「やっぱり、誘拐……!?」
「さて、それはどうだろうな」
「はい?」
白戸としては、誘拐犯ならこんな足がつくような場所で売ったりしないと思うのだ。というか、そもそも売らない。そんな事をする理由がない。
大体、身代金の要求もないし、しかも内の一着の小ささから考えても、相馬と賀集は共に行動していると考えていいだろう。
なら……この制服を売ったのは、本人達であるという線も、考えられる。
「とにかく、塾長に報告だ。こんな所で雑談混じりに話していい内容じゃない」
「そ、そうですね。行きましょう」
エレベーターに乗り込む。
上昇していくのを感じながら、白戸は保坂女史に尋ねた。
「連中の様子はどうだ。K原達だ。印象でいい」
「怯えているようですね。主任の話を聞いたせいかもしれませんけど、ここまで大ごとになるとは思っていなかった……という感じでしょうか。それに主任の言われた通り、三人バラバラに事情を聞いてみた所、幾つか辻褄が合わない点が出て来ました」
「パスポートの件みたいな?」
「はい。他にも、相馬君と別れる際のやり取りが、逃げたとか喧嘩腰だったとか言い分が……」
チン、と短い音がして、目的の階に到着した。
「報告書にまとめておいてくれ」
「分かりました」
塾長の部屋に入った白戸は、警察との連絡を済ませた事を説明した。
それから独断で、ブックメーカーにこの件をリークした事も報告する。もちろん、それ自体は警察の了承も得てはいるが。
「……いや、まずは相馬君の身柄の確保が最優先だ。よくやってくれたね、白戸先生」
スマートフォンの制服の画像を見ながら、塾長は白戸をねぎらった。
「いえ……」
「こちらでも、芳しい情報はない。制服が二着売られていたという事は、相馬君と賀集さんは共に行動していると見ていいのかな」
「その時点では、ですがね。その後で別行動を取った可能性も充分あります……が、本人達の意思だとそれも低いかもしれませんが」
「どうしてそう思うのかね?」
「相馬は蒸語使えませんから。少なくとも、賀集の蒸語成績はトップクラスです」
だからもしも二人で行動していたとして、相馬の方が賀集の蒸語力をアテにするというのは、普通に考えられる。
「ふむ。だが、楽観的な観測だね」
「私もそう思います」
もちろん今の話も白戸の仮説で、その後賀集が突っぱねる事だって有り得るのだ。
「保護者の方はどうですか」
白戸の問いに、塾長は力なく笑った。笑っている場合ではないのだが、やはり相当疲れているのだろう。
「突き上げがきついよ。向こうでは真っ昼間だからね。やっぱり大騒ぎになった」
「でしょうね」
「賀集さんの家庭は父子家庭でね。既にこちらに飛んでいるという事だ。向こうでも、娘の家出に気づいたらしく、その経路を追っていたら、私塾に辿り着いたようだね。だから、失踪とは別件……というよりも、ガストノーセンで彼女が消える事も含めて、独自に動いていたというべきかな」
「ふぅむ……」
その事は、白戸は本人と連絡をとって、事前に知っていた。
そして、誘拐の線はますます低くなった、と白戸は考える。賀集ケイの方は、元々この地を旅するつもりで、行方をくらませたのだ。
それと、相馬ススムが失踪したのは、本来別の事件だ。
どこかで偶然合流した……と考えるべきだろうか。
そんな白戸の考えを余所に、塾長の話は続いていた。
「白戸君の家庭は何というか奇妙だった。……いや、ご両親は来られず、お祖父さんが来られるそうだ」
相馬の父親は警察官らしい。
「まあ、そうそう動き回れる立場ではなさそうですね」
年齢から考えても、階級はそれなり、管理職とも考えられる。
祖父が来る、というのも妥当かもしれない。
「うむ。それに相馬君自身、お祖父さんの家で世話になっているようなので、筋としては間違っていない」
「……両親健在なのに、ですか?」
そこには少々違和感を覚えた。
両親との仲が不仲なのだろうか……。
「うむ。とにかくこういう事になってしまったので、予定通り生徒達は明日の午後の便で帰国、教師の何名かはこちらに残ってもらう事になる。ま、私と君は確実にこちらだな」
「分かりました」