青い羽根にまつわる収録されなかった短文(2) 後編
「私の職業をお忘れでしたか? 世界と世界を隔てる線引き、即ち結界」
チャリ、とセキエン氏は胸元から教会の聖印を出した。
「なるほど、考えたねぇ」
プリニースの巨躯は一瞬消滅しかけたが、だがすぐに全身にノイズのようなモノが掛かり、本来の色を取り戻す。
「どれだけ世界に溶け込もうと、別の世界に渡る時にはその隔たりの前で、その力は一旦無効化されてしまう。そうですね?」
プリニースは消えるのを諦め、大きく拍手した。
「いやあ、驚かされたよ。ホントビックリした。僕の力を見破ったのは、君が初めてだ」
「――だが、この術には欠点がある」
「だが、この術には欠点が……!?」
セキエン氏に台詞を先回りされ、余裕を保っていたプリニースの表情が引きつる。
だが、セキエン氏は得意がる様子もない。
その場にうずくまったまま、地面を叩いた。
「そう、この結界から普通に出ればいいだけ。そんな事は、分かっています」
うん、と彼は小さく頷き、
「だからね」
ボロボロになった腕を、掲げる。
「こっちも、それ自体を無意味にする策を割と最初から用意してまして」
不意に、空が暗くなった。
いや、違う。
その暗さの範囲が広がってきている。
見上げると、空には巨大な人形……ゴーレムだ! それが、大きく両手両足を広げて、落下しつつあった。
「なぁっ!?」
とっさの事に、プリニースも動けない。半分笑ったような大口を開け、呆然としていた。
そして、その隙を突いて、セキエン氏の手がプリニースの足首を掴む。
「逃がしませんよ、プリニース!! 今から走っても、範囲外まで間に合いません!!」
そう、ゴーレムの大きさは広場を覆うほどの大きさだ。
それを気づかせないように、遥か高みで召喚した……はて、どうやって媒介となる人形を、空に放ったのだろう。
そんな事を一瞬考えたが、今思えば鳥や蝙蝠のような空を飛ぶモンスターに運ばせれば、問題はない訳だ。
直後、ゴーレムが大地をプレスし、世界が揺れる……ような錯覚。土煙も通り過ぎるが、目や鼻は痛まない。
傍観者である僕は、ゴーレムがすり抜け怪我一つ無い。
しかし、あの巨体の下敷きになった二人は……。
やがてゴーレムが消滅し、地面には巨大なクレーターが出来ていた。……これが、あのすり鉢状の傾斜の正体か。
残ったのはその中央に、全身切り傷を作って立つ、プリニースだった。
「はぁ……はぁ……危なかった。今のは本気でやばかった……! 何て無茶をするかなぁ君は……」
どういう事か考える。
……多分、結界が張ってある中で、無理矢理あの『不明不在』の力を使ったのだろう。世界と世界の狭間ではその身体を溶かす事が出来ず、その代償があの網の目のような無数の傷という訳だ。
一方、セキエン氏は……。
「失敗、ですか」
何と、生きていた。
地面に出来た少し盛り上がった肉の塊が喋っているような……素人目にも先は長くないように見える。
「……でもまあ、いいです」
「うん?」
「その傷ではあの子……ユフを追えません。その傷の存在だけを薄れさせる事は……出来ないと見ています……」
「あ痛ぁ」
プリニースは、自分の額を叩いた。
余裕があるように見えるが、立っているだけでも精一杯、といった所か。彼は、洞窟のある方角を見た。
「ま、そっちはダービーに何とかしてもらおう。最期にセキエン、君、何か言い残す事はあるかな?」
「いえ、貴方にはありません」
ゴロン、と頭に当たる部分が傾き、僕から少し離れた地点で視線が止まった。
「……最期に、元気な姿が見られて、よかった。今まで……ありがとう……」
そして、セキエン氏の動きは止まった。
血の臭いも戦いの熱もない現実はあまりにも現実味がなく、目の前の死体もどこか、テレビの画面の中のそれを思わせた。
……もっとも、今まで見た中では一番リアルなそれだけど。
「ふーむ」
プリニースが、ふと空を見上げた。
「風も弱まってきたか」
ひゅう、と風が吹き。
直後、風景は平和なただの空き地に戻っていた。
「白昼夢……?」
呟き、周りを見渡すと、ゴシゴシとケイが目を擦っていた。
「……むむむ、集団幻覚か?」
そして、すぐ近くの僕の存在に気がついた。
「あ、お主どこに消えていたのだ!? 探してしまったではないか! 一瞬だけど!」
「最期が正直すぎるな。多分お互い、今と同じ位置にいたんだと思うぞ。何を見た?」
「おそらく、何らかの幻覚じゃと思うが、もしかすると妾達の知らぬアトラクションやもしれぬな。とにかく見た、という現実は否定出来ぬ。セキエンとプリニースの戦い、そしてこの広場が微妙に傾いでいる理由じゃった。まあ、あれが真実であるという保証はないがの」
「なら、僕が見たのも同じだ。どうやら個別で見てたらしいな」
「ふむ……となると、ペンドラゴン氏じゃが」
ペンドラゴンさんは、僕達とはやや離れた場所で嗚咽を漏らしていた。
「ちょ、泣いてる!?」
「え、あ……」
僕のツッコミに、眼鏡を外した彼女は慌ててその目を袖で拭った。
「す、すみません……目にゴミが……入ったみたいで……」
「よほど大きなゴミだったんじゃのう」
「もしかすると、花粉かも」
ペンドラゴンさんの言葉に、ケイは首を傾げ僕を見た。
「……花粉が入ると、泣くのかや?」
「花粉症っての知らないのか?」
「妾はHIKIKOMORIだったからの」
「だから、そこで何故胸を張るんだ。あ、そうだ。ペンドラゴンさん、さっきの風景ですけど……」
「は、は、はい?」
「あれ、見なかったんですか?」
「え、えーと……な、何の話でしょう」
「……いや、いいです」
あの幻覚を見た時、ケイもペンドラゴンさんも、傍らにはいなかった。
だから、真偽を確かめる術は、僕にはない。刑事さんとかなら話は別かもしれないけど、そんなスキル、僕は持ってないしなあ。
「むー……?」
ふと、変な所から声が上がった。
振り返ると、ケイはいつの間にか広場の中央に近付いていた。
そこで、やはりまた首を傾げている。
「おい、何やってんの?」
「いや、セキエン氏の最期の場面の、目線を測っておるのじゃが……」
言われてみると、彼女が立っているのはセキエン氏が死んだ(幻視の)場所だった。
そこから向けられた視線は……ちょうど、僕達に向けられていた。というか、ペンドラゴンさん?
「飴!」
その彼女はポケットからあめ玉を取り出した。
「はい!?」
「豊かな時代ですね。シキョウヒンとかいうのを、街中で配ってました! いりますか?」
早口言葉で言い、それをケイに向ける。
「わぁい、いるのじゃ!」
諸手を挙げて駆け寄り、ケイがそのあめ玉を受け取る。
「さ、洞窟に行きましょうか」
「え、あれ、でもケイが……」
「うまうま」
ケイは飴を舐めて、ご満悦だった。
「……駄目だ、もはや役に立ちそうにない」
「さ、さ、こちらですよ」
やけに急ぐペンドラゴンさんに促され、僕達は洞窟に向かった。
……あの行間にこんな事があったのだが、まあ、彼女が僕達と同じモノを見たのかどうかは、本当に定かではない。
見たとは思うけど、結局本人の申告がなかったのだ。
無理強いするような話でもなし、とにかくこのエピソードはオチも何もなく、ここで一旦終わる。
この日の青い羽根にまつわる事件はここで終わり、次は翌日、グレイツロープのとある寺院を訪れた場面で再び、この事を書く事になる。